ACCIDENT
9
「いらっしゃい」
玄関先に仁王立ちになっている太朗の母、佐緒里の姿を見て、上杉は苦笑交じりの視線を向けて軽く頭を下げた。
「悪い」
「本当に悪いですけど、とにかく上がってください・・・・・どうぞ」
佐緒里は上杉にはっきりそう言うと、その後ろにいる小田切と佑香に向かってはにっこりと笑って言った。
佐緒里からすれば小田切に会うのさえ初めてだろうが、その整った美貌に驚く様子は無かったし(熊男が理想だと言うだけあって
趣味ではないのだろう)、自分よりも年上であろう佑香の存在にも動じなかった。
さすがに肝が太い佐緒里の様子に、小田切は(本来は車で待っている立場なのだが、面白がって付いてきた)感心したように
笑みを浮かべている。
女に対しては・・・・・と、いうより、他人に対して厳しい小田切がこんな表情を見せるのはとても珍しかった。
「さてと」
通されたのは苑江家のリビング・・・・・いわゆる茶の間で(今はまだコタツは出ていない)、素早く用意したお茶をそれぞれの前に
差し出した佐緒里は、目の前に太朗と隣り合わせに座っている上杉を真っ直ぐに見つめながら言った。
「下の子も知り合いに預けたから、今ここにいるのは私達だけです。電話ではよく分からなかった話、ちゃんとしてくれますね?」
「・・・・・ああ」
きっと、佐緒里にとっても迷惑なだけの話だろうが、自分と佑香、そして子供の立場を、佐緒里には知っておいて貰った方がい
いと思った。
太朗とは親子ほども歳の差がある自分の過去を、人伝などで知られるよりも、真実だけを伝えたかった。
(ジローさん・・・・・真面目だ)
真っ直ぐに母を見ながら話す上杉の話は、先日太朗が聞いたものとほとんど同じだった。
既に終わってしまった夫婦間の話はせず、子供と、今の元妻達が置かれている状況を客観的に話した上杉は、話し終えると佐
緒里に向かって頭を下げた。
「タロには嫌な思いをさせた・・・・・悪かった」
「ジローさん・・・・・」
謝られることではなかった。
今回のことは自分が勝手に色々考えて、勝手に怖がっていただけなのだ。
(俺の方こそ、ジローさんのこと、信じなくて・・・・・)
「上杉さん」
不意に、母が上杉の名を呼んだ。
「一発ぐらい、構わないでしょう?」
「・・・・・ああ」
「え?」
何のことだか分からない太郎が首を傾げるのと同時に、片手をテーブルに着いて身を乗り出した佐緒里は、いきなり手を振り上
げて見事な平手打ちで上杉の頬を打った。
「か、母ちゃん!」
驚いたのは太朗だけではなく、佑香も目を見張っていたが、打たれた当人の上杉と小田切は声を上げることもなかった。
「何すんだよ!ジローさん、何も悪いことしてないのに!」
太朗は上杉の腕をしっかりと抱きしめながら母に訴えたが、そんな太朗に母は厳しい表情で上杉を見ながら言った。
「悪いけどね、母ちゃんはあんたの味方なの。あんたが何をしたって、何を言ったって、たとえ誰かを傷付けることがあっても、最後
まであんたの味方をするのは私なの。あんたと、伍朗と、七之助さんを守るのが私の役目だと思ってるのよ」
「母ちゃん・・・・・」
「だから、あんたを泣かせるようなことをされれば、たとえこの人がどんな立場の人間であっても簡単には許せない。・・・・・上杉さ
ん、いくらあなたが終わったことといっても、まだ子供の太朗に元の奥さんのことを話すのはちょっと早過ぎるわ。おまけに、子供のこ
とも・・・・・」
「・・・・・ああ」
「私だって人に意見するほどご立派な人間じゃないけど、今回のあなたは幾つも間違ってると思います。夫婦のことは二人の間
でしか分からないだろうけど、きちんと考えずに安易に子供を認知したことも、その認知した子供に今まで一度も会わなかったこと
も、そんな事情をいきなり太朗に突きつけたことも、全部あなたの失敗」
「母ちゃん・・・・・」
太朗は、母がこんなにも厳しく他人に意見を言うところを初めて見た気がした。
今まで自分や弟の伍朗が叱られることは多々あったが、こんな風に他人に厳しく対している母は怖くて・・・・・それでいて、太朗は
嬉しくも思っていた。
こんなにも力強い味方が、絶対的な味方が自分にはいるんだと分かって、嬉しくて泣きそうだった。
自分だけで一生懸命考えて出した結果・・・・・上杉のことを好きだという気持ちを大事にするということ。
