愛情の標



15






 海藤に電話してから30分ほど走った車は、何時の間にか赤坂の街並みを走っていた。
 「どこに行くんですか?」
返事を期待しないまま聞くと、アンナは笑いながら答えてくれた。
 「どうせ身元は割れているんだし、下手に人気のない所で待ち合わせて何かあるより、いっそ私の店で会った方がリスク
が少ないと思って」
 「そ、そうですか?」
 「そうよ。・・・・・あ、ここ」
 中心部より少し外れているが、人通りは多い好条件の立地にアンナの店はあった。
タクシーは真正面の道路に横付けされ、真琴はアンナに促されて外に出る。夕方といえる時刻だがまだ陽は明るく、ムッと
した空気が頬を掠った。
 「このビルの3階なの」
 そう言いながら歩き出そうとしたアンナは、向けた視線の先に居る人影を見て息を呑んだ。
 「アンナさん?」
急に立ち止まったアンナを怪訝そうに見た真琴は、アンナの視線を追って前を見る。そこには数人の柄の悪い男達が立っ
ていた。
 「知ってる人ですか?」
 「・・・・・高橋よ」
 「え?」
(じゃあ、海藤さんの言っていた一条会の・・・・・)
 「よくやったじゃないか、アンナ。頭の軽いお前にしては上出来だ」
 中の1人、見かけはまるで銀行員のようにきっかりとしたスーツ姿の男が、皮肉そうに唇の端を歪めながら言う。
 「どうしてここが・・・・・」
 「お前の店の黒服に金をやったら、今日の計画をペラペラ話してくれたぜ。大事な話は口の軽い奴の前じゃ慎むことだな」
 「・・・・・あの馬鹿っ。・・・・・で、何しに来たの?」
 「お前に用はない。そっちの男に」
 「・・・・・」
少しも笑っていない目で笑い掛けられた真琴は思わず後ずさった。
(気味悪い、この人・・・・・)
 隣を見ると、さすがにアンナは強張った表情で、真琴は思わずその手を握った。
 「・・・・・」
アンナの縋るような視線に確証もなく頷いてみせると、真琴はタクシーの方に視線を向けた。数メートル離れたタクシーのサ
イドミラー越しにこちらを見ていた弘中も空気を察したようだ。
降りてくるのではと心配した真琴だったが、タクシーはそのままその場から立ち去る。
弘中が海藤に知らせてくれるかどうかは五分五分だが、このまま3人とも拘束されるよりはよっぽどましだ。
 「お前が西原真琴か。・・・・・本当に男だったんだな。あの海藤が男になあ」
男の言葉に周りにいた者達も下品な笑い声を上げる。海藤と自分の関係を知っている上での揶揄なのだろう。
 「海藤の慌てる姿をやっと拝めるな」



 「倉橋幹部、弘中という男から電話が入っています。至急社長と話したいということですが」
 「弘中?」
 今まさに出掛けようとしていた倉橋は、その名前が頭のどこかに引っかかった。
 「回せ」
掛かってきたのは、世間にも知られている海藤の表の会社で、誰が掛けてきてもおかしくはないのだが、このタイミングで至
急という言葉に胸騒ぎを覚えた。
もちろん身元が分からない相手の電話に海藤が直接出ることはなく、代わりに倉橋が受話器を取った。
 「はい」
 まずは名乗らないまま電話に出ると、相手は一瞬黙り込んだ。
 「広中さん?」
 『・・・・・海藤会長じゃないですね』
会長というからには組絡みの相手だと意識を切り替えた倉橋は、先程よりも声を落として言った。
 「用件は?」
 『俺の妹が西原真琴さんを拉致したことはご存知ですね?』
 真琴の名前を聞いた途端、倉橋は傍に居る海藤にも聞こえるようにスピーカーに切り替える。
 「川辺アンナの身内か?」
 『兄です。さっき取引先のアンナの店まで行ったんですが、その場に高橋が現われました』
そこまで聞いた時、海藤が倉橋から受話器を取った。
 『真琴はどうした?』
声の変化で相手が海藤に代わった事に気付いたらしい弘中は早口に続けた。
 『相手は高橋を含めて5人です。アンナと一緒に店の中に連れ込まれたと思います』
 「・・・・・お前、今どこだ?」
 『店から1キロほど離れた所に。・・・・・申し訳ありません、妹を許してやってください。あいつも切羽詰ってあんなことをしで
かして・・・・・』
 「真琴は無関係だろう」
 『・・・・・』
 「連絡をしてきたことだけは考慮する。今から言う場所に来て店の構造を教えろ」
海藤はそう言い切ると倉橋に電話を代わり、自分は別の内線を掛けた。
 「俺だ」
相手がただの女ではなく高橋に変わった時点で、こちらも体勢を整えなければならない。一刻も早く真琴を腕に抱きしめた
いと焦る気持ちを押し殺して、海藤は電話口に出た相手に言った。
 「腕の立つ人間を用意しろ。ムショに入っても構わんという奴もだ」
五体満足で済ませる気は毛頭なかった。