ACCIDENT



23








 「おい、ホームルームを始めるぞ!」
 担任が教室の中に入ってきて、ざわついていた教室内が少し収まった。
太朗の担任はまだ20代後半の、教師の中でも若手と言える方だが、今時の高校生はそんな大人に対しても遜色ない体格の
者ばかりだった。
そうでなくても担任の紺野(こんの)はそれほど体格がいい方ではなく、紺野よりも小柄な者は10人もいないだろう。
その中でも太朗は一際小柄で性格的にも幼いので、クラスの中でも玩具扱い(もちろん、愛情を込めてだが)されていた。
 そんな太朗が少し以前から元気が無いことはクラスの仲間も心配していて、紺野も昼休みに呼び出して心配事かと聞いてきた
くらいだったのだが、ここ数日で太朗はほとんど元通りに戻っていた。
 「こらっ!タロ!今パンは食うな!」
 「だって、腹が減ったんだもん・・・・・す」
 まるで一応と最後に付けた敬語に紺野も苦笑を零すしかなかった。
 「直ぐ終わらせるから、もう少し待て」
 「なんだ、タロ、まんま犬じゃん」
 「うるせー!俺は犬じゃ・・・・・?」
自分よりも遥かに体格のいい同級生に噛み付きかけた太朗は、ふと視界に入った姿に思わず慌てて振り向いた。
 「あ!」
窓際の太朗の席から良く見えるグラウンド。その先の校門に、1人の男が立っていた。
 「ジローさんっ?」
 思わず上げてしまった太朗の声につられるように、紺野も同級生達もいっせいに窓の外へと視線を向ける。
そして、口々にすげえと言い始めた。
 「何もんだよ、絶対リーマンには見えないよな」
 「タッパありそうじゃん。体育の保科より高いんじゃねえか?」
 「体付きだっていーよな」
同級生達の声は太朗の耳には全く届かなかった。
どうして上杉が学校に、それも校門の前に立っているのか全然想像がつかなかったからだ。
(ま、また何かあったのか?でも、それだったら携帯に・・・・・携帯?)
 「あ!!」
 太朗は慌てて自分の鞄の中を探ったが、ストック分の菓子はあっても肝心の携帯は見付からなかった。どうやら夕べ机の上で
充電して、そのまま忘れてきたらしい。
(うわっ、何してんだよ〜俺〜!)
 とにかく、これ以上目立つあの男をあそこに置いてはおけないと思った。
わざわざ上杉がここまで来たのには何らかの意味があるのだろうし、太朗もそれを早く聞きたいと思い、生徒達と一緒になって窓の
外を見ている紺野に向かって思わず叫んでしまった。
 「センセー!早く、早くしてって!」
 「何だ、タロ、あの男と知り合いか?」
2人の間にとても共通項を認められないらしい紺野が、少し、というか、かなり訝しげな表情になる。どう見ても只者でないあの男
が子供の太朗に何事か悪さを・・・・・そう思われるほど上杉も悪人面はしていないが、もしかしたら同じ男としての対抗意識が疼
くのかもしれなかった。
 「え、え〜っと」
 「タロ?」
まさかここで恋人ですと宣言出来るはずもなく、太朗はう〜んと考えて一番無難だと思う説明をした。

