ACCIDENT



12








 太朗は緊張していたと同時に湯浅しか見ていなかったようだが、久世はガラスに映る太朗の姿を見ることが出来た。
くっきりとしたシルエットではないが、久しぶりに見る元気な顔。最後に会ってからそれほど時間は経っていないので変わるはずはな
いのだが、久世はその姿を見てやっと会えたと思っていた。
 何回か送ったメール。
長い文章を打つのも変なので、ただ、会えないかとだけ送っていた。
その返事が来ないだろうということは分かっていたし、実際に何の音沙汰もなくても、それで太朗を責めるような思いも生まれては
いなかった。
 ただ、会いたい。あの屈託のない笑顔を間近で見たい。
そんな些細な願いさえも叶えられないということが返って新鮮で、久世はその願いが叶うまで生きなければなと漠然と思っていた。
 「タロが言ってたとこ、羽生会と揉めているのか?」
 他人のことに全く関心がない久世は改めて湯浅に聞いたが、湯浅はいいえと首を横に振った。
 「系列も違いますし、ほとんど接点は無いと思います」
 「・・・・・タロはどういう意味でその名を出したんだろうな」
 「調べましょうか?」
 「・・・・・」
どうしたらいいのか、久世は直ぐに返事が出来なかった。太朗は自分に何も言ってはいないのだし、湯浅にも詳しい理由を説明
したわけではなく、それなのに自分が勝手に動いていいのだろうか。
(迷惑かも・・・・・しれないし、な)
 「・・・・・」
 「少しは、苑江君の力にもなれるかも知れませんし」
湯浅の言葉に、久世はふっと顔を上げる。
思い掛けないことを言われたと思った。
(タロの力?)
 「・・・・・あいつ、怒らないか?」
 「自分の為を思ってしてくれたことを怒るような子ではないと思いますよ」
 「・・・・・」
自分よりも太朗のことを知っているような湯浅の言葉に、久世は少しだけ眉を潜めた。



