漸進する籠の鳥
中編
西園寺は窓の外に視線を向けた。
(そろそろ駅に着いた頃か・・・・・)
「新幹線で帰ります。今まで住んでいた街をちゃんと見てお別れしたいし」
心優しい響の言葉に、それでも飛行機で帰ってくるようにと言うことは出来なかった。
いや、本当は響が今日出る寮のドアの前まで迎えに行きたいと考えていた西園寺だったが、自分で大阪に旅立ち、また自分の
足で東京に戻ってきたいという響を説得することはしなかった。
今の不況でも、着実に業績を伸ばし、ここ1年の間には様々な福祉や医療関係にも手を広げてきたのは、もちろんそれなりの
メリットを考えたからだが、それ以上にこの職種に関わることによって、何か響の役に立つことがあるのではないか・・・・・そう思ったか
らだ。
冷徹といわれ、仕事以外に感情が動くことなどないのではないかと言われてきた西園寺にとって、響という存在はそれほど大きく
大切な存在だった。
初めて会った時に、透明な眼差しに惹かれ。
その考え方や言動を知るたびに、自分とは正反対の存在だと思い・・・・・のめり込んでいった。
自分のような汚い人間が手を出してもいいものかどうかなど迷うこともなく、これは自分のものだと決めて、大人の振りをして響を
手なずけ、最後には綺麗な綺麗な、小さな鳥のような彼を手中におさめた。
手放すことなど考えられず、ずっと自分の傍に置いておきたいと思っていたが、響はただ守られているだけの鳥ではなかった。
自らの力で飛び立とうと足掻き、努力して、結局、西園寺は鳥籠から愛しい小鳥を空に放すことにした。
その響も、もう直ぐ自分の手元に戻ってくる。
一回りも二回りも大きくなった彼が、ようやく自分の手の中に戻ってくるのだ。
バンッ
「・・・・・」
目の前の机の上に分厚い書類が置かれる。
それに目をやった西園寺は、そのまま視線を上げて傍に立つ人物を睨んだ。
「何だ、これは」
「社長の承認がいる書類です。サインを」
「お前に任せる」
「社長の筆跡じゃないと困るんですよ」
「・・・・・俺は忙しい」
「・・・・・いい加減にしろ、西園寺」
社長である自分をそう呼び捨てに出来るのは、専務の小篠幸洋(こしの ゆきひろ)。大学時代からの悪友で、この会社も一
緒にたちあげた。
人付き合いの良くない自分とは反対に、人好きのする小篠は自分の出来ないことを補ってくれる大切な相棒だ。
もう1人、顧問弁護士の夏目忍(なつめ しのぶ)と合わせて3人で大きくした会社だが、はっきり言えば西園寺は会社自体に大
きな思い入れはない。人に使われるのは嫌だからと始めた会社だが、今の西園寺には少々持て余しそうなくらい大きくなった。
「また変なこと考えてるだろ?」
「・・・・・」
「響ちゃんと2人で出来る仕事をしたいとか」
「・・・・・別に変なことじゃないだろ」
「止めとけ。今の響ちゃんの仕事は、あの子が自分で見付けた道だ。お前みたいに、ただ一緒にいたいからって始めるようなもの
とは違うだろう」
もう10年以上も一緒にいるのだ、小篠は西園寺の性格をよく知っている。
「違うか?」
面白くはないが小篠の意見はまともで、西園寺は言い返す言葉もなかった。きっと、響も同じような意見だろうと思うので、西園
寺のその野望は、今だ自分の心の中におし留めている状態だった。
「・・・・・あいつが、もっと狡賢い人間だったらな・・・・・」
(俺の金が目当てで、自分で働くことなんか考えない奴だったら・・・・・)
「そんな奴だったら、お前の目に止まらなかっただろう?」
「・・・・・」
(ムカつく・・・・・)
自分の感じている不快感を示す為に、西園寺は書類にサインをしないまま立ち上がった。
「・・・・・」
