海上の絶対君主
1
※ここでの「」の言葉は日本語です
− 日本 −
「・・・・・っ」
水上珠生(みなかみ たまき)は焦ったように砂浜を走っていた。
夏休み真っ盛りの今夜、大学に入ってからはなかなか会えなかった高校時代の友人と海に花火をしにやって来た時、性質の
悪そうな男達に絡まれた。
3対2・・・・・人数的には 珠生達の方が多かったが、どう見ても見た目では完敗で、中でも華奢で少女のような面影の 珠生
はしつこく追い掛けられ、逃げているうちに友人達ともはぐれてしまったようだった。
(どうして俺がこんな目に・・・・・っ)
口調は悪かったが、見掛けだけは今風なモテるルックスの男達だった。浜辺には女の子のグループも幾つかあったし、普通に
口説けば十分ナンパは成功すると思った。
わざわざ男の自分をしつこく追い回す必要など無いのに・・・・・。
「お〜い、待てよっ」
「俺達と遊ぼうぜ!」
「!」
(まだ追い掛けて来てるっ)
小さい頃から遊びに来ているこの海のことは少しは知っている 珠生は、少し入り組んだ岩肌を身軽に移動し、このまま振り切
ろうと焦ったように走っている内に、何時の間にか伝説の小さな洞窟の前に来ていることに気付いた。
「満月の夜、別の世界の扉が開くんだよ」
幼い頃、父から聞いた不思議な話。
お父さんも一度だけくぐった事があるんだと悪戯っぽく笑っていた父は、2年前に海の事故で遺体も上がらないまま行方不明に
なっている。
幼い頃に母親を病気で亡くしていた 珠生は1人きりになって、父方の親戚の家に預けられていた。
苛められているわけではないが、寂しいという気持ちは常にある。
「父さんの言ってた場所・・・・・」
ふと、くぐってみようかと思った。
洞窟の向こうは微かながらも月明かりが見え、多分この洞窟の向こうは別の海岸に出るのだろう。
男達から逃げるのにもちょうどいいと思い、 珠生はその洞窟の中に足を踏み入れた。
「・・・・・うわ・・・・・冷たい」
中の空気は冷たく、半袖のシャツにハーフパンツという姿の 珠生はブルッと身体を震わせる。
それに、せいぜい十数メートルだろうと思っていた洞窟の中は意外と長く、なかなか向こう側に着かなかった。
「・・・・・1人じゃちょっと・・・・・」
(怖いかな・・・・・)
歩いていると、どんどん、歩く自分の足の感覚がフワフワと覚束無くなってきた。
まるで雲の上を歩いているような・・・・・。
「・・・・・」
(戻ろう)
唐突に不安になった 珠生はもと来た道を戻ろうと思った。もしも追いかけてきた男達がいたとしても、自分だって男なのだ、何
とかなると思ったのだが・・・・・。
「え・・・・・?」
・・・・・後ろには何も無かった。
「な、なに?」
真っ黒な空間の中に、ただポツンと 珠生だけが浮かんで立っていた。
慌てて前方を見ると、今まで微かにだが見えていた月明かりも消え、洞窟の壁も地面も何もかもが無い。
「満月の夜、別の世界の扉が開くんだよ」
父の声が頭の中に響く。
今まではただの夢物語だと思っていたことが急に真実味を帯びて襲ってきた。
怖い・・・・・ 珠生は走り出した。この場にいることが怖くて怖くて仕方が無かった。
無我夢中で走った 珠生は、不意に奈落に落ちるように見えない地下に落ちる感覚に襲われる。
そのまま・・・・・珠生は気を失った。
− セス海峡 ー
『お頭、そろそろバーリーとの国境を越えますが、水と食料の調達に商船を襲いますか?』
顎鬚を豊かに垂らした男に声を掛けられた男は、潮風にたなびく黒髪を無造作にかき上げた。
2メートル近くある大柄な身体はがっしりとしていながらスマートで、高い腰の位置に長い手足と見惚れるほどにバランスがいい。
程よく日焼けした肌に、彫りの深い顔立ち、そして深い紫色の瞳・・・・・堂々とした態度とずば抜けたその容姿で、この海峡で