 「渡りがついたのか?」
 「はい」
 小田切はにっこりと笑って頷いた。
 「ちょっとした知り合いがいましてね。仙道会の利根さんとは知らぬ仲でもないというので」
 「・・・・・」
(どういった知り合いだかな)
きっと小田切の飼い犬の一匹だろうが、たかが犬だからといってもその情報量は侮れない。
実のところ、上杉は今現在小田切がお気に入りの犬の一匹と一緒に暮らしているということは知っているが(なんとそれは警察官
らしい)、それ以外に、何匹放し飼いの犬がいるのかは知らないのだ。
もちろん、犬という言い方はしているが彼らはちゃんとした人間で、年齢も地位も収入にもかなり幅があるのだが、その誰もが小田
切にとってはちゃんと有益な存在らしい。
(一度、ずらっと並べて見てみたいもんだな)
 しかし、とにかくその小田切の犬のおかげで、全然系列の違う利根と連絡がついたのだ。下っ端な人間ではなく、かなり重要な
地位にいる利根と、羽生会の会長をしている上杉が顔を合わせればそれなりに周りがざわつくだろうが、小田切はそれにもちゃん
と手を打ったらしい。
 「あなたがたまたま食事に行った場所に、あちらもたまたま来られるそうです。今夜8時、よろしいですね?」
 「ああ」
 上杉としてはさっさと片付けたい問題なので、これほど小田切が素早く動いてくれたのは正直言って助かった。
本当は・・・・・上杉自身が動きたいくらいなのだが、仮にも一つの会派を背負っている頭が気楽に動くということは出来ない。しか
も、相手は一応対立関係にある人間なのだ。
 「太朗君、どうですか?」
 「ん?まあ、大丈夫かってしきりに言ってたな」
 「可愛いじゃないですか。殺しても死にそうにないあなたに向かってそんな心配をするなんて」
 「・・・・・殺されたら死ぬだろ」
 「そうですか?」
 小田切との言葉遊びは妙に神経を磨り減らしてしまうことばかりなので、上杉は直ぐに話題を変えることにした。
 「で、もう一つの・・・・・州央組か?そっちはどうだ?」
 「ああ、それは地方の新興の組でした。子供をくれと言ってきたバアさんとは土地絡みで繋がりが出来たようですね。バックには
何もついてないし、向こうは少しお灸をすえれば勝手に退散してくれるでしょう」
 「金持ちの考えることは分からねえな」
 「血筋が大切なんて今更ナンセンスですよね。そんなに血を絶やしたくないなら、そのバアさんが頑張って子供を産むくらいすれ
ばいいのに」
 「・・・・・」
小田切の言葉を頭の中で想像した上杉はさすがに苦い顔をした。
 「薄気味悪いこと言うなよ」
 「今時高齢出産なんて珍しくないでしょう」
 「・・・・・それにも限度があるだろう」
 「そうですか?」
自身がゲイだからというわけではないだろうが、小田切の女に対する目はかなり厳しく辛辣だ。今まで上杉が過去に遊んできた女
達はもちろん、今回の元妻の佑香のこともあまりよく思っていないのは分かる。
そんな小田切が、先日会った佐緒里のことを褒めていたのは納得がいくが。
 「よし、今夜はきっちり話をつけるか」
 「頑張ってください」
 「タロの為だしな」
 「その前に」
 のんびりと背伸びをしようとした上杉は、デスクの前にドンと置かれた書類の束を見て動きを止めてしまった。
2センチはありそうなその書類の束の意味が・・・・・考えたくない。
 「・・・・・」
 「内容は全て私がチェックしていますので、後はあなたのサインです」
 「これ、全部か?」
 「7時までには終わるでしょう」
時計の針は午後2時を少し過ぎた頃だ。今から5時間近く、ここに座ったままでいなければならないのだろうか。
 「小田切」
 「私も、ここで仕事をしますから」
言外に逃げることは許さないと言っている様な小田切に、上杉は諦めたような深い溜め息をついた。



 「いらっしゃいませ」
 都内某所の料亭に着いた上杉は、丁寧に頭を下げる女将に向かって言った。
 「今日も盛況みたいだな」
 「ありがとうございます。おかげさまで、上杉様で満室でございます」
 「・・・・・頼む」
その言葉に上杉は表情を引き締めた。既に利根が来ているということが分かったからだ。
そのまま、女将は全てを心得ているかのように上杉と小田切を先導して、一番奥の、少し離れのようになっている座敷へと案内
する。
 「連れはいたか?」
 「はい、お1人様ほど」
 「・・・・・」
 「多分、幹部ですよ」
 小田切がなんでもない風に続けたので、上杉も連れに関しては考えないようにした。そのあたりの上杉の小田切への信頼度は
半端ではないのだ。
そして。
やがて座敷に続く襖の前に膝を着いた女将が静かに声を掛けた。
 「利根様、ご挨拶をされたいお客様がいらっしゃるのですが」
 「ああ、入れ」
重厚な返事が返って、女将は失礼しますと言いながら襖を開けた。
 「ああ、誰かと思ったら、羽生会の」
 「初めまして。こちらにお越しとのことで、少しご挨拶を」
 「せっかくだ、そこに立ってないで中に入って来い」
 「はい」
 全てが打ち合わせ通りなのだが、上杉と利根は誰に聞かれてもいいようにそう言い合った。
きっちりと一礼した上杉が中に入ると、そこには顎鬚を蓄えた50代の大柄な男と、側に控えるようにして更に立派な体躯の男が
座っている。
この、年上の男が利根であることには間違いが無いだろうし、まだ30代半ば位の若い男が護衛を兼ねている幹部なのだろう。
その男の体格と男らしい容貌を見て、上杉はやっと納得がいった。
(ああ、小田切の犬だったか・・・・・)