 「あれは、親戚の小父さんです!」



 【苑江太朗 本日売約済み】

 携帯のメールでそう送信したのは昼休みになるだろう時間。しかし、期待していた太朗からの怒りの返信は無かった。
どうしたかと思いはしたものの、太朗に付けている護衛からは異常無しとの連絡を受けていたので、上杉はそのまま放課後まで待
ち(ソワソワしていたのを小田切にからかわれたくらいだ)、時間になって急いで車を飛ばして学校までやってきた。
 先に授業が終わったらしい下校する近隣の女子高生達の視線は煩かったが完全に無視して、上杉は思い付いて校門の前に
立ってやった。
こうすれば、今度こそ太朗は怒って焦って、恥ずかしがるだろう。
そう思っていると間もなく、広いグラウンドを真っ直ぐに自分に向かって走ってくる姿が直ぐに目に入った。
他にもチラホラと下校する生徒達の姿があったが、太朗はその誰よりも早く走って、校門の脇に立っている上杉に向かって猛ダッ
シュで駆け寄ってくる。その姿が飼い主を見付けた子犬のようで、上杉は思わず頬を緩めてしまった。
 「ジローさん!!」
 「おう」
 「・・・・・」
 じっと上杉の顔を見つめていた太朗は、次の瞬間ほうっと深い溜め息をついた。
 「なんだ、何か悪いことがあったわけじゃないんだ」
 「ん?」
太朗がどうしてそんな風に思ってしまったのか分からない上杉だったが、太朗はそんな上杉の腕を掴むとグイグイと引いて歩き始め
た。
 「ほらっ、早く行こうよ!」
 「何だ、急かすなよ」
 「急に来るジローさんが悪い!コンちゃんなんか、ジローさんを不審人物だって思ってたって!」
 「コンちゃん?」
 「俺の担任!紺野だからコンちゃん!」
早口で説明しながらも、太朗は上杉の腕を引っ張って歩いていた。
太朗よりも一回り以上大柄な上杉を、本来太朗が引っ張ることなど出来ないはずだった。だが、こうして簡単に歩けるのは、上
杉が太朗に合わせているのだが・・・・・多分、太朗はそんな上杉の気持ちに気が付いていないだろうし、上杉も特に気付いて欲
しいとも思わなかった。
 「メール、読んでないのか?」
 「携帯、うちに忘れちゃったんだよ。ね、何かあった?」
 「・・・・・なんだ」
(じゃあ、あれを読んでいないのか)
 それなら怒っていないのも当然だと思った上杉は、そのまま太朗を言葉で車をとめてある場所に誘導する。
 「ねえってば、いったい何があったんだよ?」
何時の間にか、太朗の手は上杉の手を握っていた。
まるで学生のカップルのようだなと、さすがに上杉も気恥ずかしく思ってしまう・・・・・と。
 「・・・・・」
 急に上杉が足を止めたので、太朗もツンと引き止められるように足を止めてしまった。
 「ジローさん?」
 「犬だ」
 「え?」
ずっと上杉の顔を見上げるようにして話し掛けていた太朗は気付かなかったのだろが、上杉のとめていた車の側には2つの人影が
あったのだ。
それは、太朗はともかく(そうであって欲しいとは思うが)上杉にとっては歓迎しない相手のものだった。



 話している途中でいきなり立ち止まってしまった上杉につられるように足を止めてしまった太朗は、その視線を追って・・・・・あっと
口を開けてしまった。
 「シ・・・・・久世さん?」
 「・・・・・なんだ、別れてないのか」
 一対のように立っている久世と湯浅。
久世は太朗と上杉が繋いでいる手をじっと見つめている。
 「当たり前だろ。俺達はラブラブだもんな」
その久世の視線に気付いたのか、上杉はこれ見よがしに太朗と繋いだ自分の手を持ち上げると、そのまま太朗の手の甲に唇を
寄せた。
 「ジ、ジローさんっ」
 「見せ付けようぜ、はっきりと分からせる為にな」
 「・・・・・」
(そ、だった・・・・・)
 付け入る隙を見せないこと。それは太朗自身が心に決めたことでもあった。
それが今回、他に手段が考えられなかったという事もあるが、湯浅に知識を借りようとし、その流れのまま久世とも再会してしまっ
た。
久世ほどの男が自分のような子供に、それも男に拘る訳は太朗には分からなかったが、傍にいる恋人の上杉の為にもここはちゃ
んとした意思表示をしておかなければならないだろう。
 「そ、そうだよ、ラブラブだもんね?」
 「だな」
言い慣れない言葉に舌が縺れそうになっている太朗を内心笑っているのかどうか・・・・・上杉は頷くと、その視線を久世に向けて
言った。
 「何時まで引きずってんだ。新しい飼い主は見付からねえのか」
 「・・・・・誰でもいいってわけでもないんで」
明らかに挑発していると分かる上杉の言葉に、久世は唇を歪めるような形で笑った。