ACCIDENT



19








 「何だか、顔がすっきりしてるじゃない」
 「え?」
 風呂から上がって、濡れた髪をガシガシとタオルで拭いていた太朗は、台所で冷蔵庫を開けながら振り向いた。
先程、今日も残業中の父親がもう直ぐ帰ると電話が掛かってきたので、きっと夕飯を温めているのだろう母親は、牛乳パックを取
ろうとした太朗からそのままそれを受け取り、勝手にカップに入れてレンジに入れた。
 「あー!冷たいままでいいのに〜」
 「お腹冷やすでしょ」
母親の特権のようにそう言うと、母親はチンと鳴ったレンジから熱いカップを取り出して渡してきた。
(も〜、母ちゃん、俺と伍朗を一緒にすんなよな〜)
いくら自分でも、小学生の弟のように牛乳でお腹を壊すようなことはしないと内心ブツブツ言った太朗は(さすがに声を出して言っ
たら怖いので)、ふと先程母親が言った言葉を思い出した。
 「母ちゃん、さっき何か言ったよな?」
 「顔がすっきりしたってこと?」
 「うん。なに、それ?」
 「ん〜、なんだか最近、落ち込んでるみたいだったから。まあ、あの男絡みでしょうけど」
 「・・・・・」
 先日、この家に上杉の元妻を連れてきた後、太朗は自分が知っていることを母親に話した。いや、半ば白状させられたという感
じだが、上杉は太朗にそのことについて口止めをしなかったし、信頼出来る相手に心の内を話して、太朗はかなり気持ち的にも
楽になったものだった。
その時は母親は黙って聞いていただけだったが・・・・・。
(やっぱり、色々考えてくれてたのかな)
 高校生にもなって、男でありながら太朗は何でも母親に話すし、忙しくてなかなか時間が合わない父親のことも大好きだ。
そういった自分の家族のことを基本にしていたので、上杉と佑一郎のことがとても気になったということもあるが・・・・・。
 「なんか・・・・・色々あるんだよなあ」
 思わずそう呟いた太朗を見て、母親はクシャクシャッと髪をかき撫でた。
 「か、母ちゃん?」
 「太朗、あんた、らしくなく悟るんじゃないわよ?」
 「悟る?」
 「あの人は自分よりも年上だから色々あっても当然なんだとか、結婚も、子供も、そんな話が出てもおかしくは無いなんて、初め
から諦めてちゃ駄目ってこと」
 「母ちゃん・・・・・」
 「あんたにとっては、あの人は対等な恋人なんでしょ?嫌なこととか、我慢出来ない事があったら、ちゃんと相手にぶつけなきゃ駄
目。若いうちだけなんだから、そんな我が儘言えるの」
 「・・・・・」
太朗はなんだか、背中がモゾモゾするようなくすぐったさを感じた。
自分にとって絶対的な味方がここにいる・・・・・そう思えて嬉しかった。
それでも、ありがとうと素直に言うのは恥ずかしくて、太朗は思わず憎まれ口をたたいてしまう。
 「母ちゃんなんか、その歳でも我が儘言ってるじゃん」
 「・・・・・そんなに、お小遣い減らされたい?」
 「うわっ、ごめんなさい!今の無し!」
結局、最後に弄ばれているのは太朗の方だったが、太朗はやっと心の中に溜まっていた不安の塊が溶けたように感じて、自分が
ちゃんと笑っているのだとようやく思えた。



