愛情の標










 綾辻と会うのは久しぶりだった真琴は、再び走り出した車の中、嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。
 「お久しぶりです。あの、もしかして俺の為に・・・・・」
 「私がマコちゃんに会いたくって。あなたのダーリンが仕事を詰め込んでくれちゃって、ま~ったくお休みなかったのよ」
 「ダ、ダーリンて・・・・・」
 あの海藤をそう呼べるつわものは綾辻くらいだろう。
真っ赤になる真琴を楽しそうに見ていた綾辻は、チラッと後ろに視線を向けた。
 「あ~あ、ご苦労なこと。ま、税金の無駄遣いだとは思うけど」
 「あの、綾辻さん、俺のこと、結構周りに知れ渡っちゃってるんですか?」
 「ん~」
 肯定すれば、やはりショックを受けるだろう真琴に、綾辻はさすがに一瞬口ごもってしまった。
元々海藤は女遊びの激しい方ではなかったが、それなりの付き合いや接待は受けていた。海藤の容姿や財力は、ヤクザ
という肩書きさえ魅力的に映すようで、夜の女達だけではなく財界の奥方や令嬢まで誘いを掛けてくるほどだった。
 そんな海藤が最近1人の愛人を囲ったらしいという噂はたちまちの内に広がり、それが何者かとの詮索も強まったが、さす
がに男だと知っている者はまだ少ないはずだ。
警察の方でも、まだ情報は錯綜している段階で、2人も付いた身辺警護はおそらく宇佐見の命令だろう。
(全く、お兄ちゃんが嫌いだからって、その恋人を苛めてどうするのよ)
 倉橋に言われ、宇佐見の背景を調べてみたが、表面上は資産家の子息ということで、物質的な苦労はなかったようだ。
宇佐見の出生の秘密も極限られた人間しか知らないようで、頭のいい、親孝行な息子だと評判で、義父から虐待を受
けていたという報告もない。
傍目から見れば順風満帆な人生を歩んできた宇佐見が、なぜそこまで海藤に拘るのか、それはもう本人しか分からないこ
とだろう。
 ただ、その兄弟喧嘩も、お互いがヤクザと警察という正反対の立場が絡んでくるから厄介だ。
 「綾辻さん?」
(ホント、克己も遠慮も何もなくこき使うし)
 心の中で倉橋にも文句を言いながら、綾辻は不安そうな目を向けてくる真琴に優しく言った。
 「大丈夫、この世界にも決まりがあってね、何の関係もない素人さんには手を出さないわよ。まあ、たまに馬鹿な奴らもい
るけど、社長に任せとけば大丈夫。マコちゃんはで~んとしてていいのよ」
大きなジェスチャー付きで話す綾辻は、そのモデルのような外見とはギャップが有り過ぎて思わず笑ってしまう。
 真琴の気が削がれたのを悟り、綾辻は更に言葉を続けた。
 「バイトまでまだ時間あるわね。美味しい激辛ラーメン食べに行かない?私お腹ペコペコなの」
 「あ、じゃあ、海老原さんと筒井さんも一緒にどうですか?」
 「あ、い~わね、奢っちゃうわよ」
真琴の気分を上昇させる為、海老原達も素直に話に乗った。
 「ご馳走になります」
 「ありがとうございます。ご相伴に預からせて頂きます」
 「なに、筒井ったらおっさん臭いわよ」
綾辻のおかげで、真琴は束の間現状を忘れることが出来た。



 綾辻から無事真琴をバイト先に送ったとの報告を受けた海藤は、独断で身辺警護を付けたであろう宇佐見を苦々しく
思っていた。
確かに警察とは持ちつ持たれつの関係があり、真琴の存在を知られたばかりの今の状態では利用することも一つの方法
だが、いかんせん無骨でデリカシーの無さすぎな警察は、真琴にとってはかなりのストレスになるだろう。
 「組の方は、あいつは関係ないようだな」
 「はい、報告書では、6件の内、4件で『一条会』の車が現場にいたそうです」
目撃された車のナンバーから、その所有者は直ぐに分かった。
 「確か、最近あそこは代替わりしたはずだな」
 「前組長が身体を壊されて、随分揉めたようですが。結局有力視された若頭の今井ではなく、監査役をしていた高橋
が襲名して・・・・・」
 「先月、俺のところに挨拶に来たな」
 『一条会』は『大東組』の傘下ではなく、海藤の『開成会』とはまた別の系列だ。
どちらかといえば昔からの武闘派で、経済ヤクザとして名を売っている海藤を良くは思っていないようだった。
その前組長が退き、新しく組長になった高橋は頭脳派で、『大東組』の幹部と顔見知りだという、たったそれだけの繋がり
で挨拶に来ると、ぜひ教えを請いたいと言っていた。
しかし、その目が狡猾な光を帯びていたことを海藤は見逃さず、懐に入れれば裏切るだろう人物と評価して、高橋の様々
な提案をきっぱりと断った。
 「あれで、火が付いたのか?」
 「もともとそういう人物だったというだけの話です。ただ、これ以上図に乗ってこられては、少々面倒なことになるかもしれま
せん」
 「奴と組んでいるのは?」
 「所轄の署長ですね。金だけの繋がりのようです」
 短期間だが、綾辻の報告はかなり正確で細かい。高橋と問題の署長との関係も、どうやって手にしたのか通帳の写し
や電話の記録も添えている。
 「どうされます?」
 「本宮のオヤジの手前、手荒なことは出来るだけ避けたいが・・・・・」
高橋が引き合いに出した『大東組』の最高幹部の1人であり、海藤の伯父の菱沼辰雄とは旧知の仲である本宮宗佑
(もとみや そうすけ)の顔を思い出して言うが、ただ指を銜えているだけでは情けない。
 「もう少し様子をみるか」
新しいスタイルのヤクザと言われている海藤も、この世界のしがらみというものを無視することは出来なかった。







                                   







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