赤の王 青の王子   外伝





蒼の光





                                                          ※ここでの『』の言葉は日本語です






 バリハン王国第一王子であるシエンは、ソリューを走らせて宮殿から少し離れた泉にまでやってきた。
まだ陽が高い時間で、本来ならば執務に励んでいるはずなのだが、母親である現王妃アンティの責めから逃れる為にこんなところ
まできたのだ。

 《そろそろ婚儀を挙げることを考えてもいいでしょう》

 シエンがエクテシアから戻って1ヵ月ほど経った。
当初は《強星》がエクテシアを選んだと警戒していた大臣達も、日々が過ぎるにつれて落ち着きを取り戻していた。
それに、シエンが当人の有希の性質を語り、意味も無く他国を侵略する者でないと言い切ったのも大きな要因になっていた。
 すると、次に話題に上ったのは、先延ばしになっていたシエンの結婚のことだ。
全く興味がないというわけでもないし、今までそれなりの経験を積んでいるシエンだが、子作りの為だけに想いもしない相手と結婚
するのは躊躇われた。
その上、今のシエンの心の内には有希の面影が焼き付いている。あれ程刹那的な出会いだったのにも関わらず、シエンの中に強
烈な印象を残した有希を忘れないまま、誰かを腕に抱くことなど到底出来なかった。
 幸い、シエンの弟王子は既に結婚し、2人の王子を儲けている。後継には困らないはずなのだが、両親も、そして国民も、賢く
優れた人格者であるシエンの子を世継ぎにと望んでいるのだ。



 今日も執務室まで強引に押しかけてきたアンティは、許婚との婚儀の日取りを決めようと催促してきた。
いい加減疲れたシエンは、そのまま所要があると言って抜け出し、気分転換にと遠駆けに出たのだ。
(母上のお気持ちも分かるが、今の私にはユキ以外の伴侶など考えられない・・・・・)
 「出来れば許婚も解消したいが・・・・・」
 ソリューの背から降り、シエンは泉の中央まで歩いていく。片側の崖になっている方の上からは滝のようにとめどなく水は流れてくる
ものの、不思議と泉の水の量は増えない。
泉といっても膝程の深さしかないのだ。
 「ユキはどうしているだろうか・・・・・」
(アルティウス王は無体な真似をしておらぬか・・・・・)
 有希自身が残ると言った以上、シエンが出来ることなど何もない。
自分が限りなく無力に思えて、再び深い溜め息を付いた時、

 『うわああああああ!!!』

 「!」
 耳をつんざく悲鳴と共に
 「・・・・・なんと!」
 滝の裏側から、人間が1人転がり落ちてきた。
 『冷て〜!!』
騒々しく何事か喚きながら、全身びっしょり濡れそぼったその人物は立ち上がる。
そしてまるで動物のようにプルプルと頭を振って水を切る仕草をしたかと思うと、キョロキョロ視線を動かして、やがて今の出来事に
呆然と立っているしかなかったシエンの姿に気付いた。
 『な、何だ?誰だっ、あんたっ?』
 全く聞き覚えのない言葉だ。
 「そなた、何者だ?どうやって現われた?」
 『うわっ、英語か?いや、英語じゃないよな?フランス語?イタリア語?』
 「何を言っている?」
 『何だよ、見掛けアメリカ人みたいなのに詐欺じゃん!・・・・・って、ここどこだよ〜っ?』
 ひとしきり騒ぐその人物は、まるで少女のように小柄で華奢だが、透けた服からは乳房のようなものは見えない。
どうやら少年のようだと思ったシエンの頭の中に、ふと有希の姿が浮かんだ。
《強星》の主とはいえ儚く、か弱く、そして神秘的な美しさを持っていた有希。
 「・・・・・全く違う・・・・・」
 確かに可愛らしい容姿をしているが、目の前の少年は強烈な魂の輝きが見える。
有希が月の儚さならば、この少年は太陽の光だ。
 『おいってば!何だよ、言葉全然わかんねーよ』
 困ったように眉を下げる姿は、まるでやんちゃな小動物が愛撫を待っているようだ。
思わず手を伸ばしたシエンは、少年の身体をそっと抱き寄せる。
 『何?』
首を傾げる仕草が可愛らしく、思わず微笑んだシエンはそのまま少年に唇を重ねた。
 『!』
 その瞬間、見掛けからは想像も出来ない強さで身体を突き飛ばされたシエンは、目の前で顔を真っ赤にして睨みつけてくる少年
を見た。
 『屈辱だ・・・・・野郎にキスされるなんて、俺を馬鹿にしてるだろ!』
 「おい、震えているぞ、寒いのではないか?」
 『くっそ〜・・・・・っ、あ!』
拳を握り締めて下を向いた瞬間、少年は水の中から袋を取り出した。
 『これも流れてきてたんだ。・・・・おいっ、お前、これ以上変な真似してみろ、一発入れるぞ!』
何か言いながら袋の中から取り出したのは木の棒のようだ。
しかし、それはただの棒ではないのだろう。少年が両手でそれを持って構えた瞬間、その場の空気が凍りつくのを感じる。
 「・・・・・なんと・・・・・」
それはまるで名のある剣豪と相対する時と同じだった。