 車に乗った上杉は、隣に座った小田切から書類を渡された。
 「何だ、これは」
 「質問する前に目を通して下さい」
 「はいはい」
(口で説明する方が早いだろ)
そうは思っても、何倍もの量で言い返されることが分かっているので、上杉は素直に書類に目を通した。
それには、佑香が昔関係を持った男の母親が名前を出したという州央組という組の内情が書かれていた。
 「何時調べたんだ?」
 「どうせしなければならないなら、早い方がいいでしょう?」
 「まあ、な」
 こういうところが使える男だと思う所以なのだが、通常の態度が・・・・・上司を上司と思わないような言動が玉に瑕というか、全て
が・・・・・。
 「・・・・・ん?」
 ふと、文章に走らせていた視線が止まった。
 「こいつの女・・・・・」
 「ええ、以前会長にかなり入れあげていたクラブのママですね」
 「外見はまあまあだったがなあ、ちょっと上昇志向が強かった」
太朗と出会う前、まだ独身の上杉はかなり遊んでいた方だ。誰か1人に入れあげるというわけではなく、遊び上手な上等な女ば
かりを選び、夜毎楽しんでいたものだった。
気に入った女とはその後も何回か関係を持っていたが、基本的には1,2度だけの関係が多かった中、今書類に書かれていた女
も上杉に気に入られようと必死だった。上杉に気に入られれば、もしかしたらそのまま結婚まで・・・・・そう思っていたのかもしれな
い。
そんな女の気持ちは上杉も薄々気付いていて、結局一度も誘いには乗らなかったが・・・・・。
 「手を出さなくて正解だったな」
 もしかしたら今回の件にもこの女の事が関係あるのかと妙に勘繰ってしまいそうになったが、一応抱いていないので弱みというも
のは無いはずだ。
そう思って呟いた上杉に、小田切が容赦ない一言を浴びせた。
 「今以上に、太朗君に顔向け出来ない身体になっていたところでしたね」
 「・・・・・」
 「何時にしますか?」
 「・・・・・何が」
 「あなたが決着付けるんでしょう?」
 「俺が?俺よりも・・・・・」
 「利根さんが出てきた方が話がややこしくなりますよ。一応子供の父親は名前だけでもあなたになっているんですから、親権の話
はあなたが出た方が妥当じゃないですか」
 「・・・・・そうか」
確かにここで利根の名前を出せば、佑香の身持ちの悪さが話題に上がってしまうだろう。そうしたら、子供の本当の父親はなどと
言い出して、自業自得の佑香はともかく、佑一郎まで傷付いてしまうかもしれない。
それは本意ではないので、やはり自分が出た方がいいかと上杉は思った。
 「早い方がいいな」
 「明日とか?」
 「それはいきなり過ぎだろ」
 「でも、こちらが延びていると、あなたと太朗君の楽しい時間もそれだけ延びてしまいますけど」
 「・・・・・」
(それは、面白くは無いな)
 昨日も、結局夕食も一緒に出来ないまま(家に電話をしたら母親に早く帰って来いと怒られたらしい)家まで送った。
上杉としても、いい加減太朗に飢えていた。顔を見て、話して・・・・・それももちろん楽しいが、やはりあの身体を抱きたいという気
持ちは強い。
今回のすれ違いは全て自分の責任なので仕方がないが、それなら自分で何とかするしかないだろう。
 「出来るだけ早く予定を入れてくれ」
 「では、三日後、どうにかしましょう」



 「じゃあな!」
 放課後、太朗は慌てて校門を飛び出した。今日こそ飼い犬の散歩に自分が行かなければ、弟に5百円の小遣いをやらなくて
はならなくなる。
最近、代わってもらってばかりだったので自分自身もスキンシップが足りなくなったなと思ったので、太朗はともかく早く家に帰ろうと
急いでいた。
 一番に教室から駆け出したので、周りには同じように下校する人影はまだ無い。
 「へへっ、1番!」
何でもないことが嬉しくて思わず頬を綻ばせた時、
 「!」
 いきなり、目の前に車が止まった。
もう少しでぶつかる所だった太朗は、ドキドキと鼓動が早くなる心臓を押さえながら、危ない運転をする相手に文句を言おうと視
線を向ける。
すると、中から降り立ったのは厳つい顔をした3人の男達だった。
 「苑江太朗だな?」
 「・・・・・っ」
見覚えの無い男達。だが、こんな男達と同じような雰囲気の人間を太朗はたくさん知っている。
(も、もしかして・・・・・ヤクザさん達?)
言い掛けた文句を慌てて口の中に飲み込み、太朗はじっと男達を見つめた。