漸進する籠の鳥
前編
「みんな〜、明日はひーちゃんとのお別れ会をします!ちゃんとお手紙書いて来てね?」
「は〜い!」
元気に手を上げて答える子供達。
響が大阪から東京に帰るという話をした一週間前は、
「なんでなんっ?」
「ひーちゃん、帰らんといて!」
口々に引きとめてくれる言葉を言い、実際に抱きついて泣き出してしまった子供もいて、響(ひびき)は寂しいと思いながらも嬉し
くて仕方が無かった。
一年間、一生懸命頑張った結果がここにあるのだと思うと、東京に胸を張って帰れそうな気がしていた。
高階響(たかしな ひびき)は、高校を卒業して直ぐ、福祉関係の会社に就職した。
大学に行った方がいいとも言われたが、響は両親が亡くなってずっと公私共に面倒を見てくれている後見人にこれ以上の負担を
掛けたくなかったし、早く自立して、その後見人とちゃんと向き合いたいと思ったのだ。
響の後見人・・・・・そして、恋人でもある西園寺久佳(さいおんじ ひさよし)は、『SKファンド』という、国内でもっとも勢いのあ
る会社の一つでもある経営コンサルタント会社の社長だ。
両親が亡くなって、途方に暮れていた子供の自分に優しく接してくれた西園寺。男であると分かっていたが、響は彼を好きにな
る自分の心を止めることはとても出来なかった。
幼い自分の恋心が叶うとはとても思わなかったが、西園寺も自分のことを好きになってくれた。
幸せで、泣きたいくらい嬉しくて、だからこそ、彼の隣に立つことが出来るように、自分の力で生活をしてみたかった。
言葉が足りないせいで、高校を卒業する前に少し喧嘩をしてしまったが、それも今となってはいい思い出だ。
それまでは、自分を甘やかすことしかしなかった西園寺と、自分の意思を伝えることが怖かった自分が、ようやくぶつかり合えたか
らだ。
そして、約束の一年が、もう直ぐ過ぎる。
1年で、ようやく慣れた職場を離れるのはやはり寂しいが、それでももう直ぐ西園寺の元へ帰れると思うと、響は嬉しさと寂しさが
混ざり合って、贅沢なほどに困ったなと思っていた。
「嬉しそうな顔してる」
「え?」
児童館の中の掃除をしていた響は、急にそう声を掛けられて戸惑ってしまった。
「そ、そんな顔してますか?」
「向こうで待ってる人がいてるんやろ?」
先輩社員の里中(さとなか)の言葉に、響は一瞬なんと答えていいのか分からなかった。
(里中さんには・・・・・見られちゃってるし・・・・・)
響が大阪に着てから数ヶ月経ったある日、西園寺は関西への出張のついでに自分の様子を見に来てくれた。
その時に西園寺と交わしたキスは、里中だけでなく子供達にも見られてしまったのだ。あれからしばらくはませた子供達に、
「あのおっちゃん、ひーちゃんのこいびとなん?」
「ラブラブやなあ」
などと、からかわれたりしたものだ。
まだ幼い子供達の中には男同士でということはあまり関係ないようだったが、もちろん里中には自分達の関係の歪さ(自分達の
想いには自信があるが)を言われても仕方がないと思っていた。
しかし、里中はこちらが不思議に思うほどにあの時のことには触れず・・・・・いや、西園寺という存在さえなかったように振舞って
いた。
だからこそ、もう明後日でこの地を去るという時になって、その関係を匂わされるとは思わなかった。
「里中さん、あの・・・・・」
「あんなオヤジのどこがええのか分からんけど・・・・・響、いつでもこっちに戻ってもええからな?俺がここにいてるから」
「・・・・・はい」
自分の存在が認められたようで嬉しくて、思わず響は嬉しくて笑ってしまう。その顔を見て、里中ははあ〜っと大きな溜め息をつ
いた。
「そないゆうても、戻ってくるなんて考えられんわ」
「え?」
「その顔見れば分かるって。あいつも、響を放さんやろし」
