愛情の標
1
最近の真琴のマイブームはミルクティーだ。それも本格的なものではなく、インスタントの紅茶に牛乳を入れ、蜂蜜を一た
らしというお手軽なものだ。
熱いそれを入れるのは唯一真琴の役目だった(海藤は飲まないが)。
「ほら、出来たぞ」
「はい」
出来立ての朝食をテーブルの前に並べ、真琴は何時ものように嬉しそうに両手を合わせた。
「いただきます」
「・・・・・」
海藤が頷いてくれるのを見てから、真琴はまだ熱いままのスープを口にした。
「美味しい!このかぼちゃのスープ、いつ飲んでも美味しいですよね!」
「そうか」
その真琴の嬉しそうな顔の方こそ美味そうだと、真琴が聞けば『オヤジ発言』と言われそうなことを考えながら、海藤は何
時ものように新聞を広げた。
2人が一緒に暮し始めて、2ヶ月が過ぎた。
始めのひと月はまだこんな関係ではなかったが、想いを伝え合って恋人同士という関係になってからひと月余り、真琴はま
だ少し戸惑うこともあるようだが、それでも随分素直に甘えるようになった。
朝食もその一つで、忙しい海藤に悪いからと何度か朝食作りにチャレンジした真琴だったが、センスがないのかことごとく失
敗してしまった。
自分が料理には向かないとやっと観念した真琴は、海藤が作ってくれる朝食を素直に喜ぶようになったのだ。
ヤクザ・・・・・というより、真琴にとっては会社の社長というイメージの海藤と、学生でアルバイトにいそしむ真琴の生活時
間はかみ合わないことも多いが、2人は意識して(倉橋の尽力もあって)一緒にいる時間を作るようにし、朝と夜は海藤の
出張がない限りは顔を合わせていた。
「あ!」
唐突に思い出した真琴は慌てて立ち上がると、ソファに置いていたカバンの中から封筒を取り出した。
「昨夜忘れてました、あの、これ」
「別にいらないんだが」
「駄目ですよ!約束!」
改めて2人で住むと決めた時、真琴は対等な立場でいたいからと家賃を払うことを申し出た。
もちろん真琴がここの家賃を全額払うことは不可能だし、既に海藤の持ち物なので当然賃貸ではない。海藤も真琴から
家賃を取るなど考えてもいなかったので、当然その申し出を却下したのだ。
しかし、諦め切れなかったのか、翌日真琴は大きな貯金箱を買ってきた。
『【何でも貯金】しましょう!』
毎月せめて一万円、2人の為に家賃代わりの貯金をしたいと言ったのだ。
『2人で暮してたら、色々いるものも出てきますよね?可愛いコップとか、お、おそろいのスリッパとか、このお金で買うように
して欲しいんです。そして、もっと貯まったら、ご飯も食べに行きたいし、りょ、旅行・・・・・とかって、うわあ、海藤さんっ?』
それは海藤が想像もしていなかった真琴の考えだった。
欲しいものがあるのなら、それこそ真琴が望むなら金の糸目などつけずに買ってやりたいと思っていた。海藤にとってはそれ
が常識だった。
しかし、真琴は2人でいるものを貯金をして買うという・・・・・その金額は海藤にとっては微々たる物なのだが、何かしたいと
思う真琴の気持ちが嬉しかった。
思わず高まった気持ちのまま、その夜一晩中真琴を腕の中で啼かしてしまったほどだ。
「一万円も貯めてたら、直ぐにいっぱいになりますね。海藤さん、何か欲しいものありますか?」
「・・・・・一番欲しいものは手にいれたしな」
「え?何ですか、それ?」
興味津々に聞く真琴の顔をじっと見つめていると、どんどんその顔が赤くなっていった。
鈍い、幼いと言われ続けた真琴も、海藤という恋人が出来てから少しは察しが良くなったのだろう。
「え、え〜と、みんなでご飯行くのもいいですよね。倉橋さんや、綾辻さんも誘って」
「俺はお前とがいい」
「か、海藤さん」
海藤は手を伸ばし、スープで汚れた真琴の唇の端を親指で拭う。
「ついてる」
「あ、ありがとうございます」
指先の感触や声のトーンが別の意味を含んでいる気がして、真琴はますます赤くなりながら食事を再開する。
笑みを浮かべたまま見つめていた海藤は、そのままついでのような口調で言った。
「最近、変わったことはないか?」
「変わったこと?」
「大学でも、バイト先でも」
「別に・・・・・あ、海藤さん、今度バイト先に来る時は前もって言って下さいね?俺、びっくりしちゃって失敗したんだから」
「失敗はいつもなんじゃないか?」
「そ、そんなことないですっ」
図星なのか慌てる真琴を笑いながら見つめる海藤は、この穏やかな朝の風景をやっと日常として受け入れるようになっ
た。
そして、手に入れたからこそ手放せなくなってしまった。
(もう一度調べておくか)
真琴の大学での友人やバイト先の人間は一通り身辺を調べたが、もう一度確認しておいた方がいいだろう。
海藤は倉橋に伝える用件を頭の中でまとめながら、目の前で美味しそうにパンを頬張る真琴を見つめていた。
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