ACCIDENT



17








 太朗が羽生会の事務所に現れたのは、それから20分もしない頃だった。
 「こんにちは!」
元気良く声を出しながらビルの中に入ってきた太朗は、何と佑一郎と手を繋いでいた。いや、正確に言えば佑一郎の手首を太
朗が掴んでいたのだが、一見仲良く(太朗はともかく、佑一郎は無表情だったが)姿を現した2人に、自分の部屋から降りてきた
上杉はさすがに目を眇めた。
 「何だ、タロ、そいつと一緒だったのか?」
 先程の公園での一幕を全く見なかったものとして言った上杉に、太朗はコクンと笑いながら頷いた。
 「ここの前で会ったんだよ。な?」
 「・・・・・」
 「おい、こんにちはぐらい言えよなっ」
 「・・・・・」
黙ったまま、それでも太朗の言葉に譲歩を見せるように軽く頭を下げた佑一郎を、上杉はじっと観察するように見つめた。
自分の子供ではないだろう・・・・・そう初めから思っていたせいか、自分でも冷たいと思うほどに佑一郎へ感じる感情はほとんどな
かった。
そんな自分に反抗して、佑一郎自身あまり子供らしくないような醒めた態度なのかと思っていたが、どうやらこれは元々の本人の
性格のようだ。
(血が繋がってないくせに、こんなとこがガキの頃の俺に似てるなんてな)
 だが、多分そんなことを思っても今更だろう。
上杉は利根に筋を通した。後は彼がこの子供の保護者となって導いてやるはずだ。
部外者になってしまう自分が中途半端に情を掛けない方がいいと思った上杉は、そのまま佑一郎から太朗に視線を移した。
 「今日はどうしたんだ?平日にここまで来るのは珍しいだろ」
 「う、うん」
 「昨日の電話、心配させたか?」
 そう話し掛けながら、上杉は2人をエレベーターに誘導した。
会長の恋人と隠し子(別に隠していたつもりはないが)の対面に、組員達が興味津々な視線を向けていることが分かるからだ。
(別に修羅場じゃないんだがな)
組員達が素直で元気な太朗に好感を抱いていることは知っているし、それと同時にもしかして将来の跡継ぎになるかもしれない
佑一郎のことも無視出来ないのだろう。
今現在男である太朗を恋人としている上杉が、もしもこの先女と付き合うことがなかったら、佑一郎は上杉の唯一の息子となる
のだ。
 佑一郎と自分の血縁関係を組員達に一々説明するつもりはなかったが、もしも仮に佑一郎が自分の本当の息子だったとして
も、上杉は世襲制には疑問を持っている方なので、佑一郎に跡を継がせる可能性はほとんどないと言っても良かった。
 「それとも、俺の顔を見たかっただけか?」
 「ち、違うって!あ・・・・・えっと、そんなことはないんだけど・・・・・ちょっと、だけ、そうかも」
 太朗はへへっと苦笑した。
 「俺なんかが心配することないと思ったんだけど、やっぱりちゃんとジローさんの顔見ときたくて。でも、思った以上に元気そうで良
かった。もしかして・・・・・落ち込んでるかなって、思ってたし・・・・・」
 「俺が?」
 「・・・・・うん」
そう言った太朗は、無意識なのか視線を佑一郎に流した。
 「・・・・・」
(ああ、こいつのせいか)
 十数年、たとえ戸籍だけの関係であっても、佑一郎は確かに上杉の息子だった。
それが、その権利を実の父親だろうが他の男に渡してしまうのだ、きっと寂しい思いをしているかもしれないと思ったのだろう。
しかし、素直な太朗には申し訳ないが、上杉はそんな殊勝な男ではなかった。
ホッとしたとまでは言わないが、仕方ないと直ぐに思えた。所詮、自分は父親になれる器の男ではなかったということだ。
 「せっかくだ、飯でも食いに行くか」
 「・・・・・あ、あのさ」
 「ん?」
じっと自分を見上げてきた太朗に笑いながら聞き返すと、珍しく一瞬上杉から気まずそうに視線を逸らした太朗は、やがて直ぐに
眉を下げて口を開いた。
 「・・・・・ごめん、俺、久世さんに会っちゃった」



