赤い鎖










 綾辻にとって、海藤の変化は喜ぶべきものだった。
初めて会った時から大人びた雰囲気を持っていた年下のこの上司は、綾辻が知る範囲の中で誰かに・・・・・いや、何かにこ
れ程執着したことはなく、今までの女性関係もこの世界でトップに立つ者としてはかなり淡白な方だった。
 それが、男とはいえ、自分の想いを注げる相手を見つけ出し、また相手からも同様に想いを向けてもらえるようになったのは、
本当に幸運だったろう。
同性などということは何の問題もない。綾辻だって何人かの男と遊びで寝たこともある。
(遊びなら・・・・・簡単なんだがな)
 綾辻は今だその唇にさえ触れることの出来ない自分の愛しい相手を見つめながら、深い溜め息をついてしまった。



 「何ですか、人の顔を見て溜め息なんて」
 文句を言いながらも相変わらず無表情のままの倉橋だが、その表情をずっと見てきた綾辻には倉橋が機嫌が良いことが分
かっていた。
それは、海藤が西原真琴と暮らし始めてからずっとだ。


 西原真琴は調査段階から『いい子』だとは思っていたが、実際に向き合ってみてもその印象は全く変わらなかった。
さすがに最初が最初なので初めは随分警戒されたようだったが、慣れてくると真琴はたとえヤクザという立場の人間に対しても
変わらず優しく、その素直な性格と暖かい雰囲気は、今では組の癒しとなっている部分も大きい。
 何より一番影響を受けている海藤にいたっては、もはや真琴無しの生活など考えられないようで、真面目に仕事をこなした
後はほとんど接待は受けずに真琴の待つマンションに帰っている。
今まで回数こそ多くないものの、海藤の夜の相手のセッティングもしていた倉橋は随分と楽になったはずだ。
(克己まであの子を気に入ってるしな)
 綾辻も意外だったが、倉橋は真琴を海藤の相手として以上に、個人的にも気に入っているらしい。
少し前、真琴の買い物に付き合ってそのままマンションに行き、真琴を酔わせてしまったことがあった。
それはもちろん故意ではなく、粕漬けで酔ってしまうなどとは綾辻でも予想外だったが、その帰りに綾辻は倉橋にきつい眼差し
を向けられた。

 「真琴さんに手を出すようなことがあったら・・・・・許しませんよ」

海藤を思ってのことも間違いはないだろうが、真琴のことを考えたうえだという事も間違いではないだろう。
そこに恋愛感情など無いのは分かっているが、さすがに今だ笑みを向けられることのない綾辻にとっては、真琴に対しても傍違
いな妬きもちを焼きたくなってしまうのも、あながち大げさな話ではなかった。


 「・・・・・綾辻さん、最近遊んでいないんですか?この間店の女から電話があったようですが」
 「今はお仕事モードなのよ。克己だって全然遊ばないじゃない」
(・・・・・参った、聞かれてたか)
 綾辻は内心舌打ちを打った。
 昨日、女から事務所に電話があった。恋人といった関係ではなく、ひと月に一度会えばいい位の気軽な相手のつもりだった
が、相手にとっては綾辻はただの遊びの相手ではなかったらしい。
数ヶ月音沙汰が無いのを詰られた綾辻は、優しく笑いながらばっさりと切り捨てた。仕事場に電話してくるというルール違反を
犯した女に今更食指も湧かない。
 綾辻としてはほんの数分のささいな出来事だったのだが、運悪く倉橋はその場を見ていたのだろう。
 「下の者も遊びに連れて行って欲しいんじゃないですか?」
 「・・・・・」
 「あれ程日替わりのように女を連れていたあなたが・・・・・」
 「克己」
 「・・・・・はい」
 「お前はそれでもいいのか?」
 「綾・・・・・」
 「俺が女を抱いても何とも思わないのか?」
焦ってはいけないと分かっていた。もう4年も待ったのだ、まだ待てるはずだった。
それでも、海藤と真琴の様子を見ると羨ましく思う気持ちがどうしても生まれてしまう。
 「克己」
追い詰めれば逃げられることが分かっているが・・・・・。
 「・・・・・もちろんです。それが、普通の男でしょう?」
 「社長とマコちゃんは普通じゃないって?」
 「そうは言いません。同性同士でも、気持ちが通じ合うこともあるというのは分かりました。でも、綾辻さん、あなたは違います
よね?遊びで男を抱くことがあったとしても、本気にはならないはずでしょう?」
 「克己・・・・・」
それ以上何も言うことはないと、倉橋は綾辻から目を逸らした。



 「あっ、あんっ、ああっ」
 倉橋が何を怖がっているのか、綾辻には分かるような気がする。誰だって異質な世界に飛び込むのには勇気がいるものだ。
それは個人の性格にもよるだろうが、既にそのハードルを乗り越えた綾辻としてはじれったく感じてしまうこともある。
 「ユッ、ユウさんも・・・・・っ、動い・・・・・てっ」
 「でも、私が抱きたくて抱いてるんじゃないわよ?あなたがねだったんだから、頑張って動きなさい」
 笑いながら言うと、綾辻の上に跨った女は必死で腰を振り始めた。
 「ふぁっ、あっ!」
倉橋に言われて、数人の部下を連れて馴染みの店に来た。
倉橋が言ったから、こうして女を抱いている。
身体は生理的な刺激で立派に役立っているようで、女は並みの男よりも太く長く、そして硬い綾辻のペニスを喜んで味わって
いるが、綾辻はどうしても心が興奮してこなかった。
(こんなんでも女は抱けるんだよなあ)
男というものは、これに関しては動物なのだろう。
 「・・・・・」
 なかなか高まらない気持ちのままでは義務のようなセックスも終わることが出来ないので、綾辻は目を閉じて倉橋の顔を思
い浮かべる。
作ったような綺麗な顔、眼鏡越しに切れ長の目から向けられる冷たい眼差しに、色っぽい薄い唇・・・・・。
あの唇にペニスを咥えてもらったらどんな気分だろうか。

 「綾辻さん」

 「・・・・・っ」
 急に高まってきた射精感に、綾辻はきつく眉を寄せる。
閉じた目蓋の裏に、自分の上に跨って淫らに腰を振る倉橋の姿が浮かんで、次の瞬間、綾辻はそのまま薄いゴムの中に欲
望を吐き出していた。
(・・・・・情けねえ・・・・・)
苦い思いだけが残ってしまった。