愛情の標



17






 海藤はゆっくりと高橋の向かいのソファに腰を下ろした。
真琴の隣に高橋が座っているのはかなり腹立たしいが、とりあえずは黙ったまま、しかしフレームスの眼鏡の奥の切れ長の
目はまるで射るような視線で高橋を見ていた。
 「で、そいつを餌にしてまでのお前の言い分は何だ」
 「大して難しい話じゃありませんよ。開成会を欲しいなんてだいそれた事も思っちゃいない。ただ、私の後ろ盾になって欲し
いんです。この世界じゃ新参者の私なんか足元にも及ばない程あんたは有名だ。そのあんたが後ろにいると言えば、大抵
の話は通るようになる」
 「その話ならとうに断ったはずだが」
 「だから、あんたのオンナに協力してもらってるんですよ」
 オンナという響きに真琴の頬が強張るのを見た海藤は眉を顰める。
それだけでも高橋は罰を受けなければならなかった。
 「それでも断ると言ったら?」
 「丸腰の、それもオンナをカタに取られて言えますかね」
 自分の優位を確信している高橋は、軽く服の上から自分の胸元を叩いた。その仕草で、そこに何を忍ばせているかは分
かるだろう。
海藤ほどの人物でも、これ程至近距離で、しかも人質を取られていて、簡単に切り抜けることは出来ない・・・・・そう思っ
ていた高橋だが・・・・・。
 「丸腰だと、なぜ分かる」
 「ボディーチェックをしましたからね」
 「その場に自分がいなかったのに分かるのか?」
 「・・・・・」
 自信に満ちた海藤の言葉に、高橋は急に胸騒ぎを覚えた。確かに命令はしたが、その現場を自分が見ていたわけでも
ないし、中に入ってきて自ら検めたわけでもない。
(まさか・・・・・)
高橋は隣で不安そうな顔をしている真琴の腕を掴むと、内ポケットに忍ばせていた銃を取り出そうとした。
しかし、
 「!」
 「遅い」
 一瞬早く、高橋の面前に銃を突きつけた海藤は、驚く真琴を視界に入れながら言う。
自分のボスの危機に、高橋の部下が焦ったように銃を構えようとした。
しかし、その動きを抑えたのは綾辻だ。
 「あら、話の邪魔しちゃダメじゃない」
笑いを含んだ声で言いながら、自分より体格のいい男の腕を軽く後ろ手にして拘束する。
バキッと鈍い音がし、男は意味不明な声を上げながら床を転がった。
 「や〜だ、折れちゃった」
 まさか綾辻のように細身の男がそれほど力があるとは想像もしていなかったのだろう。
異変に気付いた男がまた1人中に飛び込んできたが、綾辻は軽く身をかわして足を引っ掛け、床に蹲った男の背中を足
で踏みつける。
 あっという間の出来事にその場は静まり、腕を折られた男の呻き声だけが聞こえた。
 「・・・・・っ」
圧倒的に優位なはずの自分が反対に窮地に追い込まれたことを悟り、高橋の顔は青ざめ、額には脂汗が滲んできた。
 「お前はよっぽど部下に慕われてないらしい。ボディーチェックは信用する部下にやらせるか、自分でするのが間違いない
な」
 自分の利益しか考えないトップについていく人間は少ない。
ましてやこのヤクザという特殊な世界の中で、本当に上下間での信頼関係がなければ、命を賭けて従う者など皆無だと
いってもいいだろう。
簡単に部下に見放された高橋は、所詮上に立つ器ではなかったということだ。
 「安全装置は外してある。好きなだけ弾を食わせてやるぞ」
 「お・・・・・前・・・・・っ」
 「あのまま大人しくしていれば、少なくともお前を眼中には入れなかったんだがな。こいつに目を付けた時点で、お前の道
は閉ざされた」
 「わ、私を殺せば、ムショ行きだ・・・・・っ」
 「これでも俺には、代わりに入りたいという奴らがワンサカいるんだ。大体死体がなけりゃ犯罪は立証出来ない」
 「!」
 「どうする?このまま楽になりたいか?」
 突きつけられている銃は微動だにせず、高橋の眉間を狙っている。
少しの迷いもなく銃を握っている海藤の手は震えることもなくて、海藤がかなり場慣れしていることを示していた。
勝てない・・・・・そう判断するのに時間は掛からなかった。
 「わ、分かった、何をしたら助けてくれるっ?組の解散かっ?いいぞ、あんな役にたたない奴ら、こっちから願い下げだ!」
 「・・・・・そこに転がっている奴らもか」
 「そんなオカマにやられるなんて恥だなっ」
 「・・・・・酷い」
 真琴の呟きに、海藤はようやく真っ直ぐ視線を向けた。
 「真琴、来い」
本来なら、真琴には自分の裏の部分は見せたくはなかった。
明らかに違法な銃を持っていること、誰かに加える暴力。それらを目の当たりにした真琴は、それでも自分の傍にいてくれる
のか、自分からは真琴を手離すことの出来ない海藤は、真琴の想いがどれ程のものなのか知りたかった。
拒絶や嫌悪の目で見られたら自分はどうするだろうか、先が読めないということがどんなに不安定なことか、海藤は真琴と
知り合ってから色々な初めての感情を知ることになったが、その甘く苦しい感情は嫌なものばかりではない。
 「海藤さん!」
 そして、迷いなく、真っ直ぐに自分の傍に来る真琴を、海藤は愛おしそうにその髪を撫でてから抱きしめた。
 「怖い思いをさせた」
 「ううん」
 言葉では否定しながらも身体はまだ震えている。
真琴にこれ程の恐怖を与えた高橋を、海藤はゾッとするほど冷たい視線で見つめた。