ACCIDENT











 三日、考えた。



 今まであまり考えていなかった自分と上杉のことを、太朗はこれでもかという風に考えた。
何時もは自分が不安を感じることなど全く無いほどに上杉に守られ、大切にされてきた。自分に話し掛ける声にも、見つめる目
にも、言葉以上の思いが感じ取れて、太朗はただ真っ直ぐ上杉を見ていればよかった。
 それが、いきなり現れた上杉の元妻と2人の子供の存在に、絶対的だった思いにヒビが入ってしまった。

いや。

入ったと思ったのは、多分太朗だけだったと今なら分かる。
あの時、上杉はまだ幼い子供に、お前ではなく太朗の方を取ると言ってくれた。絶対に口先だけの嘘を言わない上杉の言葉を、
その時の太朗はただ呆然と聞いていただけだったが・・・・・。

 あの日、夜に送られてきた上杉からのメールも、掛かってきた電話も、取るのが怖くて無視してしまった。
その翌日も、上杉は何度か電話を掛けて来てくれたが、太朗は出ることが出来ず・・・・・吹き込まれた留守電も聞くことが出来
なかった。
以前も何日か怒って上杉からの連絡を無視したことがあったが、今回はそんなジャレ合いにも似た気持ちからとは全く違う。
 上杉から貰った指輪やマンションの鍵を机の中から取り出して見て・・・・・泣きそうになった。
女々しい自分が情けなくて、更に涙が零れそうになった。

 自分はどうすればいいのかと一生懸命考えて考えて・・・・・ポンッと頭が弾けてしまった。



 好きなんだから仕方ないじゃん!!

太朗の出した結論はそれだった。
たとえ上杉に元が付くとはいえ妻子がいたとしても、それは太朗が動かしようが無い過去の事実なのだ。何時までもそのことをウジ
ウジ考えていたとしても、答えが出ることは無いだろう。
 男である自分が、子供を生むことが出来ないのは当たり前で(もしも産めるとしても、まだ高校生なので早いと思うが)、そのこと
を悔やんだって身体が改造されるなんて事は有りえない。
何より太朗は、これでも男としてのプライドは人並みに・・・・・いや、人並み以上にあるつもりだ。
上杉を好きになったことも、その上杉に抱かれていることも。そのどれもが太朗にとっては男のプライドを捨てていることだとは思って
いない。
周りから見れば笑えるほどに上杉と自分には差があるだろうが、太郎にとってはそれは対等な恋愛関係と一緒なのだ。
 確かに今は上杉に奢られてばかりだが、将来自分が社会人になったら同じくらい上杉に美味しいご飯をご馳走しようと思ってい
る。
上杉に色んな楽しい場所に連れて行ってもらった以上に、自分が免許を取って上杉を遊びに連れて行くつもりだった。
車は上杉みたいに高くてカッコいいものはとても買えないが、国産の軽自動車だって今は中が広いので上杉にとっても窮屈ではな
いだろう。
 上杉からしてもらったことを、自分が嬉しいと感じたことを、それ以上に上杉に返していきたい。
今、別れてしまったら、逃げ出したりしてしまったら、自分はずっと与えられっぱなしで終わってしまうではないか。





