ご帰宅







 「世話になった」
 とても20代とは思えないほどの深い響きの雅行の言葉に、宿の女将以下従業員達はにこやかに笑いながら頭を下げた。
 「またのお越しをお待ちしております」



 翌朝・・・・・いや、もう昼に近い時間、日向組一行は宿を出ることになった。
楓が再び高速のSAに寄りたいと言ったし、日が暮れて家に着くよりは、少し早めに帰った方がいいだろうという事になったのだ。
もう一つの理由としては、楓が楽しそうな写メールを留守番の父親に何枚も送ったので、どうやら父親が寂しいとごねたらしい。
大人気ないとは思うものの、何時も賑やかな家の中が静まり返っている寂しさも分からないではなかったので、伊崎も雅行の決
定に了承した。

 「・・・・・」
 バスに乗り込んだ伊崎は、最後部へとゆっくりと歩いていく。
誰も彼も程度の差はあるだろうが疲れているらしく、バスが走り始めて直ぐというのにそこここで居眠りをする者がいた。
伊崎は彼らを苦笑交じりに見ながら、やがてその目は一点に向けられる。
そこには大きなあくびをしながら楓が座っていた。
 「楓さん」
 「・・・・・」
 楓はぼんやりとした目線を伊崎に向けてきた。
どうやらかなり眠いらしい。
(ほとんど寝かせてないからな・・・・・)
昨夜。久しぶりに何の気兼ねも無かったせいか、ついハメを外して楓を抱き続けてしまった。
2人で眠りに落ちたのがいつか・・・・・はっきりと覚えてはいない。
オマケにと、いうか、起きしなに楓がしばらくはまたイチャイチャ出来ないと可愛くねだってきたので、挿入はしなかったがかなり念入
りに可愛がってしまった。
そのせいか、楓は朝食の時からこんな調子だ。
(SAに行った時ちゃんと起こさないと後で叱られるな)
 「少し眠っていなさい、SAに着いたらちゃんと起こしてあげますから」
 「ん〜」
 はっきりしない返事に苦笑を零すと、楓は再び大きく口を開けて身体を・・・・・伊崎とは反対側に身体を傾けてしまう。
そこには・・・・・。
 「楓さん、相手が違いますよ」
自分の肩に頭を預けてきた楓にそう言った津山は、少しだけ伊崎に笑みを向けた。
 「不可抗力です」
 「・・・・・分かっている」
それがわざとでないことは良く分かるが、それでも面白くないのは恋人のプライドがあるからだ。
伊崎は津山とは反対側に座ると、そのまま楓の肩を抱いて身体ごと自分の方へと引き寄せた。



 バスの中は、行きとは正反対に静まり返っている。
伊崎はふと、楓の向こう側に座る津山に声を掛けた。
 「少しは楽しめたか?」
あまり人付き合いがいいとは言えない津山。今回の慰安旅行で多少は仲間と交流らしい交流が出来たかと思ったのだが、津
山は表情を変えずに軽く頭を下げた。
 「ゆっくりと休ませていただきました」
 「・・・・・」
 「夕べは、楓さんの護衛も解かれましたし」
 「・・・・・」
それは、言外に仲間とそれらしい交流はしなかったという答えなのだろう。
馴れ合わない野生の獣のような津山が唯一心を動かす存在が楓というのも複雑だが、この世に縛り付けておける存在があると
いうことは悪いことではない。
楓のことを信じるからこそ、伊崎はそんな想いを抱いている津山を楓の側に置くのだ。
 「分けることは出来ないぞ」
 「ええ」
 「ほんの少しも、だ」
 「分かっています」
 「津山」
 「私は今の楓さんが愛しいんですよ。あなたを真っ直ぐに想っているこの人が」
 「・・・・・」
今の言葉は、絶対に楓には聞かせたくなかった。



