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新年会も半ばを過ぎた頃、障子が開いた。
「組長、雑煮の用意が出来ましたが」
「雑煮っ?」
一番に食いついた太朗に、雅行は笑う。
「太朗君は雑煮が好きなのか?」
「はい!餅大好き!俺、4つ!」
張り切って言うものの、年末ついた日向組の餅は市販のものよりもかなり大きめだ。
組員が男ばかりだということもあって例年そうなのだ(一応、楓と母の分用に小さなものもある)が、太朗が直径5センチほどの餅
を4つも食べられるとは思えなかった。
「うちのはかなり大きめの餅なんだ。2つくらいがいいんじゃないのか?」
それに、今の段階でもかなり多くのオードブルも食べているのを見た。
「大丈夫!」
「日向組長、こいつは4つ、入れてやってくれ」
どうするかと思っていた雅行の耳に、苦笑交じりの上杉の声が届く。
「子供は腹がはちきれそうにならないと満腹になったのが分かんねえんだよ」
からかうような、しかし十二分な愛情が込められたような声の響きに、雅行は内心感心する。
何時も余裕をもった言動をする上杉が太朗に関することだけ素の顔を見せるのは初めてではないが、こんな顔を見ると彼が本当
に太朗のことを思っているのだと分かり、道徳的なことを考える自分の常識を打ち壊して行くのだ。
「ちょっと、それ、どういう意味だよ!」
太朗は思わず反論した。腹がいっぱいだということくらい、痛くなる前に分かる。
「それ、言えてる。タロは本能で動く奴だし」
「楓!」
怒ってその名を呼ぶものの、楓は知らぬ顔をして綺麗な箸さばきで伊勢海老の造りを食べ続けていた。
新年会が始まった当初から、こういう時でないとご馳走が食べられないからと言って、高そうなローストビーフや鯛とキャビアの
カルパッチョ、大トロの握りなどを率先して食べているのだ。
(これだけ食べてるのに太らないなんて・・・・・)
ほっそりとした身体のどこにその栄養分は蓄積されているのだろうか。
「タロ、食べないと無くなるだけだぞ」
上杉に言われたわけではないが、このままだと本当に楓に伊勢海老全部食べられそうな勢いだ。
太朗は慌てて自分の近くの皿に手を伸ばした。
「「あっ」」
その手が、横から伸びてきたもう一つの手に重なる。
「ごめん」
「ヒヨ、海老好きなんだ?」
その主、日和の皿を見ると、海老フライの尻尾や甘エビの尻尾が幾つも置かれていた。
「う、うん」
「じゃあ、どーぞ」
「太朗は食べないの?」
「俺、魚も好きだけど、肉の方が好きだから」
「子狸に変装するためだよなあ」
会話を聞いていたらしい上杉にそう言われ、太朗はそこまで食べないぞと叫んだ。
楽しそうに(太朗は本気で怒っているのかもしれないが)会話を続けている2人を、日和は仲がいいなあと感心して見つめた。
男同士ということは除いて、本当に見ていてこちらが幸せになりそうな光景だ。
(俺達は・・・・・どうだろ)
日和は太朗から譲ってもらった伊勢海老を口にしながら、少し離れた場所に座る秋月を見た。
新年会が始まった当初はあまり機嫌がいいように見えなかった秋月も、今では落ち着いた雰囲気で・・・・・確か、楢崎といったか、
自身よりも年上の少し強面の男と話をしている。
談笑とはとても見えないが、それでも不機嫌ではないようだ。
(同じ組織じゃないって言ってたし、これくらいでも十分なのかな)
日和にとっては、秋月と他の男達の属する組織の違いなど良く分からない。
ただ、なんとなくだが立場的にまずいんだろうなと思い、それでもこうして来てくれたのはきっと友人に会いたいと願った自分のた
めなのだろうということも分かっているつもりだ。
(・・・・・優しいんだよな)
大切にされている。
そして、愛されている。
日和は秋月の特別な存在だという今の自分の立場が嬉しくて・・・・・くすぐったく思えた。
色んな相手を観察し、新年から退屈しないなと笑みを浮かべた小田切の横に誰かが座った。
「その笑い、怖いわよ」
「そうですか?」
別に今日は何も企んではいない。新年から人を不快な思いにさせるつもりは毛頭なく、小田切は心外ですねと苦笑しながら隣に
座る男、綾辻を見た。
「倉橋さんはいいんですか?」
「克己はお仕事中」
「今日くらい、接待される側でいたらいいのに」
綾辻の視線につられるようにして目を向けた先では、倉橋は伊崎や日向組の組員と共に酒の手配や、テーブルの上の片付け
などをテキパキとこなしている。
