ACCIDENT



13








 三榮会系仙道会会長、利根治(とね おさむ)。
彼が会長を襲名したのは確か5,6年ほど前で、上杉の妻だった佑香と関係を持ったらしい13年前は、若頭という地位だっただ
ろう。
(まあ、少し・・・・・変な感じだな)
今の上杉は佑香に何の感情も持っていないが、今目の前にいる男は自分の妻だった時の佑香に手を出していた男なのだ。
元夫である自分と、現在進行形の関係を持っている利根。勝ち負けなどは関係ないだろうが、明らかにその時は上杉は利根に
負けていたのだろう。
 今はお互い会派を背負っており、勢いや資産から言えば自分の方が勝っているという自負があるが、積み重ねてきた年月とい
う目で見えるものに換算出来ないものが利根にはあった。
 「まさか、こんな話題でお前と会うことになるとはな」
 「話は?」
 「野口から聞いた」
 「若頭補佐の、彼です」
 利根の言葉に付け加えるように小田切が言うと、後ろに控えていた若い男が軽く頭を下げた。
 「お前、知り合いか?」
いくらなんでも若頭補佐が小田切の犬ではないかも知れないと思ったが、小田切は嫣然と笑みを浮かべたまま答えない。
その代わりのように、利根が苦笑を零しながら言った。
 「個人の付き合いまで制限出来ないだろう、上杉」
 「・・・・・そうですね」
(じゃあ、やっぱり・・・・・)
どういった経緯で、どれ程の深さの付き合いかを知りたくないわけではなかったが、この場にいるということがその答えのような気がし
た。
上杉はそれ以上は野口という男に意識を向けることなく、先ずは利根に向き合って軽く頭を下げた。
 「こちらからの勝手な話に時間を割いて頂いて申し訳ありません」
 「お前が頭を下げることはない。むしろ、お前に責められても仕方がないのは俺の方だからな」
 人の女を寝取る。
この世界ではそれほどに珍しいことではなかった。
もちろん下の人間が上の地位の人間の女に(妻や娘はもちろん、囲っている女や手を付けた女も含めてだ)手を出すことはとても
出来ないが、下っ端の人間が自分の女を上の人間に差し出すことはままあるのだ。
その当時、上杉は頭角を現してはいたがまだ地位的には幹部にもなっておらず、利根はもう若頭という地位だった。
系列が違うとはいえその差は明白で、その頃上杉が2人の関係を知ったとしても文句は言えなかっただろう。いや、今以上に血
気盛んな年頃だったその頃なら、単身でも乗り込んで行ったかも知れないが。
 どちらにせよ、それはもう上杉にとっては過ぎ去った過去の話だ。
今は現実に存在する子供のことだけを考えなければいけないだろう。
 「俺はな、上杉、子供は女しかいないんだ」
 「・・・・・」
 「あの子らが俺の子なら、こんなに嬉しいことはない」
 「では、受け入れる気はあるんですね?」
 「もちろんだ。・・・・・あの子らさえよければな」
 今、利根は独身だ。
妻は3年前に病死して、昔ほどには遊びもしていないらしいと小田切が報告していた。
それならば、利根の女と言えるのは佑香だけだろう。
 「それは・・・・・良かった」
 「・・・・・そうか?」
 「違いますか?」
 「子供にとっては、俺なんかよりもお前が親父の方がいいんじゃないか?」
 「・・・・・」

 「オヤジ」
 「パパ!」

 数週間前に、13年ぶりに再会した時、2人の子供は躊躇いなく上杉をそう呼んだ。
下の子は繋いでいた佑香の手を振りほどいて上杉の腰に抱きつき、上の子は少し固い表情をしながらも真っ直ぐな視線を向け
てきた。
上の子・・・・・佑一郎は、さすがに自分の弟の父親が上杉ではないことを知っているようだが、弟に対して一言もそんな言葉を言
わなかった。明らかに、上杉が自分達の父親なのだと、自分自身に思い込ませるように・・・・・。
(拙かったか・・・・・)
 子供に対して余計な雑音は入れない方がいいかと口を噤んでいたことが、かえって2人の心を知らずに自分の方へと引き寄せ
ていたのかもしれない。
既に50を過ぎた男と、30代の自分と。男の価値は見掛けや年齢は関係ないのだが、子供にそんなことを言っても分からないだ
ろう。
それでも、佑香の口から、下の子はもちろん、佑一郎もこの利根の子供だということをはっきりと聞いた今、上杉は自分の取るべ
き態度は決まったような気がした。
 「そんなことはありませんよ」
 「・・・・・」
 「俺はあの子らに愛情を向けられませんから」
 「上杉」
 「俺にとって大事なのはたった1人。それ以外の人間に情は向けられません」
 もしも、佑一郎が真実自分の子供だったとしても、上杉にとっての優先順位に変わりはない。
 「利根会長、3人をよろしくお願いします」
上杉は姿勢を改めて深く頭を下げた。
すると、利根も崩していた足をきちんと座りなおすと、上杉に向かって頭を下げる。
 「引き受けた」
多分・・・・・利根は飛び込んでくる3人を受け止めてくれるだろう。
上杉は深い安堵の溜め息をつくと、しばらく頭を上げることが出来なかった。



 そのままここで食事をしていくという利根に挨拶をし、上杉と小田切は座敷を辞した。やはり系列違いの人間が仲良く酒を酌
み交わすというのも余計な問題を引き起こしそうで、上杉は早々に退散することにしたのだ。
その時、座敷の外まで見送ってくれたのは野口という若頭補佐だった。
 「本日はご苦労様でした」
 利根の代わりというように頭を下げた野口に、上杉は笑いながら手を振った。
 「いや、こっちこそ余計なことを言いに来たようだ。利根会長は既に心を決められていたようだからな」
 「・・・・・」
 「それより・・・・・いいのか?」
上杉はちらっと小田切を振り返った。
このままここで帰ってもいいのかという意味を込めたつもりだった。
 「・・・・・そうですね、2、3分待ってもらってもいいですか?」
 「5分でもいいぞ」
今回渡りを付けてくれた事への褒美だと笑いながら、上杉は先に歩き始めた。



 「・・・・・裕さん」
 上杉の背中が見えなくなった途端、野口はその名前を口にした。
 「今日はありがとう。お前があらかじめ利根会長に情報を伝えてくれたおかげで、話がすんなりと終わることが出来た」
 「いいえ、そんなことは」
小田切よりも高い・・・・・上杉と同じくらいの身長の野口は、上杉よりも更にがっしりとした体格だ。
それでも、小田切にとっては野口は可愛い犬だった。
 「最近構ってなくて悪かったな」
 「それなら・・・・・」
 「ん?」
 「近いうちに、会って下さい」
 「・・・・・」
 「俺だけでなく、他の連中もなかなか裕さんに会えなくて・・・・・忙しいのは十分分かってますが・・・・・」
 「分かった」
 「え?」
 「時間を作ろう」
 確かに、最近は本業が忙しくて、放し飼いにしている犬の様子を見ることさえままならなかった。
身体の欲求は、今一番お気に入りの飼い犬1匹でも十分だったので(小田切自身は淫乱と呼ばれるほどに性欲が強いわけで
はない)、余計に世話を後回しにしてしまったのだ。
それでも、可愛い犬にこんな表情をさせたいわけではない。
 「私から連絡をするから、大人しく待っていなさい」
そう言って、細い指でまるで愛撫するかのように野口の唇に意味深に触れると、小田切はそのまま上杉の待つ玄関先へとゆっくり
と歩いて行った。