ACCIDENT











 上杉は親指と人差し指で眉間を押さえた。
(くそ・・・・・小田切のやつ、面倒なこと押し付けやがって)
 母体組織、大東組に月々献上する上納金の計算など、自分が分かるはずがないと思わずぼやく。いや、やろうと思えば出来
るのだが、最後の金額が出るまでの細かな計算がどうも面倒臭いのだ。
小田切はいつも全ての資料をパソコンに入れて計算しているが、今回上杉に渡されたのは目が痛くなるほどずらりと並んだ数字
の紙だ。
 それだけこの羽生会が潤っているのだという証でもある数字だが、今の上杉はこんな数字を計算している気分ではない。
ずっと連絡の取れない太朗をどうするか・・・・・いっそ家まで押し掛けるかと真剣に思っていた。

 トントン

 そんな時、ドアがノックされた。
 「おー」
防音がしっかりした部屋で答えても外には聞こえないと分かっているし、ノックしている者もそれを期待したわけではないだろう。
どちらにせよ組員の誰かだろうと、上杉は顔を上げないままいい加減な返事をした。
 「・・・・・またサボってたんじゃないでしょうね」
 案の定、入ってきたのは小田切だった。
机の上に無造作に広げられた書類に目をやり、チラッと上杉を見つめる。
 「終わりました?」
 「1日で終わるわけねえだろ。終わらせたかったらパソコンの暗証番号教えろ」
 「そんなプライベートなことは教えられませんね」
 「お前なあ」
 「まあ、少しは頑張ったみたいだし、何よりこの部屋から逃げ出さなかったことは褒めて差し上げてもいいですね。ご褒美に、美
味しいタイ焼きを差し入れしましょう」
 「そんな甘いのいるか」
 「いいんですか?そんなこと言っても」
 「・・・・・」
小田切がこんな言い方をする時は何かある。上杉は眉間の皺を更に深くしたまま顔を上げた。
その途端、眉間の皺は消えてしまう。
 「タロ・・・・・」
 「・・・・・疲れた時は、甘い物がいいかなって・・・・・」
小田切の背中からひょっこりと顔を出した太朗は、少しだけ笑ってタイ焼きの入った袋を見せた。



 「太朗君の後見人として私もここにいますね。あなたが思い余ってこの場で彼を押し倒しても困りますから」
 「あのなあ」
 「俺、いいです・・・・・って、いうか、小田切さんにも迷惑掛けちゃったと思うし、ちゃんと話を聞いてもらった方が嬉しいから」
 大きなソファに向かい合って座っている上杉は、チラッと1人掛けのイスに座る小田切に視線をやってから、改めて太朗に視線を
向けてきた。
会わなかった時間はそんなに長くなかったが、色々と考える事が多かったせいか、とても久しぶりに上杉に会うような感じだった。
車中では、小田切は上杉のことをかなり情けない顔をしていると言っていたが、太朗の目からすれば上杉は何時ものようにカッコ
よく見える。
こうして顔を見るだけでもホッとするんだなあと、太朗はちゃんと向き合うことの大切さを知ったような気がした。
 「タロ」
 「あ、俺から言わせて!」
 口を開き掛けた上杉を抑え、太朗は立ち上がるとペコッと上杉に向かって頭を下げた。
 「ごめんなさい!」
 「タロ」
 「俺、自分のことばっかり考えて、ジローさんのこと全部消えちゃってた。俺だって、ジローさんから電話やメール無視されたら嫌な
気持ちになると思うのに、俺・・・・・」
 「いいって」
いきなり謝った太朗に、上杉は少し困ったように笑った。
 「お前は全然悪くない」
 「ううん、俺が悪い。逃げちゃって、男らしくなかった」
子供だから許されることとはまた意味が違うと思う。
相手が歩み寄ってくれているのに、その方向を見ることさえしなかった自分は、自分が思い描く男とは全然違っていた。
 「でもね、俺、ちゃんと考えたんだ。俺が、ジローさんのこと、その・・・・・」
 さすがに少し恥ずかしくて、太朗はチラッと小田切を見る。
そこで、席を立つまではしなくても顔を逸らしてくれたならとも少しだけ思ったが、小田切は頬に楽しそうな笑みを浮かべてじっと太
朗を見つめていた。
(は、恥ずかしい・・・・・)
いや、恥ずかしいのは人前で言うということで、言葉自体は自信を持って言えるはずだった。
 「その、大好きなのは、やっぱり変わらないし、俺、直ぐには無理かもしれないけど、ジローさんの子供なら、多分、好きになれる
はずだし」
 「タロ」
 「お、奥さんは、ちょっと無理かもしれないけど、それでも、嫌いにはならないように・・・・・」
 「もういいって」
 不意に立ち上がった上杉は大股で向かいの太朗の側まで近づくと、有無を言わさずにその身体を抱きしめた。
 「ジ、ジローさん?」
 「くそ・・・・・負けた」
自分の肩に顔を埋めた上杉の、悔しげな小さな声が耳に届く。
自分よりも縦も横も大きな上杉をどう扱っていいのか迷ってしまったが、太朗は広い背中に手を回すとギュッと抱きしめて照れくさ
そうに言った。
 「全部負けてるんだもん・・・・・一個くらいは勝たせてよ」