社長室から出た西園寺は、どこに行く当てもなかった。
響に心配されて煙草は止めてしまった為に喫煙ルームに行くこともなかったし、かといって、わざわざ缶ジュースを買いに行く必要も
ない。
それに、今から取引先に出向いてしまえば、響が帰ってくる時間に間に合わなくなってしまうかもしれない。
(迎えに行ければ話は早いんだが・・・・・)
「ああ、社長」
「・・・・・」
その時、タイミングがいいのか悪いのか、西園寺は夏目と出会った。
「今日でしたね?」
「・・・・・何が」
「響君が戻ってくるのが」
どうして知っているのかは聞かなかった。きっと小篠辺りに聞いたのだろうし、2人してここ数日・・・・・いや、もうひと月近く前から使
い物にならなくなった自分の悪口でも言っているはずだろう。
気の置けない悪友同士だ。それに、腕力や体力では自分や小篠に多少劣るものの、夏目の口には自分達2人共全く敵わな
いのだ。
そして、夏目は確実に落ち着かない西園寺を見に、わざわざ今日時間を空けてこの会社まできた・・・・・と、思う。
「楽しみでしょう?」
眼鏡の向こうの夏目の目は、楽しそうに笑っている。違うと言っても仕方がないと、西園寺はああと肯定した。
「待っていたからな」
「一日千秋の思いで?」
「万の日でも少ないくらいだ」
夏目は少し目を見張り、それから苦笑を零す。まさか西園寺がこんなに素直に心情を吐露するとは思わなかったのかもしれない
が、今の自分の心のガードはかなり脆くなっているはずだ。
響が戻ってくる・・・・・それだけで、西園寺の感情は揺さぶられるのだ。
お茶でも飲みませんかと言った夏目の言葉に従ったのは、他にすることが無かったからだ。
各階のエレベーターホールのわきにある休憩スペースの椅子に腰掛けた西園寺は、どうぞと夏目が差し出した紙コップのコーヒー
を受け取った。
「・・・・・」
「心配しなくても、私の奢りですよ」
「・・・・・」
一々そういう言い方をする夏目を煙たがる同級生は多かったが、西園寺も・・・・・そして小篠も、そんな夏目の言動は全く気に
ならなかった。言葉尻を気にするよりも、その言葉の中の鋭い観察力の方が面白いと思ったからだ。
そんな夏目が弁護士という言葉が武器の仕事に就いたのも当然かもしれない。
「・・・・・」
(仕事、か)
人にはそれぞれ相応しい仕事があるだろうが、それを若いうちに見つけられる者は多くはない。
だが、響はもう・・・・・見付けたのだろうか?
「養子縁組の書類は何時でも用意していますから」
「・・・・・ああ」
「戻ってきたら、直ぐに手続きをしますか?」
「・・・・・いや。それは、響の気持ちを聞いてからだ。俺の勝手には出来ない」
「・・・・・随分と気長になったな、お前も」
どうしても我慢出来なくなったのか、今ではほとんど口調を崩さないはずの夏目もとうとう学生時代に戻ったような話し方になり、
遠慮なくバシバシと西園寺の肩を叩いてきた。
親しい相手や、酒に酔った時などにはボディータッチが多い夏目は、このせいで頻繁に誤解をされて変な相手から追い掛け回さ
れるので、普段はかなり自分を律しているらしい。
(昔、響が誤解したこともあったな)
小篠と夏目が家に訪ねてきて飲むことになり・・・・・かなり酔ったらしい夏目が西園寺に抱きついて頬に唇を寄せてきた。
もちろん、西園寺も、小篠にとっても慣れたことだったが、普段は冷静沈着な夏目しか見たことがなかった響は、西園寺と夏目が
恋人同士だと思ったらしい。
その後、思い余った響が恐々西園寺に直接確かめてくるまで、その誤解を胸に抱いたままだった。
「私はほぼ1年ぶりだな・・・・・。どんな風に成長したのか楽しみだ」
