ACCIDENT
16
いきなり謝ってきた太朗に久世は途惑ってしまった。
「タロ、どうした」
「俺、ずっとシ、久世さんからの連絡、無視してて・・・・・本当は断わるならちゃんと伝えないといけないのに、そんな言葉を久世
さんに言うのが嫌だから無視するようなことして・・・・・本当にごめんなさい」
「タロ・・・・・」
(お前が謝る必要は無いのに・・・・・)
久世が太朗に連絡を取り続けたのは久世の勝手な気持ちからで、その心のどこかには太朗からの返事を望むと同時に、太朗か
ら連絡がくるわけが無いというのも分かっていた。
久世は、太朗に自分を受け入れてもらいたいとは思っていたが、それは太朗の気持ちを無視してまで叶えたい思いではなかった
のだ。
「・・・・・俺の存在は迷惑だったか?」
「・・・・・迷惑、じゃ、無いけど・・・・・困ってる」
「・・・・・」
「久世さんがいい人だって分かってるから、俺・・・・・」
まだ高校生の子供に、これ程気を遣わせてしまったのを悪いと思う。
だが、どこかで太朗がそれほど思い悩むくらいに、自分という存在が太朗の中で大きいのは素直に嬉しかった。
(簡単には上杉に勝てないというのは分かっているが)
もしかして、無理に諦めることなどしなくてもいいのかもしれない・・・・・久世はそう思いながら、視線を少し離れたベンチに腰掛け
たもう1人の子供に向けた。
「あれが上杉の子か?」
「え?久世さん、どうしてそれ・・・・・」
「・・・・・」
「もしかして、湯浅さんから何か聞いた、とか?」
「・・・・・ああ」
「・・・・・そっか」
「怒らないのか?」
「だって、湯浅さんの立場なら久世さんに報告するかなって・・・・・今思いついちゃいました」
そう言うと、太朗は少し困ったような笑みを浮かべた。
(そうだよな、湯浅さんが久世さんにしゃべっちゃっても仕方が無いか)
昨日は太朗としてもテンパッテしまっていて、とにかく上杉の身に危険が無いかどうかが心配でたまらなかったのだが、湯浅の上
司は久世で、その上司に報告をするのは当たり前かもしれないと、ようやく思考が追いついてきてしまった。
太朗からすれば上杉の事情は全く話さなかったつもりだが、上杉と同じ世界にいる湯浅は前後の事実からある程度のことは調
べたのかもしれない。
そもそも、太朗が個人的にヤクザの組に含むことがあるわけが無いのだ。
(う〜・・・・・聞く相手を間違えたかもしれないけど、あの時は湯浅さんしか思い浮かばなかったんだよなあ〜)
「タロ」
「・・・・・」
太朗は、少しトーンを落として自分の名を呼ぶ久世を改めて見上げた。
最後に会ってからそれほど日は経っていないので、変わったところを探す方が大変だった。
「久世さん、今日は・・・・・」
「上杉のことだが」
「え?」
「お前という相手がいるのに、元の女房や子供と会ってるらしいな」
「あー・・・・・うん」
「どういうつもりなんだ、あの男は」
佑一郎に聞こえないかとチラッと視線を向けてみたが、歳以上に大人びた少年はベンチに座ってじっと地面を見下ろしている。
彼が何を考えているのかは分からないが、今の時点では間違いなく彼は上杉の子供という立場だ。
父親の悪口など聞きたくないだろうと思った太朗は、更に言葉を続けようとする久世に言った。
「あの、俺はもうちゃんと分かってるからっ」
「タロ?」
「ジローさんのこと信じてるし、心配してくれてありがとう、久世さん。でも、本当に俺大丈夫だよ」
「タロ、お前・・・・・」
「ちゃんと、ジローさんと話し合って考えなきゃいけないことなんだ。・・・・・ごめんなさい、久世さん。俺、久世さんに対して酷いこ
とばかりしてるよね」
久世の伸ばしてくる手を取ることも出来ないくせに、自分から再び近付いて行く真似をしたことが恥ずかしかった。
太朗からすればそれは上杉のことを考えてのことだが、久世からすればどうなのか・・・・・。
そういう風に久世のことも思いやることが出来なかった自分の狭い心が恥ずかしかったが、してしまったことを無かったことには出来
ないのだ。
「本当に、ごめんなさい」
口で謝罪することしか出来ないが、太朗は心から久世に向かって謝った。
「・・・・・」
「行かれなくてよろしいんですか?」
公園の外からじっと中の3人を見つめていた上杉は、太朗に付けていた護衛にそう言われて僅かな苦笑を口元に浮かべた。
「今俺が行ったら、タロの気持ちを踏みにじるだろ」
太朗の携帯が繋がらなくて、上杉は妙に胸騒ぎを感じてしまった。
直ぐに太朗に付けている護衛に連絡を取ってみれば、佑一郎と鉢合わせをして事務所近くの公園に向かっているとのこと。
なぜ、太朗がこの事務所に、いや、裕一郎は何の為に太朗に声を掛けたのか。
分からないことだらけの事実を全て確認する為に直ぐに事務所を飛び出した上杉だが、公園にいる2人の姿を確認したかと思う
と同時に、もう1人意外な人物が現れて思わず足を止めてしまった。
(・・・・・久世?)
