ACCIDENT



26








 「ああ?そんなの俺じゃなくても十分だろ?・・・・・分かった分かった、お前にも近いうちに休みをやるから頼むって」
 上杉のマンションの地下駐車場に着いた途端、まるで見計らったように掛かってきた上杉への電話。
目線で太朗に車から降りるようにと促しながら電話を続ける上杉の顔を、太朗はじっと見上げていた。
(・・・・・小田切さんかな)
 上杉の口調から考えると、多分電話の相手は小田切だろうと思った。
また仕事を放り出してやってきたのかと少し眉を潜めるものの、それでも嬉しいという気持ちの方が大きいので文句を言うことも出
来なかった。
 「・・・・・んー、よし、それで頼む。ん?タロ?」
 「?」
(俺?)
 いきなり、太朗は上杉に携帯を差し出された。
 「小田切がお前に代われってさ。ろくでもないことだったら聞き流せよ」
 「失礼なこと言わないでよ」
小田切に関しては、少し変わっていて、時々怖い感じもするが、基本的には優しい大人だと思っている太朗は上杉の言い様に
少し文句を言って電話を取った。
 「もしもし、太朗です」
 『太朗君?うちの会長がまた我が儘言って連れ出して・・・・・ごめんね?』
 電話越しでは余計に色っぽく感じる小田切の声に、太朗はドキドキとしながら見えないのに首をブンブンと横に振った。
 「い、いいえっ、小田切さんにはジローさんが何時も迷惑掛けて、すみませんっ」
 「おい」
横で上杉が呆れたように口を挟むが、太朗はその声が耳に入らない。
それよりも耳に直接響く小田切の笑い声に、ますます居心地が悪くなったようにモゾモゾとした。
 『なんだか、うちの主人がって言われている気分ですよ』
 「え?あ、えっと・・・・・」
 『まあ、今回は待ての時間も長かったし、少しはご褒美をあげないと暴走してしまいそうですしね。仕事は後日徹夜になってで
もやってもらいますから、太朗君も気にしないで下さい』
 「あ、はい、ありがとうございます」
 『可愛がられ過ぎで腰を抜かさないようにね?明日も学校があるんでしょう?』
 「な・・・・・っ」
 何と言っていいのか、完全に言葉に詰まってしまった太朗に、小田切は上杉に代わってくれと言って来た。
ぎこちなく携帯を返す太朗に何かを感じ取ったのか、上杉は再び電話に出るなり小田切に文句を言う。
 「おい、タロに何か変なこと言ったんじゃないだろうな?」
 「・・・・・」
その声を聞きながら、太朗は焦る気持ちを誤魔化すようにへへっと上杉に笑って見せた。



 小田切が太朗に何を言ったのかは大体見当がついていた。
自分に向かってのように厳しく、そしてそのものズバリのような言葉は言わないだろうが、それでも十分に太朗が動揺するようなこと
は言ったのだろう。
素直な太朗をからかって楽しみたいというのは分かる気はするが、その反応を直に見れないような電話で言っても意味が無いの
ではないかと思った。
 「とにかく、文句は明後日全部聞いてやる」
 『明日ではないんですね』
 「当然だろ」
 『太朗君はあなたと違って絶倫の獣じゃないんですからね。ちゃんと手加減して優しくしてあげてくださいよ』
 「分かったって、じゃあな」
 これ以上聞いてもからかわれるだけだとさっさと電源を切った上杉は、隣で顔を赤くしたまま俯いている太朗をじっと見下ろして
言った。
 「タロ」
 「う、うん」
もしかしたら、太朗は久世と会ったことで、本来何の為に上杉が学校まで迎えに来たのかを今の今まで全く考えていなかったのか
も知れない。それはそれで太朗らしいが、小田切の電話でこうして恥ずかしがっている姿も・・・・・可愛い。
(オヤジ思考だな)
そんなことを考える自分に苦笑を零した上杉は、立ったまま動こうとしない太朗の肩を抱き寄せた。
 「ジ、ジローさん!」
 「ここで帰るって言わないよな?」
 「え?あ、うん、言わない、けど・・・・・あっ」
 「ん?」
 「俺、家に連絡しとかないと!」
 「あー・・・・・それがあったか」
 小田切の他にももう一つ、なかなか大きな壁があることを思い出した上杉は、それをどうやって攻略しようかとまた頭を悩ませる
こととなった。



