愛情の標



22






 真琴の感情が少し落ち着いたのを見計らって、倉橋は話を続けた。
 「次に、兄の弘中禎久ですが、彼はうちで預かることになりました」
 「え?預かるって?」
 「彼のドライバーとしての腕は本物ですし、今回のことも妹であるアンナに引きづられてといった感じですから。もちろん、
真琴さんには近付かせませんから」
 「じゃあ、広中さんはヤクザさんになっちゃうんですか?」
 「それとも少し違いますね。あくまで運転手として扱うつもりですから」
 「・・・・・そうですか」
 「彼、結構有名なレーサーらしいわ。資金面で困って廃業しちゃったみたいだけど、このまま腐らすのももったいないし。
ま、心配するような待遇じゃないから」
 「・・・・・はい」
何時も冗談や楽しい話ばかりする綾辻だが、嘘は言ったことがない。
弘中の事をこれ以上心配するのは自分の傲慢かもしれないと思い、真琴は素直に頷いてみせた。
 「それに、他の男の心配してたら、社長が焼きもちやいちゃうわよ」
 「えっ?」
 「綾辻」
 倉橋が諌めるが、焼きもちという言葉があまりにも海藤に似合わなくて、真琴はチラッとその横顔を見つめる。
その視線に気付いた海藤は、隣に座る真琴の髪をクシャッと撫でた。
 「そういうことだ」
 「え・・・・・あ・・・・・」
見る間に真っ赤になっていく真琴を楽しそうに見つめる海藤。
そんな2人の熱々ぶりに、倉橋も綾辻も苦笑するしかなかった。



 「はい、待ってます」
 2日後、案外過保護な海藤がもう1日休ませたせいで、真琴は2日ぶりに大学に行った。
そろそろ夏休みに入るせいか、キャンパスを歩く学生達の数も少なくなって、真琴はぼんやりとこれから過ごす長い休みのこ
とを考えていた。
兄達はもちろん、末の弟も絶対に帰って来いと喚いていたし、父も母も祖父も、皆真琴が帰郷するのを楽しみにしている
ようだ。
真琴としても家族と会いたい気持ちは山々だが、海藤と長い間離れるのは寂しい。
(こ、恋人同士だもんね・・・・・)
 「あ・・・・・と」
 考え事をしながら歩いていると、つい門から出そうになった。
大学の近くで拉致されたということで、大学からはくれぐれも出ないで待っていて欲しいと海老原に言われたばかりだ。
真琴は門に背もたれるようにして迎えの車を待っていた。
 「・・・・・」
 ふと、滑る様に目の前に車が止まった。
何時もの迎えの車ではない外車で、運転席から降りてきたのは・・・・・。
 「宇佐見さん?」
 「高橋はうちが押さえた」
 前置きもなく、唐突に宇佐見は言った。
 「組織から命を狙われているから助けてくれだと。自分も同じ穴のムジナのくせに、こういう時ばかり警察に頼ってくる」
 「あの人、捕まったんですか・・・・・」
 海藤達も高橋の処遇に関しては真琴に何も言わなかった。言う必要もないと判断したのかもしれない。
そして、さすがに真琴も可哀想だとは思えなかった。
アンナを追い詰めたのは高橋だし、そのうえ海藤を傷付け様とまでした男だ。いい気味とまでは思わないが、仕方ないと納
得出来ることだった。
 「お前に付けている護衛も外すことになった。上から言われたんだが・・・・・多分あれが何か細工したんだろう」
 「あれって・・・・・」
 「肝心な時に助けてやれなかった。・・・・・すまない」
 「宇佐見さん・・・・・」
 弘中に尾行を撒かれ、宇佐見はかなり悔しい思いをしていた。
匿名の電話があって、一条会の高橋の女が経営する店に駆けつけた時には、呆然と座り込んでいる高橋本人と腕を折
られた部下が数人いただけだった。
 高橋は素直に薬の密売を認め、保護して欲しいと言って来た。怪我をした部下達も、自分の不注意からだと第三者
の関わりを認めず、宇佐見は今回も海藤の尻尾を掴むことが出来なかった。
(タレコミの電話もあいつの差し金のはずだ)
また一歩、海藤に及ばなかった悔しさと同時に、今回は別の感情も生まれていた。
それが、真琴に対する思いだ。
 部下から真琴が拉致されたとの報告を受けた時、宇佐見は自分でも信じられないほど激高し、傍にいなかった自分を
後悔した。
 そして、その真琴を助けたのが海藤だろうと思った時、宇佐見は自分の気持ちを自覚したのだ。
海藤に真琴を渡したくないと・・・・・。
(何回も会わない男・・・・・それもあいつのモノに・・・・・)
 今まで付き合ってきた女達の誰にも本気になれなかった自分が、よりにもよって自分が敵視している義兄の恋人に想い
を寄せるようになるとは思ってもいなかった。
 「宇佐見さん?」
 今は真っ直ぐに自分を見つめているこの目は、本来は海藤のものだと思うと、押さえ切れない熱い感情が沸き立ってしま
う。
 「別れろ」
 「え?」
 「あいつとは別れた方がいい。今回のことも、あいつと付き合っていなかったら無かったことだ。あいつの負の財産をお前が
背負うことは無い」
 「あ、あの」
 「お前が決心するなら、何があっても俺が守ってやる。あいつとは別れろ」