愛情の標
3
大丈夫と口では言いながらも青ざめた真琴の顔色を心配した倉橋は、直ぐに海藤に連絡を取ると会社の方に車を回し
た。
「仕事の邪魔になるんじゃ・・・・・」
「構いませんよ。今の状態のあなたを1人にする方が叱られます」
「・・・・・すみません」
車は直ぐに会社に着いた。
真琴にとってはあまりよい思い出がある場所ではないが、ここに海藤がいると思うとそれだけで安心した。
「ご苦労様です」
玄関先で待っていた男達や、すれ違う者達は、一様に倉橋に向かって頭を下げる。
「何ですか?」
エレベーターの中で、先程から真琴の視線に気付いていた倉橋が問うと、真琴は感心したように言った。
「倉橋さんて、出来るって感じですよね」
「出来る?」
「憧れます」
「それは・・・・・光栄です」
倉橋が苦笑した時、エレベーターは目的の階に着いた。開いたドアの先には・・・・・。
「海藤さん!」
エレベーターの前で待っていた海藤は、真琴の顔を見るとホッとしたように緊張を溶かし、そのままその身体を抱きしめた。
何時もなら人前での抱擁は恥ずかしくて拒んでしまうが、さすがに不安だったのか、真琴は素直に海藤に身体を預けた。
「嫌な思いをさせて悪かった」
「ちょっと、驚いただけだから」
倉橋から連絡をもらった時、海藤は怒りと共に、やはりという思いを抱いた。電話で話した自分の様子で、相手は真琴
を実際に見る気になったのだろう。
(手を出すなと言っても聞かなかっただろうが・・・・・)
社長室に連れて行き、用意させたミルクティーを入れてやる。
「うわ、これ、本格的?」
「不味いか?」
「美味しいですよ、俺の口にはもったいないくらい」
「真琴」
少し落ち着いたのを見計らい、海藤は真琴に聞いた。
「あいつは何て言っていた?」
主語はなかったが、それが宇佐見を指しているのは直ぐに分かる。あの冷たい目を思い出して少し眉を顰めたが、真琴は
自分も知りたいことだったので、あの場面を思い出しながら口を開いた。
「あまり話してはいないんです。俺のこと、写真で見たとか、海藤さんのこと知ってるかとか・・・・・何て言おうか迷っていた
ら倉橋さんが来てくれたから」
「そうか」
倉橋には報告は受けたものの、駆けつける前の2人の会話までは分からない。真琴は嘘は言わないだろうが、自分の為
を思って言わないことはあるかもしれない。
(裏目に出たか)
牽制する意味を込めた電話での会話も、相手には全く効果はないらしい。
海藤は少し考えていたようだったが、やがて携帯を取り出すとどこかに電話を掛けた。
(ボタン押してる)
それは、親しくはないが、番号を記憶する必要がある人物なのだろう。
呼び出し音は数回で、直ぐに電話は繋がった。
「俺だ。明日時間空けろ」
簡潔な用件だけの言葉に、相手も短く答えた。
『明日午後2時、何時もの場所で』
(あの人・・・・・宇佐見って人の声・・・・・)
電話越しでも冷たく聞こえる声に、真琴は無意識に海藤のスーツの端を握り締めてしまう。
それに気付いた海藤は片手で真琴の腰を抱き寄せた。
「分かった」
『同席は1人までだ』
電話は切れた。
海藤は抱き寄せた真琴の顔を見つめると、不本意だがと前置きをして言った。
「明日はお前も一緒だ」
「お、俺も?」
「隠せば余計探りたくなるんだろう。それなら最初から見せてしまえばいい」
その口調は、海藤が相手のことをよく知っていることを匂わせた。
「海藤さん、あの人のことよく知ってるんですか?」
「・・・・・知りたくはないが、関わっている存在だな」
「関わっている?」
「明日会えば分かる。これ一度きりだ」
「・・・・・会わなくちゃいけませんか?」
「会わせたくはないがな」
それは海藤の中では決定していることなのだろう。値踏みするような、あの冷たい視線に晒されるのはいい気はしないが
今度は海藤も一緒なのだ。
「分かりました」
「少し、ここで待ってろ。夕食を食べに連れて行く」
「いいですよ!仕事の途中なのに!」
「・・・・・そうか?」
海藤が倉橋に視線を向けると、直ぐに否定の言葉が帰ってきた。
「一時間ほどお待ちいただければ大丈夫ですよ。その間私がお相手しましょう」
「頼む」
不愉快な出来事だが、そのおかげで真琴が会社まで来た。
好機を逃すつもりのない海藤は、さっさと仕事を終わらせるべく立ち上がった。
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