 携帯を忘れてしまっているので、太朗は上杉から携帯を借りて家に電話をしようと思った。
しかし、上杉は携帯からではなくマンションから電話しろと、そのまま太朗を引っ張るようにして自分の部屋に連れて行く。
(ど、どうしよう・・・・・)
上杉のマンションの部屋に来るのは初めてではなく、これまでにももう何度も遊びに来ている。しかも、そのどれもがエッチに結びつ
いているので、今回も・・・・・とモヤモヤとした妄想をしてしまった。
もちろん、上杉に抱かれることが嫌なのではないのだが、その前段階が・・・・・いかにもエッチしますよという雰囲気が恥ずかしくて
仕方がないのだ。
 「俺が掛けようか?」
 「ううん、自分でする」
 多分、泊まりの許可を貰わないといけないが、それを全部上杉に押し付けることはしたくなかった。
自分の意思でここまで来たのだ(多少流された感はあるが)、自分で責任を持たなければならないこともあると思った。
 「・・・・・あ、母ちゃん?」

 携帯からではない電話に、勘の良い母は直ぐに事情を察したらしかった。
以前は上杉の側の諸々の問題で外泊は禁止だと言った母も、ここ最近の太朗の様子からその問題は解決されたようだと感じて
いたらしい。
 「あ、明日、学校だっていうのは分かってるんだけど・・・・・」
 『行けるの?』
 「・・・・・う、うん、行くつもり」
 『・・・・・上杉さんに代わってくれる?』
 「え?あの、母ちゃん」
 『大丈夫、言うのは文句だけじゃないから』
 「こ、怖いよ」
文句だけじゃないという事は、文句も言うのだろう。上杉に対しては全く恐れを抱いていないらしい強い母がいったい何を言おうと
しているのか、太朗は恐々と上杉を振り返った。



 「代われって?」
 「・・・・・うん」
 当然予想していた展開なので、上杉はそのまま太朗の手から受話器を受け取った。
 「はい」
 『何だかとっても素早い気がするんですけど』
呆れたような太朗の母、佐緒里の物言いに、上杉は思わず苦笑を漏らしてしまった。太朗と会わなければ知ることもなかった佐
緒里という存在。なかなか度量が大きく、女にしておくのには勿体無いと思うほどのこの相手が、太朗の母親で良かったとも強く
思う。
この親にしてこの子というほどにはそっくりな親子ではないが、この母親でなければ太朗のような子供は育たなかっただろう。
 「我慢出来なかった」
 だから、この佐緒里には誤魔化すことなく自分の気持ちを伝えた。
 『・・・・・あのね、母親に対してその言葉は少しあからさまな感じもするんですけどっ』
 「はは、悪いな」
 『もう・・・・・七之助さんにまた嘘つかなきゃいけないのか』
佐緒里の口から漏れた言葉に上杉は敏感に反応した。
そういえばと、自分にはもう一つ乗り越えなければならない大きな問題があることに改めて気付いた上杉は、そろそろそちらの方に
もちゃんとした挨拶をしておかなければならないだろうと考えた。
 「今度、あんたの大事な人とスケジュール合わせる。ちゃんと挨拶しないとな」
 『・・・・・半殺しなんて生易しいわよ?』
 「身体は頑丈な方なんだ」
 『・・・・・毎回同じ事を言ってるかもしれないけど、太朗に明日は学校に行きなさいって伝えてください。出来るだけでいいけど』
 「了解。出来るだけ、な」
佐緒里なりのOKの言葉を貰った上杉は、悪いなと口の中で呟きながら電話を切った。