愛情の標



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 「ほら、電話して」
 「・・・・・誰に?」
 「海藤会長に決まってるでしょ。今頃探し回ってるんじゃない?」
 人事のように言うアンナを見て、真琴は彼女がとても自分より年上には思えなかった。
海藤はアンナの言うとおり金を用意したとしても、そのまま見逃すような男ではないはずだ。最悪なことなど考えたくはなかっ
たが、少しでも早く海藤に連絡を取って安心させ、どうにかアンナ達を許してくれるように頼むしかない。
真琴は携帯を取り出し、そのまま登録されている番号を呼び出した。
 「それ、会社?」
不思議そうに聞くアンナに、真琴は首を横に振る。
 「いいえ、海藤さんの番号だと思うんですけど」
 「すっごい!あの海藤会長の直通番号っ?」
 「・・・・・」
(テンション高いなあ)
 電話は呼び出し音が2度鳴る前に繋がった。
 『無事か?』
繋がるなり直ぐそう聞いてきた海藤に、真琴はもう全てが分かっているのだと知った。
 「はい、大丈夫です。あの・・・・・」
 『条件は何と言ってる?』
 「条件、条件は・・・・・」
真琴が視線を向けると、アンナは人差し指を一本立てた。
 「100万円?」
首を傾げながら言うと、アンナは目を丸くして掌を上に上げる。
 「もっと上?え?1000万円もっ?」
 「違う!1億よ!」
 「い、1億?」
ごうを煮やしたアンナが思わず叫ぶと、それ以上に驚いた真琴の声が重なった。全く縁のない金額が怖かったが、返ってき
た海藤の言葉にそれ以上に驚いた。
 『そんなはした金でいいのか?』
 「か、海藤さん!」
 『取引場所を教えろ』
 「電話替わるわ」
 もう話はついたと、アンナは気軽に真琴から携帯を取ると弾んだ声で話し始めた。
真琴の方は今だ金額のショックを受けたままだ。
(俺が間抜けにも捕まっちゃったから・・・・・)
 「1億円なんて、弁償出来ないよ・・・・・あ、宝くじ・・・・・ダメダメ、可能性薄過ぎる・・・・・ロト6でも買って・・・・・って、ど
れも確実な方法じゃないだろ〜」
頭の中で思っているつもりが、何時の間にか口に出ていた。
運転している弘中の耳にも届いたのだろう、頬に笑みを浮かべて弘中が言った。
 「会長も君に金を返してもらおうとは思ってないよ」
拉致されたという緊張感がまるでない車内に、真琴の方が気を遣ってしまう。
 「このまま俺を解放してくれるってこと出来ませんか?俺、誰と一緒だったかなんて絶対言いませんから!」
 「無理だな。アンナは一度口に出したことは遣り通す、有限実行な女なんだ」
 「・・・・・そんなとこ誉めないでくださいよ〜」



 電話を切った海藤の顔には、つい先ほどまでの凄まじい殺気は消え失せ、代わりに疲れたような呆れたような表情が浮
かんでいた。
 「女ですか」
漏れ聞こえてきた内容はよく聞き取れなかったが、途中から甲高い女の声が聞こえた。
確かめるように聞く倉橋に、海藤は苦々しく答える。
 「高橋の女だ。名前は思い出せないが、あの声と口調は聞き覚えがある」
 「それなら、川辺アンナね。赤坂でクラブをやっているはずよ」
 海老原から真琴の所在不明の連絡を受けた海藤は、直ぐに真琴に持たせている携帯のGPSを調べ、大体の位置は
確認した。
その間も宇佐見から警護が撒かれたと連絡をして来て、何の為の身辺警護なんだと怒鳴りたいところを低く押し殺した声
で言った。海藤の怒りはそれで十分伝わっただろう。
 てっきり一条会絡みだと最大級の戦闘準備をしての、今の暢気な電話だ。
海藤が脱力しても仕方がない。
 「どんな女だ?」
 おぼろげな記憶しか残っていない海藤は、夜の世界に精通している綾辻に訊ねた。
 「悪い女じゃないけれど、男運は悪くて・・・・・、高橋以前の男もしょーもない奴ばっかり」
 「どうしてそいつが真琴を?」
 「開成会の海藤会長に喧嘩を売るなんて、頭のいい人間ならしないでしょうから。多分誰かに唆されて金狙いってとこが
妥当かと」
 「確かに1億とか言ってたしな。真琴の命をそんなに安く見積もられても腹が立つが・・・・・」
 「それなら、今手持ちにありますので」
 「欲しいならくれてやれ」
 「その前に、お灸をすえないと」
楽しそうに言う綾辻を呆れたように見つめ、倉橋は海藤に視線を戻した。
 「警察が気付く前に済ませてしまいましょう。場所はお聞きになりましたか?」
 「ああ」
 真琴が攫われたらしいと連絡を受けた時、海藤はまるで自分の心臓がもぎ取られた様な痛みを感じた。
弱みがないはずの自分が、わざわざ手を伸ばして抱き込んだ存在である真琴を、たとえ擦り傷でも負わせるのは許さない。
再び憤りのオーラを漂わせる海藤に、倉橋ですら直ぐには言葉を掛けることが出来なかった。