目を細めて言う夏目に、西園寺はゆっくりとコーヒーを飲む。
「お前は頻繁に会ってたんだろう?」
「会ってない。響も忙しかったし・・・・・」
「響君の為に我慢したのか」
偉い偉いと頭を撫でる夏目の手を邪険に振り払ったが、夏目は全く気にしていないようだ。
「早く会いたいなあ」
「・・・・・数日は会えないはずだ」
「え?・・・・・それって、籠の中に閉じ込める気なんだ?」
「当たり前だろう。久々の再会なんだ」
「壊さないようにな」
「・・・・・」
当たり前だという言葉は言わなかった。たとえ壊したって、一つ一つを自分が再生するつもりだ。いや、多分どんなに壊そうと思って
も、響はきっと壊れない。
か弱くて、優しい存在が、自分以上に強いことを西園寺は知っていた。
夏目の奢りのコーヒーを飲んで、西園寺は再び社長室に戻った。
「・・・・・」
部屋の中では社長の椅子に座った小篠が、律儀に書類にサインをしている。今までも頻繁にあった光景だが、西園寺はじっとそ
れを見つめて・・・・・思わず口を開いていた。
「・・・・・すまないな」
「え?」
一瞬、その言葉が聞き取れなかったかのように顔を上げた小篠はじっと西園寺を見つめる。二度は言うつもりはない西園寺は、
そのまま黙ってその視線を見返した。
「・・・・・」
「うわ、怖いなあ」
人のことを氷のように思っているのか・・・・・面白くないが、そう思われても当然な日常があるので、西園寺は黙ったままもう何度
目かも分からない視線を部屋の時計に向けた。
先程確かめた時から、まだ30分も経っていない。
(もう、乗った頃か・・・・・)
「いいぞ、行っても」
西園寺の視線を追った小篠が苦笑を零している。そんなに、自分は頼りない表情をしているのだろうか?
「小篠」
「大阪からなら二時間半くらいだろ?今から東京駅に行って・・・・・まあ、少し待つだろうが、それでもここでじっとしているよりはい
いんじゃないか?」
「いいのか?」
「今日は全く使いもんにならないし。明日は有給取るか?随分溜まってるんだから少しくらい消化しろ」
「・・・・・お前もだろう」
「俺は今のところ仕事が恋人なもんでな。ほら」
どうせ行くならさっさとしろと言う小篠の気持ちが変わらないうちにと、西園寺は今入ってきたばかりの社長室を出た。
迎えには来なくてもいいと響が言って、自分もその気持ちを尊重しようと思っていたが、多分・・・・・西園寺は小篠の言葉のように
背中を押してもらいたかったのかもしれない。
1分でも、1秒でも早く会いたい・・・・・そんな自分の気持ちは消せやしないのだ。
「社長?」
「社長っ」
正面玄関から出て行く西園寺の姿を見た社員が口々にそう言っている。
ある者は畏怖を込めて、ある者は感嘆したように、ある者は憧れを込めて・・・・・その名を口にする。
(響・・・・・)
しかし、西園寺の耳には届かなかった。
今の自分は『SKファンド』の社長ではなく、西園寺久佳という1人の男でしかないからだ。
「・・・・・」
西園寺は腕時計に視線を落とす。今の時間帯ならば渋滞もないだろう。
(響・・・・・)
早く、早くと気持ちが急く。待っていようと思っていたのに、いったん気持ちが走り出してしまうと、それを止めることはもう自分でも
出来なかった。
地下駐車場の自分の車に乗り込むと、西園寺は考えることもなくアクセルを踏む。
愛しい相手が自分の腕の中に戻ってくるのはもう直ぐだった。
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「漸進する籠の鳥」の中編です。今回は西園寺側。
次回は再会、そして・・・・・と、続きます(笑)。