海上の絶対君主
2
※ここでの『』の言葉は日本語です
再び寝台に寝かせようとしたが、少年・・・・・ 珠生はラディスラス達の前で無防備に横たわることはしなかった。
丸く大きな黒い瞳にいっぱいの警戒心を抱いている様子に、医長のアズハルも苦笑を零すしかない。
「言葉が通じないようでは詳しい話を聞くことは出来ませんね。まあ、あれほど走れるなら、身体の方は問題ないとは思いま
すが」
「顔色は青白いがな」
「それは元々の白さもあるでしょうから」
「・・・・・タマ、少しは俺達の言ってること分からないか?」
身体を屈め、顔を覗き込むようにしてラディスラスは訊ねたが、 珠生は半分睨むようにしてこちらを向いたまま何も言葉を発し
ようとはしなかった。
何時もはどんな困難にも躊躇うことなく前に突き進んでいくラディスラスだが、今回だけはどうも勝手が違う。
相手が猛者や役人ならばまだいいが、少女と見間違うほどの線の細い少年なのだ。
もしも泣かれでもしたら・・・・・そう思うとなかなか動けない。
「参ったな・・・・・ラシェル、どう思う?」
「簡単ですよ。陸地に戻せばいい」
「陸地に?」
「この者が密偵であるかないかは分かりませんが、このまま船に乗せていてもこの容姿です、いずれ船員達の中でこの子を巡っ
て諍いが無いとも限りません。異端の種子は早急に摘むべきですね」
ラシェルの意見は至極もっともなものだろう。
この船の中には数十人の船員がいるが、皆男達ばかりだ。暴虐の限りを尽くす海賊ではないと自負しているエイバルの船員は、
襲った船の女達を略奪し尽くすということはなく、時折陸に下りて女を買ったりする他は基本的には欲求は自分で解消している。
ただ、頭のラディスラス他、数名の男達は女の方から足を開き誘惑することも多く、この船から下りたくないと泣き叫ぶ女も少な
くなかった。
そんな中で、一見少女のようなこの少年を船に残したままにすればどうなるか・・・・・それは簡単に予想がつく。
数時間もしない内に船員達の女にされて、奉仕を要求されるだろ。それは自然の摂理で、けして組員達が悪いというわけでは
ないのだ。
「ラディ、良ければ今から私が陸に連れて行きましょう」
「・・・・・この子は言葉が通じない子供だぞ」
「生きようと思えば、歩き始めたばかりの赤子でも保護者を探すでしょう」
冷たく言い放つラシェルだが、彼がそんな無責任なことをするとは思えない。きっと、しかるべき何者かに珠生を預けるのだろう。
それは分かるが・・・・・。
「・・・・・」
ラディスラスはじっと珠生を見下ろす。
自分達とは明らかに違う顔の造作。
力仕事などしたことが無いような柔らかな手の平や華奢な身体付き。
そして・・・・・何より闇を映したような、黒く輝く瞳・・・・・。
(このまま手放すか・・・・・?)
多分、ラシェルの言う通りにした方がいい。このままこの少年を身の内において置けば、きっと後々面倒なことになるのは分かり
きっていることだ。
それでも・・・・・。
「決めたぞ、タマは俺の女にしよう」
「ラディ?」
「船長!」
ラシェルだけではなく、アズハルも驚いたように声を上げた。
「こんな子供にあなたは何をっ?」
さすがに医者であるアズハルは賛成しかねるといったように眉を顰めるが、ラディスラスは口元に尊大な笑みを浮かべて堂々と言
い放った。
「このエイバルの船長は誰だ?」
「・・・・・あなたです、ラディスラス」
「では、俺がこの船にあるものを自由にすることを咎める者はいないはずだな?」
「・・・・・ええ」
この果てしない海の上で、絶対の統率を図るには、全ての権限を船長に委ねるしかない。
ラシェルもアズハルも、いかにも承諾しかねると言ったように眉を顰めるが、それでも頭を下げてラディスラスの意見に同意を示し
た。
(何話してるんだろう・・・・・)
今まで聴いたことが無いような言葉の響きの中で、珠生は一生懸命何か分からないかと耳を澄ませていた。
どうやら自分の直ぐ前に立つ黒髪の長髪男がこの中で一番偉いらしいというのは雰囲気で分かる。
そして、会話の途中途中で、3人の視線が自分に向くので、自分の事について話しているという事も分かる。
しかし、それ以上の情報は全く汲み取れない。
(大体、ここ・・・・・日本?)