「・・・・・」
たった一度しか顔を合わせていないはずなのに、里中はかなり西園寺の性格を読んでいるようで、響はなんと言っていいのか分
からない。違うとも言えないし、かといってそうなんですと言うのもおかしいだろう。
「後数日やけど、それまではあいつの事は考えてほしないなあ」
「・・・・・はい」
改めてそう言われ、響はしっかりと頷いた。
自分では表面上は何時もと変わりないようにしていると思っていたが、気付かないうちに嬉しいという思いが零れてしまっているの
かもしれない。
離れるのを寂しいと言ってくれる子供達や、里中を始め会社の人間に失礼にならないように、響は最後の1分まで、緊張を途
切れさせないようにしなければならないと思った。
響は寮に帰った。
「ただいま」
部屋の中は、性格から綺麗に片付けているつもりだが、ここ数日でかなりガランと寂しい風景になっていた。元々主な電化製品
や家具は備え付けであり、響自身あまり物には執着しない主義なので荷物は少なかったが、明後日には大阪を発つので既に
片付けているのだ。
そんな中で、帰宅した響を迎えてくれる者がいる。それは、3匹の金魚だった。
「ただいま、久佳さん」
大きな真っ黒の金魚にそんな名前を付けていることは、もちろん西園寺には内緒だ。里中に連れて行ってもらった近所の祭りで、
夜店で自分で釣った金魚。
本当のことを言えば、3匹ともではなく、黒の少し大きめの金魚しか釣れなかったのだが、店のおじさんがオマケだといって2匹の
赤い金魚を一緒に袋に入れてくれた。
黒の大きな金魚は、響にとって大きな存在の西園寺で。
赤の2匹のうち、小さい方は庇護されてきた昔の自分で、それよりも少しだけ大きいのが、今の自分。
何だかあてはめてみるとしっくりして、響は毎日、この金魚達に話しかけるのが楽しみになっていた。この子達はさすがに引越しの
荷物のように先に送ることは出来ないので、明後日、響が東京に戻る時に一緒に連れて行くことにしていた。
「お前達も、本物の久佳さんに会えるよ。すっごくカッコよくて、優しくて、僕の大好きな人なんだ」
こちらに来る前は、西園寺が選んだマンションに入るようにと言われたが、響は寮に入って良かったと思った。
ほとんどが自分よりも年上だが、同世代の友人がたくさん出来たし、共同生活という賑やかで楽しい生活も出来た。
ただ、そこには西園寺がいなくて・・・・・優しく抱きしめてくれる存在がいなくて寂しい思いもしたが、それももう直ぐ終わるのだ。
「あ・・・・・また考えちゃった」
(里中さんに言ったばかりなのに・・・・・)
「・・・・・」
響はどうしても頭の中に出てくる西園寺の姿を振り切るように、買って帰った温かいたこ焼きを取り出した。
「おいしそ」
6個のたこ焼きが夕食だと知ったら、きっと西園寺は眉を顰めるだろうが、大きな粒のたこ焼きはこれだけでもお腹が一杯になる
のだ。
「久佳さんにも食べさせてあげたいなあ。絶対、美味しいって言うはずだけど・・・・・」
考えまいとしても、何かにつけて西園寺のことを思い浮かべてしまう。響はその都度反省しながらも、何度も同じことを繰り返して
いた。
「ひーちゃん、ありがとお!!」
「またあそびにきてなー!」
「・・・・・っ」
「響、ほら、何か言わな」
「・・・・・あ、あり、が・・・・・と・・・・・っ」
絶対に泣くまいと思っていたお別れの会。しかし、響は終始涙を流していた。
保父や教師とは違い、一応利害関係で成り立っている関係なのだが、それでもほぼ1年、子供達の世話をしてきた響にとって、
この別れは胸がつまる思いだった。
「よく頑張ったわね」
直接の上司である40代の女性部長も、響の頑張りを褒めてくれた。
