ACCIDENT
14
「例の男と会った。大丈夫だ、心配するな」
夕べ、上杉は簡単に元妻の今の交際相手に会ったという報告をしてくれた。
それまで色々黙っていて太朗を不安にさせたということがあるからか、上杉は詳細までは話さなかったが、大まかな話の流れは太
朗に説明してくれた。
(良かった・・・・・上手くいくんだ)
それを聞いた時は太朗もすっかり安心したものの、一夜明けてやはり上杉の顔を見たいと思ってしまった。
声は元気で、何かあったとは思わないが、それでもちゃんと顔を見て安心したかった。
(俺だって当事者だもんな)
母には、朝家を出る時に上杉の事務所に寄ると言った。
週末の外泊は止めた母だが、その太朗の言葉にはにっこりと笑って頷いてくれた。
「明日も学校なんだから、遅くならないうちに帰りなさい」
分かってくれる人がいるということは幸せなことだと思う。
それが一般的には理解し難いことであっても、こうして味方になってくれる母が心強い。
太朗は元気にうんと返事をすると、足取りも軽く学校へと向かった。
夕べは少し考え事をしていたせいで寝不足だったのか、4時限目の古文の時間に堂々と居眠りをしてしまったらしい。
らしい・・・・・と、いうのは、何度も声を掛けられても、どんなに頭を小突かれても、太朗は目を覚まさなかったからだ。
結局、定年近い(生徒達からはオジイと呼ばれている)教師は諦めたようで、そのまま太朗の席の直ぐ側に立って授業を進めた
のだと、クラスメイトでもある大西が呆れたように話してくれた。
「お前、終了のチャイムが鳴った途端起き上がって、腹減ったって叫ぶんだもんな〜」
それで、気が付いた時にクラス中が爆笑していたのかとようやく記憶が繋がった太朗は、絶対に母にこの話は聞かせられないと
思ってしまった。
(今・・・・・4時半か。ジローさんいるかな)
普通の会社とは少し違うので、いったい何時頃に行けば邪魔にならないのだろうかというのは良く分からない。
何時も太朗が訪ねた時、皆は歓迎してくれるので(それは上杉か小田切が同行することが多いからかもしれないが)、暇な時間
帯が分からないのだ。
(忙しそうだったら待っててもいっか)
今日の訪問は知らせていないし、とりあえず最悪話は出来なくても元気な顔が見れればいいと思い直した太朗は、羽生会事
務所最寄のバス停でバスを下りた。
「・・・・・」
そのまま真っ直ぐに歩き出した太朗は、不意に鞄の中から携帯電話の音が聞こえているのに気付いた。
「誰だろ?」
相手に思い当たらなくて、そのまま足を止めずに鞄の中を探っていた太朗は、ふと顔を上げた視線の先を見て足を止めた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・えっと・・・・・佑、一郎、君、だっけ?」
視線の先に立っていたのは、戸籍上は上杉の実子であるはずの佑一郎だった。
(な、何でここに・・・・・あっ、ジローさんに会いに来たとか?)
ここから羽生会の事務所までは100メートルもない距離だ。佑一郎が太朗と同じように上杉に会いに事務所に来たとしてもお
かしくはない。
ただ、そこに立っているのは佑一郎1人だったのが、少し不思議に思ってしまった。
(奥さんと下の子は・・・・・あ)
「あ、あの、お母さん達、ジローさんに会ってる、とか?」
「・・・・・」
「あの」
「・・・・・」
黙って立っている佑一郎は、それだけでもかなり存在感がある。
着ているのは学校の制服のようだが、ブレザーのそれを着ているととても中学生には見えなかった。
太朗よりも目線は僅かに上で、嫌味なほどスタイルもよく、なんだか上杉の中学生時代の姿を見ているような気さえした。
(血は繋がってないって言ってたけど・・・・・なんだか、ミニチュアジローを見てる感じ)
「・・・・・」
だが、中学生相手にビビッてどうすると思い直した太朗は、ムンッと目一杯目に力を入れて言った。
「・・・・・おいっ、人が話し掛けてるんだから、うんとかスンとか言えよなっ」
「どこ行くんだよ」
「・・・・・っ」
(い、いきなりしゃべるとびっくりするじゃん!)
考えれば、太朗は今まで佑一郎の声を一度しか聞いたことがない。初対面に会った時の、
「オヤジ」
と、上杉を呼ぶ声だ。
だが、そのたった一言が強烈に印象に残っていたのだが、言葉の響きはよく覚えていても、声の印象はあまり記憶に無かったのだ。
佑一郎は中学1年生、自分よりも4歳年下の、まだ子供といってもいい年頃なのに、既に声変わりが始まったかのように響きがい
い声だった。
(何か俺・・・・・負けてる?)
「答え」
太朗がまじまじとその顔を見つめていると、佑一郎がさらにポツリと続けて言う。
太朗は慌てて答えた。
「ジ・・・・・う、上杉さん、とこ」
子供の前で(父親だと思っている)上杉の名前を呼ぶのもおかしいかと思って言い直した太朗の顔をじっと見ていた佑一郎は、
少し間を空けてから口を開いた。
「少し話せる?」
「お、俺と?」
「そう」
「・・・・・」
(な、何だろ・・・・・文句?)
佑一郎が何を考えているのかは分からなかった。
ただ、母親から上杉の言葉を伝えられている可能性は無くはないだろう。
(そうだとしたら、ちょっと落ち着き過ぎだけど)
子供らしくないその態度が何のせいかは分からないが、太朗は嫌だと首を横に振ることはとても出来そうになかった。
「どうしました?」
「出ない」
上杉は眉間に皺を寄せて携帯を切った。
太朗の日常のスケジュールはほぼ把握しているので、今はもう家に付いた頃だと分かっている。
携帯を常に持っていないと不安という性格でもないので、もしかしたら鞄の中か机の上に放り出している可能性も考えられるが。
「残念でしたね、今日こそゆっくり会いたかったんでしょう?」
「月曜日だ、泊まらせたりは出来ねえだろ」
「でも、何の為に湯浅と会っていたのかは聞きたいんでしょう?」
「・・・・・」
何もかも分かっているような小田切の口振りは面白くないものの、それが当たっているので上杉は否定をしなかった。
(心配はしていないが・・・・・確かめたいだけだ)
太朗に付けていたガードからの報告で、昨日の昼間太朗が八葉会の湯浅と会ったことを知った。
ただ、その時間は車の中の移動も含めて15分も無かったようだったし、会っていた喫茶店の周りにはかなり八葉会の組員もいた
というので、話の内容までは分からないとのことだった。
太朗が何の為に湯浅と会ったのか・・・・・多分、湯浅の方から太朗に連絡を取るということは考えられないので、太朗の方から何
らかのアクションを取ったはずだ。
ただ、太朗は上杉が久世のことをあまり面白くないと思っていることも知っているはずなので、何か余程のことが無い限り自分から
行動するとは考えられなかった。
「・・・・・」
「会長?」
「・・・・・」
上杉はもう一度太朗の携帯に電話を掛けてみる。
何度も呼び出し音が続いて・・・・・不意に留守電に切り替わった。
「・・・・・俺だ。電話をくれ」
太朗の声を聞けば、漠然とした謎も不安も直ぐに消え去ってしまうはずだ。
上杉はそう思ってメッセージを残すと、晴れない表情のまま携帯を切った。
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