赤の王 青の王子   外伝





蒼の光





                                                          ※ここでの『』の言葉は日本語です






 蒼は混乱していた。
つい数分前まではバスの中にいたはずだった。
バスに乗れてホッとしたのと心地よい揺れのせいか直ぐに眠気に襲われ、眠ってしまった時に急ブレーキを踏んだような衝撃があり、
ハッと目を開けた瞬間目の前には水のカーテンがあった。
(ほんと、どこなんだよ、ここ・・・・・どっかのアトラクションか?)
 あっと思った時にはもう水の中で、慌てて立ち上がった蒼の目に映った風景は、それまで窓越しに見ていた見慣れた街並みとは
正反対の青々とした木々に囲まれた広い草原だった。
 蒼は竹刀を構えたまま、目の前の不思議な男をじっと見る。
小麦色の肌に金髪に近い明るい髪、目の色は青色で、背も蒼がコンプレックスを抱きそうなほど高い。
一見アメリカ人かとも思ったが、話す言葉は英語ではなく、蒼が今まで聴いた事のない響きだった。
 頭の中はパニック状態の蒼も、キスという直接的な行為には反応してしまった。
ファーストキスではないものの、男にされたのは大問題だ。
(初対面で、それも男に、普通キスなんかしないだろ・・・・・っ?)
 だから思わず、傍にあった愛用の竹刀を構えていた。剣道の有段者である蒼は、この竹刀さえあればどんな大男の対戦相手で
も負ける気などせずに戦えたからだ。
目の前の男にも本当に打って掛かろうとは思わなかったが、威嚇はするつもりで本気で構えた。
 しかし、男は驚いたような表情はしたものの、怯んだ様子はいっこうにみせない。
 『謝れ・・・・・あ、言葉分かんないのか。でも、雰囲気で分かるだろ、俺が怒ってるの・・・・・。それとも、これって夢か?俺まだ寝
てたりして?』
 あまりの現実味の無さに、思考が楽な方へと逃げようとしていた。
 『まるで由紀の漫画みたいじゃん』
幼馴染の好きな漫画は、確か主人公が過去にタイムトリップするような話だった。
まさに今の自分だと漠然と思った時、目の前の男が急に叫んだ。
 『ゆきっ?』
多少不安定な響きながらも、ちゃんと理解出来る日本語に、蒼は思わず聞き返してしまった。
 『え?言葉分かるの?』



 『由紀の漫画みたいじゃん』
 「!」
 今まで全く分からなかった少年の言葉の中に、あの時アルティウスが呼んだ《ゆき》という名前と同じ響きを聞き取り、シエンは思
わず叫んでいた。
 『ゆきっ?』
 『え?言葉分かるの?』
それは今言ったシエンの言葉に返ってくるような様子で、その言葉を少年が理解しているのが感じ取れた。
 あの時は、有希の世界の言葉だと分からなかったが、今はそれが有希の国の言葉で、有希の名前を表していたことも分かってい
る。
(では、この少年はユキと同じ世界の・・・・・異世界の《星》なのか?)
バリハンに残っている文献には、1つの時代に2つの《星》が現われたという記載は無かった。しかし、可能性が全く無いとは限らない。
 「そなたはこのバリハンの地を・・・・・私を選んでくれたのか?」
 『何言ってるか分かんないって!それよりも謝罪が先!』
 いっこうに向けている棒を下ろさない少年に、シエンはようやく彼がまだ警戒を解いていないのが分かった。
有希と同じ異世界に住んでいた者ならば、見知らぬ世界に突然たった一人で降り立って、不安で仕方がないということは理解出
来た。
 シエンは直ぐにその場で膝を折る。自分に敵意が無いことを示す為だ。
たちまち腰近くまで水に濡れるが全く気にならなかった。
 「異国の《星》よ、私はあなたに危害を与える者ではありません。私を信じて、共に宮殿にお越しいただけないでしょうか?」
少年はその場で膝を折ったシエンに驚いたようだった。
慌てたように棒を下ろし、ジャブジャブ水音を立てながら近付いてくると、シエンの腕を掴んで立ち上がらせようとした。
 『水の中で土下座しなくったっていいって!俺は一言謝って欲しかっただけで・・・・・もういいよ!おーけー、おーけー!』
 言葉は通じなくても、少年の怒りが消えていくのを肌で感じたシエンは、心配そうに少年の身体を見た。
 「落ちた時、怪我などしていませんか?」
 『俺、これでも有段者でさ、試合以外で竹刀使うと武器にみなされちゃうんだよ。だから、脅かしっていうか、まあ、この顔と体格で
なめられることも多いし、一種の威嚇?』
 「ああ、やっぱり、腕を怪我している。早く手当てしなければ・・・・・」
 『あんなとこで跪くからあんたもビショビショ。まあ、俺もパンツまでいっちゃってるけど』
 「身体も冷えてるではありませんか」
 『あ、防具沈んじゃってる!・・・・・うわっ、おも!』
 少年は足元にある大きな袋を持ち上げようとしているが、水を含んでかなり重いのだろう、顔を真っ赤にして力を入れている。
会話は全く噛み合っていないが、目線や仕草で相手が何をしようかとしているのは十分分かる。
 「これがいるのですか?」
 シエンは少年の手をそっと離し、沈んでいた袋を持ち上げた。水をたっぷり含んで重たいが、持てないほどではなかった。
 『すっげー!あんた細いくせに力あるなっ?・・・・・あ!やっぱ筋肉ある!』
驚いたように目を丸くした少年は、つい先ほどまで警戒していたことをすっかり忘れてしまったのか、遠慮無しにシエンの腕をペタペタ
触り、その鍛えられた身体に感心している。
その無邪気な様子は、まるで5歳になる弟王子の息子と同じで、シエンの頬には自然と笑みが浮かんだ。
 「さあ、宮殿に参りましょう」
 そっと、少年の背中を押して促すと、少年はしばらくブツブツと何事か呟いた。
 『どっか行くの?でも試合・・・・・あ〜、こんな状態じゃ無理だな。夢にしても現実にしても、こんな何も無いとこにいたってつまんな
いし。よし、行くか』
 「よろしいか?」
 『荷物持ってくれんの?サンキュー!』
にっこりと笑い掛ける少年の笑顔が眩しくて、シエンは思わず目を細めてしまった。