もうこれは倉橋の性格みたいなものだろうが、綾辻はずっと一緒にいたいと思ったりしないのだろうか。
「昨日は?」
「もちろん一緒よ・・・・・って、いっても、会長以下、みんな揃ってたけど」
今年から海藤は元旦の朝早くに大東組本家に行くことになり、1人になってしまう真琴のために綾辻達皆で初詣に行くことに決
めたのだ。
倉橋と2人きりになれなかったのは残念だが(倉橋は海藤に同行した)、別に寂しい暮れだったわけではない。それでも小田切
はふっと何かを思い浮かべたかのように口元を綻ばせた。
「姫始めも出来なかったんですね?」
意味は言われなくても分かる。綾辻は照れなく頷いた。
「それが心残りよ。今年は考えておかないと」
「確かに」
「そういうあなたはどうなの?幸せな年越しになった?」
「毎年、日付が変わる前後は電話やメール攻撃ですよ。時間に合わせて花や酒類も届きますし・・・・・」
裕福な買い犬達は、主人である小田切に喜んでもらおうとしてそうするのだろうし、実際小田切も元気な声を聞けるのは嫌では
ない。ただし・・・・・。
「あら、ワンちゃん怒んないの?」
「毎年拗ねますね」
一緒に暮らし始めてから、イベントを通じて同じような現象が起こるというのに、唯一家で飼っているあの図体のデカイ犬は自身
の幸運など考えもせずに拗ね、あげくの果てには小田切を押し倒してきた。
「じゃあ、そっちは姫始め・・・・・」
「日本古来の伝統行事は大切にしないと」
小田切はふふっと綺麗な顔で笑った。
(ヒメハジメ・・・・・)
アレッシオは隣から聞こえてきた声に顔を上げた。
目が合った小田切は意味深に笑っているが、あの男にその意味を訊ねたくは無い。
その時、ふとアレッシオは自分のグラスを換えにきた男に気づいた。
「クラハシ」
「はい?」
接する機会はあまりないが、その言動からも真面目でしっかりとした性格が窺える。この男ならば正しい知識を教えてくれるだ
ろうとアレッシオは言葉を続けた。
「ヒメハジメの正しい意味を教えて欲しい」
「・・・・・」
あまり表情の無い男の目が僅かに見開かれたのが分かる。そんなに変な言葉なのかと、あの2人の人格を疑った。
「どこでそんな言葉を?」
「あの2人が言っていた。日本古来の伝統行事だと」
すると、その方向に視線をやった倉橋はきっぱりと言い切った。
「お言葉ですが、ミスター、あの2人の言うことは一般常識からかけ離れたことも多いです。今回の言葉も常識的な日本人は使
いませんので、即刻記憶から削除して下さい」
あまりにもきっぱりな言いように、アレッシオは反対に興味が湧いてしまった。
倉橋にとってあの言葉はあまり性質の良くないものらしいが、知らないというのは気になる。
(今夜トモに聞いてみよう)
一通り腹が膨れた静は、リクエストして出してもらったアベカワ餅をデザート代わりに口にしながら友春の話を聞いていた。
「じゃあ、本当にイタリアに行くんだ」
「・・・・・一応」
友春はまだ自分の中では迷っている風なことを言っていたが、こうして自分に話してくれる段階である程度気持ちは固まっている
はずだ。
どちらかといえばアレッシオの愛情の方が重いように見えたが、どうやら友春の気持ちもかなり明確に育っているらしい。
「寂しくなるなあ」
友人が離れていくのは寂しい。それが、頻繁に会わなくても濃密な友情を築いていると思っている相手ならばなおさらだが、かと
いって自分の感情で友春の幸せを壊すことは全く考えていなかった。
「・・・・・僕も寂しいよ。イタリアって遠いし・・・・・」
「でも、永遠に会えないわけじゃないよね」
「静・・・・・」
「今からカッサーノさんに頼んでおこうか」
笑いながら言うと、友春も少しだけ笑みを浮かべる。
「ケイも、帰りたい時は帰してくれるって言ってくれているんだ」
「そっか」
「ただ、僕もちゃんとケイと向き合わなくちゃと思ってる。結局・・・・・好きになってしまったんだし・・・・・」
言葉の最後の方は尻つぼみになっていたが、静の耳にははっきりと聞こえた。目の前の友春の耳元も真っ赤になり、何だか静ま
で気恥ずかしい気持ちになってしまう。
(いいな)
友春はようやく、アレッシオと恋愛を始めたばかりなのだろう。
知り合った時間も、そして多分その関係の深さももう何年も前だと思うが、傍から見ていると今の2人には初恋の初々しさが感じ
られた。
チラッと上座に視線を向けた真琴は、ちょうど1人になった様子の江坂の元に行った。
「おかわりいりますか?」