 大人である自分が、先ずは太朗に頭を下げるつもりだった。
太朗を裏切った覚えは無いが、不安を感じさせただけでも十分に謝罪する理由になったが、自分が切り出す前に太朗の方から
頭を下げてくれた。
情けなくて、それ以上に嬉しくて、更に太朗が自分の子供を好きになるとまで言ってくれて、溢れてしまいそうな感情をどうしたらい
いのか分からなかった。
 だからこそ、全部伝えたいと思った。
自分と、佑香と、佑一郎の秘密を。
過去に自分達夫婦に何があったのかを。
まだ高校生の太朗には重いと思って話さなかったことを、今の太朗にならば伝えても大丈夫だと思って話した。



 「・・・・・驚いたか?」
 「・・・・・びっくりした」
 言葉通りに目を丸くしていた太朗は、隣に腰を下ろした上杉の顔をじっと見ながら言った。
 「それで、ジローさんはどうするの?」
 「あいつが今回何の為に俺の前に来たのかは分からないが、けじめの為にもDNA検査をしようと思う」
 「え?何で?」
太朗は不思議そうに首を傾げた。
 「何でって・・・・・お前、気になるんだろ?」
 「う、うん、でもさ、今まで何もしていなかったのに急にしようっていうのは俺の為なんだよね?それなら、俺しなくてもいいと思う」
思い掛けない太朗の言葉に、上杉は珍しく途惑ってしまった。
多分、自分の子ではないのだろうとは思っているが、それでもそれをはっきりとした方法で調べれば太朗の不安などは一気に払
拭出来るだろうと思っていたからだ。
(俺の子だとしても構わないって言うのか?)
 「お前はいいのか?」
 「だって・・・・・俺なら、ずっと父ちゃんだって思っていた人が、本当は違うんだって分かったらすごくショックだと思うし・・・・・」
 「・・・・・」
 「それにさ、今まで一緒に暮らしたことが無くっても、その子はジローさんにとって家族なんだよね?家族が減るのって寂しいよ」
 「タロ・・・・・」
 「俺、今ジローさんが言ってくれた言葉だけで嬉しい。ジローさん、自分が嫌な奴だって思われても、俺の為に本当のことを調べ
ようって言ってくれたんだもん、なんか、それだけでいいやって思っちゃった」
 そう言って笑う太朗は、少しも無理をしていないことは分かった。
ちゃんと全てのことを理解して、その上で太朗自身が出した結論なのだろう。事実だけが大切なのではないと言う太朗に、上杉
はもうそれ以上言うことは何もなかった。
 「お前・・・・・男前過ぎだ。俺が情けないだろう」
 嬉しさと、少しの悔しさを隠すことなくそう言った上杉に、太朗は頭を横に振って答えた。
 「ジローさんはカッコいいよ!何時だって、すっごくカッコいい!」
 「・・・・・バ〜カ」
この手の中からすり抜けていくかもしれなかった存在が、上杉が手を差し出す前に向こうから飛び込んできてくれた。
この幸運を確かめるように、逃がさないように、上杉は太朗の肩を抱き寄せてギュッと目を閉じた。