少しだけ興奮が収まると、珠生は自分がこの船の上で目を覚ます以前のことを思い出した。
しつこい男達から逃げて、地元では有名な伝説の洞窟の中に入って、平衡感覚が無くなったかと思った瞬間に気を失ってしまっ
ていた。
再び目を覚ました時はもうこの船の上にいたが、どうもここが日本だという気はしない。
高い空と、肌を刺す暑さ。
深海を思わせる深い海の色。
それに・・・・・。
(この船・・・・・なんか昔のものみたいだし・・・・・)
幼い頃、一度乗ったことがある大型フェリーはもちろん、テレビで見た豪華客船とは全く違う、全てが木で造られている素朴な
船。
しかし、大きさはかなりあり、素朴ながらもしっかりとした造りであろうという事は分かるが・・・・・今時、こんな船が海を、それも日
本の海を航行していることなんかありうるのだろうか?
理解不能な言葉。
見たこともない船。
何か、自分でも想像出来ないようなことが起きているのだろうかとさえ思う。
「満月の夜、別の世界の扉が開くんだよ」
ふと、父の言葉が頭の中に浮かんだ。
『・・・・・まさか・・・・・』
ここが、その別の世界というのだろうか?
押さえきれない恐怖を感じた珠生は、なぜか先程教えてもらった言葉を縋るように口にした。
「ラディ・・・・・」
「ラディ・・・・・」
不意に名を呼ばれたラディスラスは、じっと自分を見つめる黒い瞳を見つけた。
「タマ?」
名前を呼んでみると、目に見えて表情が変わった。
「ラディ、あなた本当にこの子を?」
「ああ。俺の女だと言えば手を出す者もいないだろう。安心しろ、この状態の子供をどうにかしようなんて思ってないって」
「・・・・・確かに、子供に・・・・・それも少年に手を出すなどしなくても、あなたなら女は選り取り見取りですものね」
「褒められた気がしないな」
それでもラディスラスは気を悪くした様子も無く、上機嫌に笑いながら柔らかそうな頬を指先で突いてみる。
「・・・・・っ」
不安そうだった顔が、少し怒ったような顰め面になったのが面白い。
多分この少年・・・・・珠生は、見た目とは違い、もっと気の強い少年なのだろう。
「タマ」
「・・・・・」
「ターマ」
「タマキ!」
タマという呼び方が気にくわないのか、珠生は自分の名前をもう一度言う。
「タマキだろう?分かってるが、タマって言う方が呼びやすいし、可愛いだろうが」
勝手な論法だったが、ラディスラスはこの少年をタマと呼ぶことにした。
船員達の興味深々な視線を堂々と受け止めながら、ラディスラスは自分の隣に立つ少年・・・・・珠生を抱き寄せた。
ただ自分とはかなりの身長差があるので、まるで大人と子供が並んでいるように見える。
「お前達に伝えておく!このタマは、今日から俺専属の女になった!」
「!!」
いっせいにどよめいた空気に驚いたのか、珠生はパッとラディスラスの服を掴む。
その手を安心させるようにポンポンと叩くと、ラディスラスは突然の宣言に驚いている組員達に続けて言った。
「いいか、こいつを抱いていいのは俺だけだ!もしも、その掟を破ってこいつに手を出す者がいれば、問答無用で船を下ろす。
いいなっ?」
「はい!」
「よし、じゃあ、テッド、多分お前が一番歳が近いだろうし、この船での生活を色々教えてやってくれ」
「はい!」
一番年少の船員、13歳のテッドは、ラディスラス直々の命令に嬉しそうに返事をした。
「ああ、先に言っておくが、こいつは俺達の言葉が分からない。まあ、身振り手振りで何とか頼むぞ」
「え?」
一番大切な事実をさらっと言ったラディスラスは声高に叫んだ。
「明日は近くの陸に上がって食料の調達をする!期間は三日、その間遊びたいものは存分にな!解散!!」
ざっと見ただけでも4、50人はいただろう船の乗組員達は、容姿も年齢も様々のようだった。
ただ、ラディスラスが自分をどう言ったのか分からないだけに、不安は消えることはなかったが。
「タマ」
ゾロゾロと船員達が散らばった後に、ラディスラスは残った1人の少年の前に珠生を連れて行った。
(・・・・・同い年?)