しかし、それでもどこかで引っかかっていたモヤモヤが、今の母の一発で綺麗に砕け散った感じがした。
(凄い・・・・・母ちゃん)
上杉はヒリヒリ痛む頬に触れることなく小さな溜め息をついた。
(あー・・・・・なんか、目が覚めた感じだな)
太朗の母親である佐緒里の反応はある程度予想は出来たものの、こんなにも容赦の無い一発を食らうとは少し予想外だった。
さすがに、昔バイクを乗り回していたその握力は半端ではない。
「悪いけどね、母ちゃんはあんたの味方なの。あんたが何をしたって、何を言ったって、たとえ誰かを傷付けることがあっても、最後
まであんたの味方をするのは私なの。あんたと、伍朗と、七之助さんを守るのが私の役目だと思ってるのよ」
(参った・・・・・)
母親とはこうも強いものかと改めて思い知る。
しかし、そう考えれば、佑香のエゴのような言い分も、子供を守る為なのかとうっすらと見えてきた。佐緒里が言う通り、認知した
はいいが一度も子供に会ったことも無い上杉には分からない感情だろうが。
「・・・・・悪い」
もう一度そう呟いた上杉に、佐緒里は今までの強張った顔を緩めて深い溜め息をついた。
「全く・・・・・あなたがしっかりしてくれないと、私も見て見ぬふりなんて出来なくなるじゃないですか。私だって、好きな者同士を引
き離して、太朗に嫌われたくは無いんですよ」
「別れるつもりはねえよ」
「・・・・・親の前で堂々と惚気ないでください」
呆れたように言った佐緒里は、それまでの一連の出来事を息をのんで見つめていた佑香に向かって、改めて居住まいを正して口
を開いた。
「私よりも年上の方にこんなことを言うのも失礼かと思いますが、出来ればお子さんの父親だという方と一緒になって頂きたいと
思います。だって、愛し合っておられるんでしょう?」
「わ、私は・・・・・」
「本当は、元の旦那なんかに相談するより、その相手に言った方が良かったとは思いますけど・・・・・あなただって知ったからには
知らん顔は出来ないでしょう?上杉さん。一応父親だし」
「一応は無いだろ」
「どう見たって父親失格。あ〜、良かった、七之助さんがあなたと全くタイプが反対で。私の男を見る目は確かだわ」
「おい、じゃあ、タロはどうなんだ」
「あら、何時太朗があなたを捨てるかどうかは分からないでしょう?この子はまだ高校生なんだし、これから先あなたよりもずっと
いい相手が現れる可能性の方が大きいもの。私としては、別れてくれる方が嬉しいし」
「か、母ちゃんっ、俺はジローさんがっ、す・・・・・す・・・・・」
「まだまだね、太朗。親に向かってこの人が大好きだって大声で言えるまでは、自分の気持ちは成熟していないのと一緒よ。母
さんは確かにあんたと上杉さんの関係を認めたくは無いけど・・・・・見てはいるんだから、頑張んなさい」
(聞きしに勝る豪傑な人だな・・・・・面白い)
1人、第三者の小田切は、ポンポンと上杉を言い負かしていく佐緒里を感心したように見つめていた。
あの太朗の母親だということで、ただの女ではないだろうとは予想していたが、その予想以上に佐緒里は豪傑だった。
彼女相手ならばきっと有意義な話が出来るだろうと思う。
(この母親がいれば、太朗君は心配ないな)
むしろ上杉の方がタジタジだろう。
「・・・・・お茶を入れ替えてきます」
自分の気持ちを落ち着かせる為か立ち上がった佐緒里の後ろ姿を見送りながら、小田切はまるで母親に叱られたような顔を
している上杉に向かって笑い掛けた。
「なかなか面白い方ですね」
「そんな言葉で片付けられねえ」
「でも、気に入ってるんですよね」
「タロの母親としてだ」
最初は、佑香を太朗の母親に会わせるという上杉の考えが分からなかった小田切も、実際に佐緒里に会ってなんとなく上杉の
気持ちが分かったような気がした。
性格の違いはあるだろうが、子供のことで迷っている佑香に、子供に対しては無条件に大きな愛情を向けている佐緒里の言葉
を聞かせたかったのではないだろうか。
(男の私達には理解出来ない気持ちでしょうからね)
これで佑香がどう変わるか、それは本人次第だなと小田切は思った。
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