 「よし!」
 太朗は学校の正門を出ながら自分に気合を入れた。
昨日までに自分が考えたことを上杉にちゃんと伝える為に、今日は再びバスに乗って羽生会の事務所まで行くつもりだった。
直ぐに自分の気持ちがちゃんと伝えることが出来るのか分からなかったので、母には少し遅くなる事は伝えたし、ジローの散歩は
伍朗に任せた。
 「バス、何時だったっけ」
 そう思いながら歩き掛けた太朗だったが、
 「太朗君」
 「え?」
不意に声を掛けられ、太朗は振り向いた。
 「小田切さんっ?」
そこに、笑いながら立っていたのは小田切だった。
何時もの綺麗な微笑を浮かべ(上杉は悪魔の微笑と失礼なことを言うが)、小田切は片手に持っていた車のキーを少しかかげ
て見せた。
 「良かったらご自宅まで送りますよ」
 「え、あ、あの」
 「それとも、どこかに行かれるんですか?」
 「あの、俺、ジローさんに会いに行こうと思って・・・・・」
 「会長に?」
 小田切は僅かに目を見開き、驚いたように太朗を見つめた。
しかし、すぐに更に深い笑みを浮かべると、珍しく溜め息をつきながら言った。
 「全く・・・・・あなたの方がよほど男らしくて潔い」
 「お、小田切さん?」
 「図体のでかい弱虫さんは、あなたと連絡が取れなくて相当落ち込んでいますよ。少々鬱陶しくなったので、余計なお世話だと
は思ったんですがここまであなたを迎えに来たんですが・・・・・本当に余計なことでしたね」
 「そんなこと無いですよ!バスで行くより、車の方が全然楽チンだし!・・・・・あ、ごめんなさいっ」
小田切が来てくれた事は本当に嬉しいのだと伝えたいつもりが、ちゃっかり発言になってしまったことに慌ててしまったが、小田切は
それには全く構わないようだった。
 「それじゃあ、少しだけ2人でドライブをしましょうか。あの人の弱みも、もう少しだけ教えてあげたいですし」
 「あの人って、ジローさんのですか?」
 「ええ。あのままじゃ少し可哀想ですから、弁護をしてあげないと」



 事務所の中で腐っている上杉の為に太朗に会いに来るのは何度目だろうか。
小田切は自分がそれほど優しい人間ではないという自覚は十分にあるが、このままでは仕事にも支障が出てくるだろうし、女だか
ら、子供がいるからといって、遥か昔に自分から捨てた男のもとにやってくる女のいいようにはさせたくなかった。
何より、小田切自身太朗の事は気に入っているので、少し手を貸そうと思ってやってきたのだが・・・・・。
 元々、素直な太朗を丸め込むことなど簡単だとは思っていたが、そう思っていた自分が滑稽なほどに太朗は小田切の想像以
上に大人で、前向きな少年だった。
いや、もう少年という言葉が似合わないほどに男だった。
(人は本当に見掛けによらないものだな)
 小田切は赤信号で止まると、助手席に座っている太朗に話し掛けた。
 「多分、あの人はこんな事はいい訳だと言ってあなたには言わないと思いますが」
 「え?」
いきなり話し始めた小田切を、太朗は慌てて振り向いた。
 「あの人、父子家庭なんですよ」
 「父子家庭?え・・・・・と、お母さんがいないってこと、ですか?」
 「ええ。離婚ではなく病死らしいですけどね。小学校の低学年からずっと父親と2人の生活だったらしいです。だからといって、家
族に憧れていたとか・・・・・そういう事は無かったと思いますよ。私もあの人の父親を知っていますが、あの人以上に豪快で面白い
人ですし、寂しいという事は無かったはずです」
 「へえ」
 初めて聞く上杉の事情に、太朗は今小田切の口から聞いてもいいものかどうか悩んでいるのか、少し眉を潜めた複雑な表情
をしていた。
小田切も、ここまで自分が口を挟んでいいものかどうか考えないわけではなかったが、太朗の前では絶対にカッコつけるであろう上
杉の弱みは、きちんと太朗が知っておいた方がいいと判断したのだ。
 「それでも、片親だけでは色々なことがあったとは思います。だから、今現在母親しか傍にいないあの子供達を無下には出来な
いんでしょう。まあ私からすれば、そんなに甘やかして後の始末はどうするんだって言いたいですけどね」
 「・・・・・」
 太朗は黙って小田切の話を聞いている。
俯き加減になった太朗に、小田切は聞いてみた。
 「あの子達を・・・・・可哀想だと思いますか?」
 「・・・・・思わない」
潔いほどきっぱりと言い切り、太朗は顔を上げて続けた。
 「俺は両親が揃ってるし、こんな風に言うのは変かも知れないけど・・・・・可哀想とか思うのは、もっと変だと思います。俺、同情
なんかでは、絶対ジローさんの手を離せないし・・・・・」
 「太朗君」
 「俺だってまだ子供だから、欲しいものをいらないなんて嘘はつけない、です。ジローさんが本当に俺のこと要らないって言わない
限り、俺は、好きだって気持ちを諦められないから」
 「・・・・・上等」
きっぱりと言い切った太朗に、小田切は満足げに頷いた。