背丈は167センチの珠生とほとんど変わらないようだったが、体格ははるかに逞しい感じだ。
剥き出しも腕の太さも、ひと回り違うのではないかとさえ思った。
「テッド、タマだ」
「・・・・・」
(また、タマって言ってる)
友人から付けられた猫のようなあだ名は、小学生から大学生になった今までずっと同じだ。
親しみを込めてるんだと言われるが、珠生にしてみれば軽々しく猫のように呼ばれているような気がして、あまり好きではない呼
び方だった。
「初めまして、タマ様、俺はテッドです。今日からお世話させて頂きますので、宜しくお願いします」
「・・・・・」
「タマ、テッドだ、テッド」
(・・・・・名前?)
珠生は目の前の少年を指差した。
「テッド?」
「そうだ。よく分かったな」
大きな手でグリグリと頭を撫でられた珠生は、少し恥ずかしくなって顔を赤くした。
こんな風に頭を撫でてくれたのは父くらいだからだ。
『・・・・・俺は子供じゃないんだから、こんな風に子供扱いはやめてよ!』
「ん?何を言ってる?」
『分かんないの?』
(言葉が通じないって不便!)
英語ならばまだ単語を聞き取れば意味は分かるが、この聞いた事が無い響きはお手上げだ。
辛うじてお互いの名前が分かるだけでも良しとしなければならないのかもしれない。
(それに、言葉が分かるほど長い時間、ここにいるつもりはないしっ)
広い海の上の船の上では何ともしようがないが、いずれは陸地に上がる時もあるだろう。その時何とか逃げ出して、あの洞窟
があった場所に戻れば元の自分の居場所に帰れる・・・・・珠生はそう思っていた。
それまでは、何とか生きていかなければならないし、その為にはこの船で一番偉いらしいラディスラスの機嫌を損ねてはいけない
だろう。
(どうせ、言葉は分からないんだし、顔だけ笑ってればいいよな)
「ラディ」
珠生はラディスラスを振り返った。
「どうした、タマ?」
『気安くタマタマ言うなよ。いきなりキスしたこと、絶対忘れないからな、このヘンタイ』
にっこりと笑う珠生の顔は可愛らしく、ラディスラスも思わず笑みを返したが、その口調からすれば・・・・・。
(多分、俺の悪口でも言ってるんだろうな)
意味は通じなくても、その気配を感じることは出来た。
ラディスラスは顔に似合わず気が強そうな珠生に、軽くウインクしながら言う。
「近い内に、ちゃんと抱いてやるからな、タマ」
『俺、男の長髪って嫌いなんだ』
「俺の腕の中で可愛く啼くお前が早く見たいな」
『何時までここに立たせてる気?気が効かないな』
「お前みたいな可愛い魚を釣り上げて、俺は幸運だと思うぜ」
『ここ、暑いんだけど。早く部屋に戻してよ』
どちらの国の言葉も分かる者が聞いていたならば噴き出してしまいそうなほど食い違っている会話を、お互い綺麗な笑みを浮
かべたまま言い合っているのだろう。
ラディスラスは久し振りに・・・・・いや、初めてかもしれない綺麗な生きのいい相手に、これから先がどんどん楽しみになってきた。
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ここまで書いて、本当に5話で終わるのかなと不安になってきました(笑)。
とりあえずは短編のつもりで続けますが、長くなりそうになったら・・・・・まあ、その時で。
次回は陸に上がりますよ〜。