は広く名を知られている海賊の頭の彼は・・・・・。
『そうだなあ・・・・・この辺は貴族の遊船も多いしな』
ラディスラス・アーディン・・・・・海賊船エイバルの船長でもある彼は、海賊ながらも誰も彼も襲うわけではなく、裕福な商船や
貴族の遊船だけを狙う(それさえも、最低限の金品は置いておく)、一種義勇軍のように見られていた。
彼らの中には、戦に負けて国を追われた兵士もいるし、ある国の貴族の三男坊もいる。
高い学歴を持つ者も、幼い頃親に捨てられた者もいた。
ラディスラスは彼らを全て受け入れ、平等に接し、船に置く者と、新たな国にきちんとした保護者を探して船を下ろす者と、き
ちんと区別をしている。
まだ26歳の若き海賊の頭は、恐れられていると同時に崇められている立場でもあった。
『近くの国に小船を向けて物資の調達に・・・・・!』
遥かに見える陸地に視線を向けようとしたラディスラスは、ふと、波の狭間に揺らぐ白いものを見つけた。
それが人間らしいと分かった瞬間、ラディスラスは腰の剣を外して甲板から海に飛び込んだ。
『頭!』
『ラディッ!』
甲板にいた部下達の焦ったような声と続けて飛び込む音が聞こえたが、ラディスラスは白い者に向かって一心に泳ぎ続け、や
がて視界の中にはっきりとした人影を捉えた。
(子供か・・・・・っ?)
白い見慣れない服を着たその人間は意識が無いのか波間に揺られたまま動くことも無い。
ラディスラスはその身体を抱き寄せた。
『・・・・・女・・・・・いや』
白い小さなその顔は、繊細に整っているが男のようだった。
抱いた身体も女特有の柔らかさはない。
しかし、その顔は今までラディスラスが知っている女達の誰よりも・・・・・白く、綺麗だった。
『お頭!死んでるんですかっ?』
『いや、生きてるっ、船に戻るぞ!』
自分の腕の中にスッポリと収まる小さなその身体をしっかりと抱きかかえ、ラディスラスは船に向かって泳ぎ始めた。
『どうだ、様子は』
軽く水を浴びて着替えたラディスラスは、船長室の自分の寝台の上に横たえられた少年を見ながら言った。
すぐ傍にいた医長のアズハルは、切れ長の目をラディスラスに向ける。
『命に別状はないようですね。気を失っているだけのようですが、体温が随分下がっています』
『・・・・・男だよな?』
『着替えさせた時に確認しましたよ。まだ幼いようですが、確かに男でした』
『・・・・・』
『しかし、かなり色が白いですね。目の色はまだ分かりませんが、これ程に白い肌の人間は見たことが無い。身体からはどこの
国の者かは分かりません』
濡れた髪を一つに縛りながら、ラディスラスは近くのイスを引き寄せてドカッと座った。
『密偵とは考えられないな』
『こんな子供を寄越すとは考えられませんね。第一、誰も気付かなければそのまま死んでいてもおかしくない』
部屋の中にいたもう1人、ラディスラスの腹心であり、甲板長でもあるラシェルが平坦な口調で言う。
ラシェルは某国の王族付きの親衛隊長だったが、内部の権力争いに嫌気がさして国を出、偶然に物資の調達で陸に上がっ
ていたラディスラスと意気投合して船に乗ったという変わり者だ。
船に乗って4年、28歳の彼は、今やラディスラスにとって頼りになる片腕となっていた。
『ただ、それまで見張りも怪しい船の影を見てはいないということだし、この者がどうやってここまで流れ着いたのか・・・・・普通な
らば遺体であっておかしくは無いぐらいですよ』
『確かにな』
『とにかく、この子の目が覚めるまでは・・・・・』
アズハルがそう言い掛けた時、寝台の上の少年が僅かに身じろいだ。
身体が重い・・・・・。
珠生はゆっくりと身体を動かそうとするが、手も足も痺れたようになっていて、まるで首から下が氷付けになっているようだ。
(・・・・・死んでる・・・・・?)
