ACCIDENT



18








 父親に焦がれる年齢はとっくに過ぎていた。
確かに、小さい頃は父親と楽しそうに遊ぶ友達を見て羨ましく思っていた時期もあったが、それでも人より早く老成したのか父親
が欲しいと思う時期は意外と短かった。
その間、母は随分年上の相手と付き合っていて、その相手は自分や弟もとても可愛がってくれた。
強面で、多分、普通のサラリーマンとは少し違う雰囲気の大人。
自分から見れば祖父といってもいいくらいの年の男が、弟の父親だと言うことは何となく分かった。一見して似ているところなんて
無いのに、ふとした仕草の中に2人に共通するところが垣間見れたからだ。
 いや、弟だけではない。
自分の中にも、その相手に共通するところを見付けてしまった。

 自分の父親が誰なのか、唐突に知りたくなった。
幼い頃に母親から見せて貰った1枚の写真の男・・・・・こんな男になりたいと思うようないい男の彼が、自分の実の父親ではない
のか?
会ったことも、声を聞いたことさえも無かったが、それでも父親だと信じていた相手はその男1人で、自分の中の血を疑ったことなど
無かったはずなのに・・・・・。

 いったい、俺は誰なんだ?

知りたくて、知りたくて、その欲求を抑えることが出来なかった。



 「・・・・・ほんと、ダサ」
 自分を抱きしめる上杉から目を逸らした佑一郎がそう言うのが聞こえ、太朗は何とか上杉の胸から顔を上げた。
(な、なんか・・・・・)
佑一郎の顔が泣きそうだと思ったのは・・・・・気のせいかもしれない。
だが、太朗はどう声を掛けていいのかが分からなくなった。今何を言っても佑一郎には届かないような気がしたし、それは全部上
杉に想われていることを知っている自分の傲慢のように思えた。
 「佑一郎」
 何も言えない太朗に代わり、上杉が静かにその名前を読んだ。
 「お前、ちゃんと分かってるな?」
 「・・・・・」
 「俺に似て、頭いいだろ?」
 「ジ、ジローさん?」
(そんなこと言って・・・・・っ)
不謹慎な軽口じゃないかと思ったが、上杉はそのまま佑一郎に視線を向けて言葉を続けた。
 「確かに俺は、父親らしいことは何もしてない、ただ名前だけのオヤジだったが・・・・・それでもな、お前の名前が俺の籍に入って
いるのはちゃんと自覚していたぞ」
 「・・・・・オヤジ」
 「血は繋がってなくても、俺は何時でもお前の味方になってやるから。遠慮なく、遊びに来い」
 「・・・・・」
 「ああ、でも、言っておくが、俺にとって一番大事なのはこいつだから。お前も、弟も、母ちゃんも、絶対俺の一番にはなれない。
それだけは、ちゃんと理解してくれ」
 「・・・・・」
 太朗は、泣きそうになるのを頑張って堪えた。
こんなことを佑一郎に言ってしまわないといけない上杉の気持ちが悲しくて、それでも、自分のことを一番大事だと言ってくれるの
が嬉しくて、頭の中がグチャグチャになっている気がする。
(ごめん・・・・・佑一郎・・・・・)
謝るのは、自分の気持ちを楽にするだけの自己満足の行動でしかないが、太朗は何度も心の中で佑一郎に謝ってしまった。



 冷たい言い方しか出来なかったが、これ以上は自分には何も言う資格が無い。
そう思った上杉は、佑一郎を送らせようと人を呼ぼうとした。
 「いいよ」
 「ん?」
 「1人で帰れるから」
 「・・・・・そうか」
 「うん」
佑一郎はそう言うと、今度は太朗の方を振り返った。
 「・・・・・タロ」
 「な、何?」
 「・・・・・」
(中学生にまでタロって呼ばれてどうする・・・・・)
 佑一郎の呼び方に引っ掛かったらしい上杉だが、太朗は今更と思っているのか全く気にした風も無く答えた。
おまけに、抱きしめていた上杉の手を払ってしまう。
 「・・・・・男同士だから変とか・・・・・俺、思わないから」
 「え?」
そう言った佑一郎は、チラッと上杉の方へ視線を向けてきた。何だと問い返そうとした上杉だが、それよりも一瞬早く佑一郎は手
を伸ばして太朗の身体を抱きしめてきた。
 「えっ、なっ、何?」
 「佑一郎?」
その身体を引き離そうとした上杉に向かって、佑一郎は唇の端を上げた・・・・・自分によく似た笑みを浮かべて言った。
 「こんなオヤジに、タロは勿体無い」



 「このまま帰る」
 少し落ち着いて行くかと言ったが、佑一郎は用は済んだのでもう帰ると言った。
下手に引き止めるのもおかしい気がして信用出来る幹部の楢崎(ならざき)に佑一郎を預け、太朗と2人自分の部屋に入った
上杉は、ようやくほうっと大きな溜め息をついた
 「・・・・・疲れた」
何をしたわけでもなく中学生の話し相手になっただけなのだが、何だか何年も時間が経ったような気がするのは自分が歳を取った
せいなのだろうか。
(あ〜、考えまでマイナス思考になってどうするよ)
 「・・・・・ジローさん」
 太朗はそんな上杉を心配そうに見つめていたが、ノックされる音を聞いて慌ててドアを開けた。
 「小田切さん」
 「ご苦労様。美味しいロールケーキがあるのでどうぞ」
 「うわっ、美味しそ!」
 「ほら、座ってください」
入れとも言っていないのに勝手に部屋の中に入り込んできた小田切は、応接セットのテーブルの上に優雅な手付きで太朗用の
紅茶のカップ(高価なカップは怖くて使えないと、自分用の大きなマグカップを持ってきている)を置く。
普段滅多に自分からはこういうことをしないのに、なぜこんなにも板に付いた物腰なのかと感心してしまった。
(ホント、外面がいいよ)
 「どうぞ」
 そして、続けて上杉の前にはコーヒーが入っているカップが置かれ・・・・・。
 「・・・・・何だ、そのもう1つは誰のだ?」
 「私のですよ。せっかく太朗君が来ているんだし、仲良くお茶の時間をと思いましてね」
駄目だと、言えるはずが無い。
上杉が黙ったままコーヒーを飲むと、小田切はケーキを頬張っている太朗に向かって笑いながら言った。
 「太朗君は本当にいい子ですね。この人にもったいないというのは当たっています」
 「おい」
立ち聞きしていたのかとさすがに眉を潜めたが、小田切はただ聞こえたんですと言い切る。
確かに部屋の中ではなく、エレベーターホールでの立ち話で、聞かれてもおかしくは無い状況だったかもしれないが・・・・・。
(そういうのは聞かないふりをするもんだろ)
 「こういう時、自分の耳がいいことを恨みますね。痴話喧嘩も陰口も、聞きたくないのに耳に入ってしまう・・・・・可哀想だと思い
ませんか?」
 「え、えっと〜・・・・・そうですね」
 何と答えようかと、目をキョロキョロさせている太朗が可愛くて、上杉の渋い表情は長くは続かなかった。
多少際どいことを言うものの、基本的に太朗を気に入っている小田切が太朗を傷付ける様なことを言わないと分かっているから
だ。
その上杉の考え通りに小田切は太朗にそれ以上言わなかったが、その矛先が向かったのは・・・・・。
 「今回の原因は全てあなたが発端なんですから。綺麗に決着が付くように、さっさと動いてくださいよ。終わるまでは太朗君との
イチャイチャは厳禁です」
 「おいおい」
何でお前にそう言われなきゃいけないんだと上杉は思ったが、賢明にも口に出して言うことは無かった。