 久世とは会わないという上杉との約束を破ったことは、もしかしたらこのまま自分が何も言わなければ分からないことだったかもし
れなかった。
いくら同じ世界にいるとはいえ、あまり久世を良く思っていないらしい上杉が自分から久世に近付いていくことはないだろうし、久世
の方もわざわざ上杉に太朗と会ったことを言うような人間ではないとは思っている。
それでも、不可抗力とはいえ上杉との約束を破ったことは確かで、それをこのまま黙っていても自分の胸が苦しくなるだけだった。
(ジローさんには面白くないことかもしれないけど・・・・・)
太朗は、後で誰かの口から伝えられるよりも、今自分の口から上杉に伝えておいた方がいいんじゃないかと思った。
(それに、絶対分かっちゃうだろうし)
嘘や隠し事が下手な自分の性格を太朗もちゃんと自覚しているのだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(お、怒って・・・・・ない?)
 心配していたような怖い雰囲気は上杉からは感じなかった。
その顔にも、仕方がないなというような苦笑が浮かんでいるだけだ。
 「ジ、ジローさん?」
 「全くお前は・・・・・黙っていようって思わなかったのか?」
 「だ、だって、後で分かったら、ジローさん嫌な思いするだろうし」
 「ああ」
 「俺も、隠し事するの、嫌だし」
 「そうか」
 そう言ったかと思うと、上杉はエレベーターを降りた瞬間、不意に腕を伸ばして太朗を抱きしめてきた。
 「ジ、ジローさんっ!」
組員の目は無いとはいえ、この場には佑一郎がいるのだ。
父親と、自分とたいして歳の違わない男が目の前で抱き合っている姿を見せる・・・・・これはどう考えても教育上良くないだろう。
 「は、離せよ!」
 「離す?どうして?」
 「ゆ、佑一郎が側にいるって!」
 「・・・・・佑一郎?お前そう呼んでるのか?」
 「だ、だって、年下なんだし、君とかさん付けって変だし!」
 改めて考えれば呼び捨てもおかしいとは思うのだが、あの子とか、そいつとか、そういった呼び方をするのは太朗はあまり好きでは
なかった。
だからこその呼び方なのだが、それで上杉に不機嫌になられても困ってしまう。
 「もうっ!ジローさんってば!」
 「ん〜?」
まるで子泣きジジイのようにずっしりと肩に被さってくる上杉の重さに思わず声を上げた太朗にかぶせる様に、
 「・・・・・ダサ」
ポツリと、呟く佑一郎の声が意外と大きく響いた。



 腕の中でむずかる太朗を抱きしめたまま、上杉は視線だけを少し離れた場所に立っている佑一郎に向けた。
とても中学一年生とは思えないほどの落ち着き払ったその表情に、上杉は口元を緩めた。
 「何がダサいんだ?」
 「・・・・・あんたが」
 「俺のどこが」
 「そんな風に・・・・・誰か1人に振り回されてるとこ」
 「お前の目にはそう見えるのか?」
畳み掛けるようにしてそう聞いてみた。
上杉には、佑一郎がそんな感情を抱くほどに自分に興味があるようにはとても思えなかったからだ。
 「ジ、ジローさん」
 2人の険悪な雰囲気を感じたのか、太朗が上杉のスーツをツンと引っ張って注意を促してくる。
それに背中をポンポンと叩くことで応えてやると、そんな2人の様子を黙って見ていた佑一郎がゆっくりと口を開いた。
 「俺、あんたのことを見たことがあった」
 「・・・・・」
意外な言葉に、上杉は思わず聞き返した。
 「何時?」
 「・・・・・もう、ずっと前。一度だけでも父親がどういう男か見てみたくて、この事務所の近くまで来た。母さんが写真で見せてくれ
た通り、あんたはすごくカッコよくて、近寄りがたくて・・・・・いい男だなって思ってた。でも、今のあんたは、こんなガキにデレデレで、
なんか・・・・・ダサい」
 「でも、この俺が本当の俺だ。お前が見た頃の俺の方が、よっぽどダサい奴だったぜ」
じっと自分を見つめてくる佑一郎に、上杉は初めて柔らかな笑みを向けた。