一瞬そう思ったが、何かが顔に触れている感触は分かった。
珠生は何度も瞼に力を入れ・・・・・やがて、ゆっくりと視界が広がった。
「・・・・・え?」
『目が覚めたか?』
直ぐ目の前に、男の顔があった。
見るからに日本人とは違う、しかし思わず見惚れてしまいそうなほど精悍に整った容貌の男。
しかし、 珠生は怖いと思った。何かが違う・・・・・頭の中の防衛本能が逃げろと信号を送ってきた。
周りを見れば、その男1人だけではなく。
短髪の黒髪に碧の瞳の男と、栗色の長髪に青い瞳の男と、どう見ても違う国の・・・・・いったいどこの国の人間とも分からない
男達がじっと自分を見つめている光景に、 珠生は背筋がゾクッと戦慄いた。
(逃げないとっ・・・・・!)
「!」
『あっ、おい!待て!』
自分でも驚くほど俊敏に起き上がった 珠生は、そのままドアに見える取っ手を開いて外に飛び出した。
意味不明な言葉が背中に掛かるが、立ち止まったら掴まってしまう。
そう思って走ろうとしたが、目の前に広がる光景に 珠生は思わず足を止めてしまった。
「・・・・・なんだよ、これ・・・・・」
見渡す限りの蒼い海。
肌を刺すような熱い日差し。
ここが日本だとはとても思えなかった。
「・・・・・ここっ?」
それだけではなかった。
自分が立っているこの場所が木の上・・・・・木の船の上だと分かった瞬間、 珠生は声無き悲鳴を上げてしまった。
いきなり走り出した少年を追ったラディスラスは、ドアを開けて直ぐの甲板の上に崩れ落ちる細い後ろ姿を見つけた。
その瞬間に手を伸ばして身体を抱きとめたが、小さな身体はラディスラスが思わず眉を顰めてしまうほどに震えている。
『おい、大丈夫か?』
「・・・・・こ、ここ、どこ・・・・・?」
『・・・・・』
(やっぱり異国の人間か)
今まで聴いたことが無いような言葉の響きに、意思の疎通は出来ないと直ぐに悟ったラディスラスは、とにかく身体を休めさせよ
うとそのまま少年を抱き上げた。
「なっ、何するんだよ!離せ!」
言葉が通じなくても少年が嫌がっているのは分かる。
しかし、このまま放っておくことは出来ないし、意思の疎通を取るという時間もまどろこしい。
少し考えたラディスラスは、突然腕に抱いた少年の唇に口付けをした。
「!!」
ただ重ねるだけではない、舌を絡めるような濃厚な口付けを与えると、驚いたのか気が抜けたのか、バタバタ動いていた少年の
身体が静かになる。
『・・・・・』
(まずいな)
大人しくさせる為だけの口付けに、ラディスラスは自分の方まで夢中になりかけていることに気付いた。
小さな紅い唇を征服する充実感が胸の中に沸き上がり、当初の目的以上に存分に少年の口腔内を犯したラディスラスは、
唇を離してゆっくり口を開いた。
『お前の名は?』
「・・・・・?」
『俺はラディスラス・アーディン。ラディでいいぞ。お前は?』
「ラディ?」
少年が小さな声で自分の名を呼んだので、ラディスラスは笑う。
何度も自分を指差して名前を言うと、ようやくそれがラディスラスの名前だと分かったのか、少年は強張った表情のまま口を開い
た。
「 水上、珠生・・・・」
不思議な響きの言葉だが、ラディスラスは一度で正確に聞き取った。
『タマキ?タマ・・・・・変わった名前だな。まあいい、タマ、とにかく休むぞ』
ラディスラスは笑いながら言って 珠生を抱え直すと、今飛び出したばかりの船長室に再び 珠生を運ぶことにした。
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リクエストの1位ではないんですが、異世界トリップ、海賊船長×大学生です。
少しリクエストの内容とは変わってるとは思いますが(笑)。
とにかく、今は5話で終わらせるように頑張りたいです!
ちなみに、主人公の名は、船長に「タマ」と呼ばせたくてつけました。タロ繋がり(笑)。