 「楓さん、SAに着きましたよ」

 いい気持ちの時に起こされた楓の機嫌は一瞬不機嫌だったが、今バスがどこにいるのかはっきりと分かると、今まで寝ていたとは
信じられないほどに弾んだ足取りで店に向かった。
旅館でもそれなりの土産を買っていたが、もっと変わった物も買いたかった。
(マコさんと・・・・・一応タロにも土産を買ってやらないと)
あ、他にもいたっけと、楓は頭の中に次々と面影を浮かべた。
真琴に、太朗に、静に友春に暁生。不思議と、学校の人間の顔は浮かばなかった。特殊な世界に生きているせいか、自分が
飾らずに済む相手のことをより大切に思ってしまうのだ。
(でも、どうやって渡したらいいんだ?)
真琴や太朗、そして暁生はいいが、静や友春とはそのバックにいる人間を考えると思わず顔を顰めてしまう。
(まあ、最後は恭祐に頼めばいいか)
 「ふふ、タロにはカトちゃんキーホルダーにしてやろうかな」
 含み笑いをしながらレジの前に置いてあるキーホルダーを見ていると、例のごとくワラワラと男達が寄ってくる。
自分が食べるものはいいが、友達に渡す土産は自分が買わないと意味がないと思っている楓は、しきりに話し掛けてくる男達が
鬱陶しくてたまらない。
ちらっと顔を上げると、楓はきっぱりと言い切った。
 「あんた達と付き合ってる時間はないんだ。さっさと向こうに行ってよ」
 「なっ?」
 「お前・・・・・っ」
 楓の物言いに頭にきたらしい男達が詰め寄ってきたが、もちろん楓の身体に触れる前にあっさりと津山の冷酷な眼差しを受け
て、そのままそそくさと立ち去っていく。
そのおかげで、楓はゆっくりと、十分楽しんで買い物が出来た。



 そして。
最後の買い物が終わった者達がぞろぞろとバスに戻ってくる。ここからは日向組の屋敷まで休み無く帰ることになっていた。
 「はい、兄さんお土産」
 最後にバスに乗り込んできた楓は、バスの中にいた雅行に抹茶のソフトクリームを手渡す。
 「おい」
 「一口だけ」
楓が甘えるように言うと、雅行は眉を顰めながらも大きな一口でソフトクリームを食べた。
一度に3分の1ほど減ったそれを眺めて笑った楓は、雅行の目の前に身を屈めてペロッと口に含むと、その味が気に入ったのかそ
のまま自分が手に取ると、美味しそうに残りのソフトクリームを食べていく。
その姿にどれくらいの組員が見惚れているのかは、楓は全く気がついていないだろう。
(全く、この人は)
その様子を苦笑しながら見ていた伊崎が後に続こうとすると、不意に雅行に腕を掴まれた。
 「伊崎」
 「はい?」
 「楓に、服はきちんと着ろと言っておけ」
 「・・・・・?」
 トントンと、自分の首筋を叩いた雅行を見た伊崎は、ハッと顔を上げて楓の後を追い掛けて・・・・・、
 「!」
そこで、初めて気がついてしまった。
何時も出来るだけ痕をつけない様にしている伊崎は、今回も楓の真正面から見える場所には気をつけていた。しかし・・・・・今回
は気持ちも高まっていたせいか、楓の細い項から背中にかけて、無数の痕をつけてしまったのだ。
普通にしていれば見えない痕も、今のように身を屈めてしまえば・・・・・完全に見えてしまう。
(組長・・・・・)
 もう一度振り返ると、雅行はもうこちらを見ていることは無かった。
楓のそれがどういう経緯でついたのか想像出来たはずなのに、何も無かったように流してくれたことがありがたい。
 「・・・・・」
 「恭祐?」
 黙って立っている伊崎を、楓は首を傾げて見つめている。
とても夕べあんなに淫らに、そして愛らしく自分に抱かれたとは思えないほどに清い・・・・・存在。
 「・・・・・いえ」
 「変なの」
もう少しだけ、楓は自分だけでなく組の皆のものでいなければならないだろう。それが少し寂しく思うものの、伊崎は待つ楽しみと
いうのも十分知っている。
 「ほら、きちんと着ないと」
早くこの大切な存在が自分だけのものになるように・・・・・そう思いながら、伊崎は少しだけ襟首から覗く自分がつけた淡いキスの
痕を、そっとシャツの襟元を直して隠してしまった。




                                                                      end