羽生会の縄張りに、それも事務所が直ぐ側にあるこんな場所に、なぜ久世が1人で現れたのか・・・・・。
「・・・・・」
(いや、いるか・・・・・)
当然のことながら、久世がここまで1人で歩いてくるわけはなく、上杉は直ぐに近くに何者かが潜んでいることに気付いた。
同じ系列なので敵対するということはないのだが、それでも他の組の縄張りに無断で主要人物が入り込んでくることは少ない。
ましてや今会っている太朗が、羽生会の会長である上杉の恋人ということを久世は知っているのだ。
(どういうつもりだ)
昨日の湯浅の事といい、自分が知らない間に久世が太朗に接触しようとしているのは面白いわけがなく、上杉は今度こそきちん
とした態度を取らなければと一歩足を踏み出そうとした。
しかし。
「ジローさんのこと信じてるし、心配してくれてありがとう、久世さん」
(タロ・・・・・)
太朗はきちんと久世を拒絶していた。
いや、面前でシャットアウトをするというわけではなく、久世が向けてくる好意を受け取るわけはいかないと、自分の口でちゃんと伝
えていた。
それが太朗にとってどれほど胸が痛くなるような辛い言葉か、上杉は分かり過ぎるほど分かってしまった。
「・・・・・戻る」
「会長」
「多分、タロと佑一郎はこのまま事務所に来るだろ。俺は何も見なかった・・・・・いいな?」
「はい」
上杉は太朗の姿から無理矢理視線を外すと、そのまま事務所に向かって歩き始める。
周りには何人もの護衛がいるがその姿は全く視界に入らないまま、上杉は今の自分の醜い気持ちに対して舌打ちをした。
(・・・・・ったく、ガキなのは俺の方だな)
今から、太朗が事務所にやってくるまで。その時間は長くはないだろうが、太朗と久世は同じ時間を過ごすことになる。
その間2人が何を話すか、太朗がどんな目で久世を見るか、想像するだけで嫉妬してしまうが、それでは自分を信じてくれる太朗
の気持ちを疑うことになってしまうだろう。
元妻や子供という、本来まだ受け入れるには大き過ぎるはずだった問題を、子供である太朗はきちんと考えて答えを出してくれ
たのだ。
「俺があいつを信じないでどうする・・・・・」
思わず零れてしまった独り言は意外に大きなものだ。
だが、もちろん周りの護衛は何も聞こえないかのように淡々と付いて歩いている。
(多分、小田切にせっつかれるだろうな)
嬉々として付いて行きたがっていた小田切を何とか抑えて来たのだ。きっと事の顛末を話すまでは許してくれないだろうなと思っ
た。
小田切の相手をするのを想像するだけで、上杉は溜め息が洩れてしまった。
(いっそ、あいつに様子を見に行かせた方が良かったか・・・・・?)
それはそれで、問題が更に大きくなっていたかもしれず、上杉は仕方がないという諦めの境地になっていた。
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