「自分で出来ることは進んでしていたし、分からないことは聞いていたでしょう?素直な子だなって、里中君ともよく話していたの
よ」
「結局、最後まで言葉はそのままやったけどな」
「あら、私もでしょう?」
「部長は酔ったらバリバリの大阪弁やないですか」
2人の会話はまるで本当の漫才のようで、響はいつも笑っていた。
確かに、知らないことばかりで勉強することは多かったし、叱られたこともたくさんあったが、それでも、自分でも・・・・・高階響という
個人でも、出来ることがあると分かっただけでも嬉しかった。
「お、お世話に・・・・・」
「泣かないの。別にこれで退社って訳じゃないし、東京に行けばここよりももっと大変な仕事を任せられるかもしれないんだから、
泣いてる暇なんかないわよ」
「・・・・・」
響は頷いた。声を出すと大きな声で泣き出してしまいそうで、唇を噛み締めてただ頷いた。
「ん〜、なんか、高階君って庇護欲そそるのよね〜。里中君は?どうだった?」
「俺なんか相手にしてもらえませんて」
「あら、振られたの?」
「触られる前に玉砕」
再び、漫才のような会話を続ける2人を見ていると、自然に口元が緩んでくる。ただ、目から流れる涙は止めることが出来ず、響
は本当にこれでお別れなんだなと思ってしまった。
始めは泣いていた子供達も、何時しか笑いながら今度会う約束をして、迎えに来た両親と共に帰っていった。
「ひーちゃん、またねー」
「元気でね」
1人1人と握手を交わし、やがて、児童館の中には子供達はいなくなった。
「響、まだ後片付け残ってる」
「はい」
右手はほとんど動かないが、自分には左手も、2本の足もある。
人並みの仕事は無理かもしれないが、それでも自分なりの頑張りで慣れた片づけを終え、事務室の自分のロッカーを整理する
と、本当にこれで最後となってしまった。
「お疲れさん」
「・・・・・ありがとうございました」
ほとんど役に立たなかったであろう自分を支えてくれた里中に、響は思いを込めて深く頭を下げる。ありがとうと、何度でも、誰に
でも、声を大きくして言いたい。
西園寺という庇護のもとから飛び出した自分を、受け止めて、大きく成長させてくれた温かい人々に、響は感謝の言葉しか言う
ことが出来なかった。
『迎えに行くから』
東京に戻る日を伝えてから、1日に1回は掛かってきた電話。優しい言葉に嬉しさはこみ上げるものの、響の返事はいつも同じ
だった。
「大丈夫。1人でちゃんと帰れるから」
西園寺はまだ自分を子供だと思って心配してくれているのだろうが、自分1人でもちゃんと帰ることは出来る。
荷物はほとんど手で持っていくことはなく、数時間の旅の供には金魚の久佳さんがいる。寂しいとは思わないし、第一、東京に戻
るくらいで西園寺の仕事の手を止めることなんてとても出来ない。
西園寺は自分とは比べ物にならないくらい、毎日仕事に追われているのだ。
「・・・・・さてと」
肩掛けの鞄を掛け、蓋を閉めることが出来る瓶の中に3匹の金魚を入れて左手で持った響は、1年間過ごした部屋を万感の
思いで振り返った。
自分が立ち去っても、直ぐに新しい人間が入ってくるだろうが、どうかその新しい人物も、この部屋で楽しく、新しい出来事に出
会って欲しいと思う。
きっと傍には、助けてくれる友人や先輩が大勢いるはずだ。
「ありがとう」
(・・・・・さよなら)
響は部屋に別れを告げ、ゆっくりと歩き出す。
足が向かう先には、世界で一番大好きな人が響の帰りを待っていた。
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「啼く籠の鳥」の続編です。大阪に行っていた響が、1年ぶりに東京に戻ります。
今回は響視点。里中さんの大阪弁がイマイチなんですが・・・・・どうしましょう(汗)。