指先の魔法



24






 「明日だ」
 バイト先のカレンダーを見上げ、真琴は思わず呟いた。
言いたい事だけを言って海藤が中国に旅立ったのは三日前。当初の予定より少し長引いたと倉橋から聞いた。
それが予定外のことなのか、それとも本来の予定なのか、真琴には想像しか出来なかったが、色々と考えるにはいい時間
だった。
あのまま一緒にいたとしたら、何かあるたびに海藤のせいにしていたかもしれない自分がいたと、今なら客観的に考えられた。
何もかも強引に決められ、もしもあの時、もしもだったら・・・・・そんな風に後悔ばかりしたかもしれない。
 海藤は選べと言った。平穏な日常か、世の中の異質な存在である自分か、自身で選択しろと言った。
あんなふうに身体を許したのは、少なからず好意があると分かっていただろうが、そんなあいまいな思いでは許さないと言わ
れた気がした。
分かってくれるだろうと安易に考えた自分が恥ずかしかったし、人に選択してもらおうということが子供の考えだったと反省し
た。
 しかし、怒っていることもあった。
(大体、海藤さんは金銭感覚ゼロなんだからっ)
 あの日の朝、サイドボードに置かれていたのは真琴名義の通帳と印鑑だった。
(あんなにゼロいっぱい見たことなかった・・・・・)
ゼロは七つ。一番左の数字は3だった。
(一ヶ月も一緒に暮らしてないし、エ、エッチだって、最初のあれを入れても2回・・・・・。どういう計算なんだよ)
 セックスをお金に換算して考えた事はなかったが、それにしてもあの金額は桁違いだった。 
 「ホント、変な人・・・・・」
 「マコ」
 「ちょっと、ズレてるんだよなあ」
 「おい、マコ!」
 「あっ、はい!」
 ぶつぶつ呟いて自分の思考の中に沈んでいた真琴は、ポンッと頭を叩かれて慌てて振り向いた。
そこには呆れた表情の古河が立っていた。
 「明日のシフト、早退したいって言ってたろ?OKだってさ」
 「あ、ありがとうございます」
(やった!)
真琴の頬に笑みが浮かぶ。
(倉橋さんに時間聞かないと)



 しかし、翌日海藤は帰宅しなかった。



 当初の予定より三日長く中国に滞在し、海藤はようやく今夜帰国した。
倉橋には出迎えは不要といったが、それでも数人の組員が空港まで来ていた。
 「社長、どちらに車まわしますか?」
綾辻に聞かれた海藤は一瞬沈黙した後、シートに背を預け、目を閉じて言った。
 「このまま帰る」
 「はい」
綾辻はにっこり笑って頷くと、運転手に行き先を伝える。事務所や幾つかのマンションの中で、帰るという言葉を使うのはた
だ一つしかない。
(いるか・・・・・いないか)
 あんなにも素直に全てを与えてくれた真琴を信じきれないのは、やっかいな家業のせいか、それとも用心深い性格のせい
か、今更ながら自身を笑いたくなる。
 「・・・・・」
 車内の中は静まり返ったまま、程なく車は海藤が真琴と暮らすマンションに着いた。
 「ここでいい」
何時もは部屋の前まで来る綾辻にそう言うと、心得ていたのか綾辻は他の組員にも合図をして直ぐに頭を下げた。
 「お疲れ様でした」
 「お疲れ様です」
 口々に言われる言葉に軽く頷き、海藤は地下駐車場のエレベーターからそのまま部屋に向かう。
駐車場に入るまで目を閉じていたので、部屋が明るかったか・・・・・暗かったのか、分からないままだ。
 「・・・・・」
 部屋の前まで来るとしばらく考えた後、インターホンを鳴らさずに自分で鍵を開けた。
真っ暗な部屋の中、人の気配も感じない。
 「・・・・・いないか」
海藤の顔は自然に強張った。