そう声を掛けると、江坂は真琴を見た。
「今日は招待された立場だろう。そういったことを君が気にする必要はない」
言葉の響きをそのままとれば少し冷たいものなのだが、良く考えればゆっくり座っていて良いと言ってくれているのも同じだと思う。
分かりにくい気遣いをする江坂に真琴は苦笑した。
「ありがとうございます。ただ、少し江坂さんと話したいなって思って」
「・・・・・何の話だ」
「海藤さんはどうかなって・・・・・」
「海藤?」
少しだけ怪訝そうに聞き返してくる江坂に真琴は頷く。
大東組の中で実際にどんな仕事を彼が担当しているのか分からなかったが、危ないことは無いのかという心配は常にある。
彼の背負っているものを考えたらそれも仕方無いのかもしれないし、真琴には心配することしか出来ないが、それでも《何も知らな
い》より、少しでも知っている方がましなのではと思ったのだ。
「前、静から江坂さんが大変そうだっていう話を聞いたことがあって・・・・・今の海藤さんはその時の江坂さんと同じ立場だから、
俺に見せないだけで凄く大変かもしれないと思うと・・・・・」
何か自分に出来ることは無いのかと思うのだ。
「静さんが話したのか?」
しかし、江坂は別の部分に引っ掛かったらしい。
「話したって言っても、静も仕事の内容とか分からないって言ってましたけど、時々江坂さんが凄く疲れた顔をして帰ってくるって
聞きました」
「・・・・・」
なぜか、少し驚いた表情をする江坂に、真琴は何だかおかしくなってしまった。
海藤も江坂も普段何があっても顔に出さないタイプなだけに、こんな些細な表情の変化もとても嬉しく感じてしまう。
「・・・・・海藤は有能な男だ」
「え?」
「君が心配するようなことは無い」
「江坂さん」
「・・・・・私に関しても・・・・・静さんもそう思っていてほしいが」
それとなく・・・・・いや、多分意図的にそう言ったのだろう。
こちらを見て少しだけ口元を緩める江坂に、一瞬目を見開いた真琴も笑いながらはいと頷いた。
雅行はぐるりと周りを見つめた。
ある程度食は進み、酒の量も重ねて、そろそろ皆よい気分になってきた頃だろう。
「日向組長」
どうやら何の問題も無く今回の新年会は終わりそうだなと思っていると、不意に後ろから声が掛かった。直ぐに振り向いた雅行
は、そこにいた人物に少し頬が引き攣る。
「・・・・・何だ、小田切」
組長と会計監査という立場の差はあるが、本来小田切は大東組本部直属の人間だ。格上という意識はずっとあるし、それ以
上に得体の知らない男という意識もあった。
(一体、何を言い出す気だ?)
「先程預けた物を持って来て頂いていいですか?」
「さっき?」
「白い箱を」
「・・・・・ああ」
そういえば、ここに着いてすぐに預かってくれと言われた物があった。
「ここに持って来させればいいのか?」
「はい」
にっこり笑う顔はそのまま見ればとても美人だが、その背景には何だかモヤモヤとした黒いものが見えるような気がした。
雅行が組員に指示するのを見ていた小田切の肩を、ポンと叩きながら楽しそうに話し掛ける男がいた。
「そろそろ出番?」
「ええ」
「怒られちゃっても知らないわよ」
「知っていて止めなかったあなたも同罪だと白状しますよ」
「ええ〜、怖いわねえ」
少しも怖いとは思えない綾辻の口調に、小田切もふふっと笑みを零す。
新年会という酒の席で多少の悪ふざけをしても、本気で怒るような男はここにはいないはずだ。
(思っても、胸の内に収めてくれるでしょうし)
「大体、祝うんですから礼を言われるはずなんですけど」
「本気でそう思っているのなら凄いわね」
「私は冗談は嫌いですよ」
そう言った小田切は、みなさんと声を上げた。それほど大きな声ではなったが、座敷の中にいた者達は残らず視線を向けてくる。
言いだしたのが小田切だったせいか、男達の視線は訝しげなものが多かったが、年少者達は無邪気にどうしたんですかと訊ねて
きた。
「もうそろそろ新年会も終わるでしょうし、その前に私から江坂総本部長と海藤理事にお祝いを渡そうと思いまして」
「お祝い?」
「・・・・・」
思い掛けないその言葉に、真琴と静はえっと楽しそうに声を上げたが、海藤と江坂はほとんど表情が変わらない。
いや、江坂の方はあからさまに眉を細めて、笑みを深める小田切をねめつけた。
「・・・・・何を企んでいるんだ、小田切」
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