指先の魔法



25






 リビングのソファに座ると、海藤はネクタイを緩めながら溜め息をつく。
今までの生活なら、誰もいない部屋に帰るのが当たり前だった。
 「・・・・・」
 たった一人、真琴の存在がないだけで、これ程の寂寥感を感じてしまう自分が滑稽で、海藤はそのままマンションを出て
行こうとソファから立ち上がった。その時・・・・・。
 「!」
 カチッとオートロックが外れる音と共に、賑やかな気配が飛び込んできた。
 「あ!やっぱり帰ってる!」
慌てたような声が玄関から聞こえ、海藤は思わず両手を握り締めた。
 「お帰りなさい!海藤さんっ」
 「・・・・・真琴」
 次の瞬間、リビングに飛び込んできた真琴の姿に、強張っていた海藤の頬が柔らかく綻んだ。
 「どうした、まだバイトの途中か?」
真琴は、海藤が初め会った時と同じバイト先の制服であるツナギ姿だった。あの時とは違い、ピッタリと身体に合った服はよ
く似合っている。
 「昨日、海藤さん帰ってくると思ったから、バイト早退したんですよ?その代わり今日の残業を、あ、パーティーへのデリバ
リーなんですけど、人手がないから手伝えって、もっと早く帰るつもりだったのに遅くなっちゃって、服も着替えないで帰って来
たんですけど・・・・・あ〜、もう1時過ぎてる〜」
 ほんの数分前まで、静まりかえって冷たかった部屋の中が、たちまち明るく暖かくなった。
海藤は単純な自分を笑いながら、こみ上げてくる感情のままに長い腕を伸ばして真琴を抱きしめた。
きついと思えるその強い抱擁に、真琴も躊躇わず抱きしめ返す。
 「・・・・・いっぱい考えました」
 「・・・・・」
 「多分、後悔することもあるだろうけど、自分の気持ちが分かったから・・・・・」
 「真琴」
 「俺が自分で選びました、海藤さんを」
照れくさくなって海藤の胸に顔を埋めるが、これだけはきちんと言わなければと、真琴ははっきりとした口調で言った。
 「海藤さんが好きです。俺に選ばさせてくれて、ありがとう」
 「・・・・・こんなふうに言われるのは初めてだな」
 「海藤さんにも初めてのことあるんだ?ラッキー、その場にいれて」
真琴は嬉しそうに笑ったが、次の瞬間あっと気付いたように顔を上げて海藤を見つめた。
 「海藤さん、あのお金、ちゃんと自分の貯金にしておいた方がいいですよ?何時いるか分かんないし」
 「・・・・・ああ、あれか」
 そういえば金を用意していたことを思い出す。
 「少なかったろ?」
 「とんでもない!俺怖くなっちゃって、直ぐ倉橋さんに預けに行きましたよ!聞きませんでしたか?」
 「いや」
それならば、倉橋はとっくに真琴の気持ちを知っていたことになるが、海藤に連絡を寄越しては来なかった。
職務怠慢と思うのは簡単だが、倉橋は真琴の口から海藤に伝えて欲しかったのだろう。
事実、真琴から聞いた今の喜びは大きく、海藤は倉橋の行動を不問にふす事にした。
 「あっ、忘れてた!」
 「真琴?」
 また何か思い出したのか、真琴は慌てたように海藤から離れると玄関の方へ走って行き、直ぐに見覚えのある箱を手にし
て戻ってきた。
海藤はフッと笑った。
 「ピザか?」
 「ほ、本当はもっとご馳走作って待ってるつもりだったんですよ?大事な日だと思ってたし、海藤さんに喜んでもらいたかっ
たし。でも、結局昨日帰って来なかったし、今日は買い物に行く時間もなかったし、それなら俺の好きなお店のピザを持っ
て帰ろうって・・・・・。これ、特別に作ってもらったんですよ?なんと10種類の具入り!美味しそうでしょう?」
 「そうだな」
 舌の肥えている海藤にとって、デリバリーのピザが特別美味しいものとは思わなかったが、真琴の笑顔を見ているとそれだ
けで十二分に満足だった。
 「温かいうちに食べましょう、俺、お腹ペコペコ」
伝えたいことを言えて満足したのか、いそいそと皿や飲み物の準備をする真琴の後ろ姿を見ながら、海藤はこれがこれから
の自分の日常になるのだと感じた。
 「俺はピザより先にお前が食いたいが」
 「っ!オヤジ発言!」
想像通りの真琴の発言に、海藤は今度こそ大きな笑い声をあげた。





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