愛情の標










 午後の講義が突然休講になってしまった真琴は、空いた時間をどうしようかと考えながら携帯を取り出した。
大学生になってから初めて携帯を持った真琴だったが、その操作方法を覚えてしまう前に、海藤から最新式の新しい携帯
を与えられた。
メモリーの中の名前が男名が多かったのが原因だと綾辻は笑っていたが、機械に強くない真琴は最低限の操作を覚えるだ
けでも一苦労だった。
 「・・・・・あ、海老原さん?今、いいですか?」
 大学やバイトの行き帰りは必ず連絡するようにと言われた通りに連絡すれば、直ぐに迎えに行くので人目の多い学内のカ
フェで待っているように言われた。
 「心配性なんだよね、みんな」
口ではそう言うものの、兄弟の多い真琴は兄達に構われていた事を思い出してくすぐったい気持ちがする。
思わず緩んでしまう頬をおさえた時、
 「うわっ?」
 目の前に立ちふさがっていた何かにぶつかった。
よろけそうになった身体を支えてくれたのは、そのぶつかった相手のようだ。
 「ご、ごめんなさい!」
 「・・・・・」
 「ちょっと、考え事してて前見てなくて、あ、あの・・・・・」
 「・・・・・」
 何のリアクションも返してくれない相手を、真琴は不安そうに見上げた。
(学生じゃないみたいだけど・・・・・)
背の高い男だった。海藤と同じくらいだろう身長に、20代・・・・・30歳前後だろうか、短く切りそろえられた髪と、精悍な容
貌、スーツに包まれた身体はしっかりと筋肉が付いているようだ。
 「西原真琴か?」
 低く響く声は硬く冷たい。
なぜか真琴はゾクッと身体を震わせた。
(この人・・・・・怖い・・・・・)
感情というものを見せない目に、真琴の身体は無意識に逃げようと後ずさった。
 「聞こえてないのか?」
 「い、いえ、聞こえてます」
 「それなら答えろ」
 「そ、そうです、西原真琴ですけど・・・・・ど、どなたですか?」
 「宇佐見(うさみ)だ」
 「うさみさん?あの、俺のこと・・・・・」
 「写真で見た通り、まだ子供だな」
 「なっ!」
宇佐見はそのまま真琴の顎を掴んで顔を上げさせると、今度は至近距離からじっと見る。
 「確かに目元のホクロのせいか、妙に色っぽくは感じるが・・・・・」
 「はっ、離して下さいっ」
 講義が始まる時間のせいか行きかう学生の数は少ないが、それでもゼロというわけではない。
どう見ても学生ではない男と、可愛らしい容姿の真琴との組み合わせは少し目立つようで、先程からチラチラと視線を感じ
る。
その上、真琴が露骨に警戒している態度を取っているので、もっと目立つ結果になるかもしれない。
(ど、どうしたら・・・・・)
 「開成会の3代目、海藤貴士を知ってるな」
 「か、海藤さんを?」
肯定していいのか迷ったが、相手は既に決定事項として認識しているようだ。大学生の自分とヤクザの組長である海藤と
の関係をどう説明したらいいのか迷っていた時、
 「真琴さん!」
 不意に、真琴の聞き覚えのある声がした。
 「倉橋さんっ?」
何時ものようにきっちりとした背広姿の、見た目はエリート官僚のような倉橋が、珍しく駆け足で2人の傍まで近づくと、真
琴を自分の身体の後ろに隠すように、宇佐見の前に立ちふさがった。
 「倉橋さん、どうして?」
 「所要で近くにおりましたので、代わりにお迎えにあがったんです」
『来て良かった』と小さく呟いた倉橋に、宇佐見が溜め息混じりに言った。
 「お前か」
 「ご無沙汰をしております」
 2人会話から知り合いだというのは分かるが、その雰囲気はとても親しいとは思えない。
真琴は険しい倉橋の表情に不安を感じた。
 「倉橋さん、この人知ってるんですか?」
 「ただの顔見知りだ」
倉橋が答える前にそう言うと、宇佐見は倉橋にあの冷たい目を向けた。
 「あいつは素人の子供に手を出すほどトチ狂ってるのか?」
 「・・・・・」
 「それとも、そいつには何か価値があるとでも?」
 「・・・・・」
 「だんまりか。お前、俺につかないか?優秀な人材は何人いても困らない」
 「ありがたいお言葉ですが、既に私の存在は海藤の血肉になっておりますので、とても切り離すことはかないません」
 「・・・・馬鹿だな、お前」
そう言うと、宇佐見はもう一度真琴に視線を向ける。
一瞬目が合ったが、宇佐見は何も言わないまま、2人に背を向けて立ち去っていった。