蒼の光   外伝




蒼の引力




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                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 確かに、見た目はなかなか手を出しにくいものの、味は鳥のスープと、こってりとしたチラ(チーズのこと)が絶妙に絡み合い、たっ
ぷりの野菜や肉は形が崩れるほどに煮込まれているが味は濃くて。
これならば量を取らなくても、腹にたっぷり持ちそうな気がした。
 「初めて作る料理ですね?」
 「うん。ここ、チラいっぱいあったし、スープも美味しかった!おじさん、いいうでしてる」
 満面の笑顔で言うおじさんというのは、多分料理長のことだろう。蒼が褒めるくらいならばかなりの腕の持ち主だろうと思うので、
この宿を蒼達一行の宿に決めていた自分の目も確かだったのかもしれない。
 「あ、シエン、これも」
 「これは?」
 「きのー、パン作った。やみパン、シエン来る思わなかったから、ちょっとしかないけど」
 「ヤミ、パン?」
 「中、なぞ。ドキドキする?」
 ふふふと笑う蒼の顔が可愛くて、シエンはこの中に何が入っていても全て完食しようと思いながら口に含む。すると、中から出て
きたのは肉汁がたっぷりの甘辛い大きな肉だった。
パンも焼きたてで柔らかく、さすが料理上手とバリハンの王宮専属料理長が褒める蒼の腕だけはある。
 「ど?」
 「これも美味しい。ソウが作るものには愛情が溢れているので、何を食しても美味なのですね」
 「それ、褒め過ぎ!」
 シエンの言葉に照れたように笑った蒼は、自分も焦ったようにリジョトを口に含んだ。
 「あち!」
しかし、湯気が出るほどに熱いそれを口に入れたので、当然のように蒼は叫んでしまい、シエンは直ぐに傍にあった水の入ったカッ
プを取って蒼の口元へと運んでやる。
 「んくんく」
あまりに慌てたのか、蒼の唇の端から水が零れてしまう。シエンは手を伸ばすと、その雫を指先で拭った。




 「・・・・・」
 目の前の光景を、セルジュはじっと見つめていた。
とても大国の皇太子、皇太子妃とは見えないものの、仲睦まじい様子はとても感じ取れる。シエンが一方的ではなく、蒼も心か
ら想いを寄せている・・・・・そんな様子を見ていると、セルジュは面白くない気がしていた。
 「・・・・・」
 目の前の皿には、蒼が取り分けてくれたリジョトがある。シエンに食べれて、自分が食べれないわけがない。どんなものでも美味
いと言ってやると思いながら、セルジュは思い切ってサジを口に運んだ。
 「・・・・・っ」
 「セルジュ?」
 隣に座っていたアルベリックが声を掛けてきた。
 「大丈夫か?」
小声で言うのは、一応蒼に配慮したからだろうが、セルジュの耳にはアルベリックの言葉は届かなかった。それほどに・・・・・初めて
口にするそれに衝撃を覚えたのだ。
 「・・・・・美味い」
(こんなに美味いもの・・・・・初めて食った・・・・・)
 鳥も、野菜も、チラも。一つ一つは当然口にしたことのあるもので、新鮮なそれらはそれだけでも美味しいということは知っている
し、民族性からなのか、あまり凝った調理はしないというのが現状だ。
しかし、それらを全て一つにして、こうして形が崩れるほどに煮込んだだけで、こんなにも美味しくなるのだろうか。
(本当に・・・・・普段からしているということか)
 皇太子妃という身分に胡坐をかいているわけでなく、自らも動いている蒼の姿が簡単に想像出来てしまう。
 「どー?」
セルジュが料理を口に運んだことに気付いたらしい蒼が、少し身を乗り出して聞いてきた。その目の中には期待と不安が入り混
じっているようで、セルジュは思わず笑ってしまった。
 「セルジュ?」
 どうして笑うのだと、蒼が眉を顰めてくる。
その顔をじっと見ていたセルジュは、口元を緩めたまま言った。
 「お前、凄いな。見た目はともかく、味は絶品」




 見た目はともかくという言葉には眉を顰めるものの(リゾットはこんな見た目が普通だ)、蒼はどうやらセルジュもこの味を気に入っ
てくれたということにホッと安堵した。
自分的には味に自信があったものの、食べてくれる相手が受け入れてくれなければしかたがないということも分かっているからだ。
 「良かった」
 思わずにこにこ笑ってしまうと、その肩をくいっと引き寄せられた。
 「シエン?」
どうしたのだと、蒼は振り返ったが、シエンは蒼に対して笑みを浮かべて言う。
 「ソウ、他の者にもあるんですか?」
 「あ!」
 早くシエンに食べさせたくて、この一皿だけを持ってきてしまったが、厨房には人数分以上の料理がまだ残っているのだ。
 「俺、いってくる!」
 「慌てないように」
 「うん!」
椅子から立ち上がりかけた蒼は、腕を掴まれて身を屈めさせられ、頬にシエンのキスを受ける。
始めは人前でするその行為が恥ずかしくて仕方がなかったが、今ではかなり慣れてきて受け入れることが出来るようになり(恥ず
かしいことには変わりないのだが)、蒼は少しだけ目の前にいるセルジュ達の視線が気になったが、夫婦なんだからと開き直って、
自分からもシエンの頬にキスをした。
 「いってくるな」
 腹を空かして待っているカヤンやベルネ達、大勢の仲間達のことを忘れては大変だ。蒼は急いで厨房に入ると、幾つもの大皿
にリゾットを取り分け、
 「おーい!取り来てー!!」
待っている兵士達を大声で呼んだ。




 騒がしく動き出した雰囲気。
蒼が無意識に周りに振りまく元気を肌で感じたシエンは思わず笑みを漏らしたが、直ぐに自分の前にいる人物の気配に改めて
気付くと、表情を硬くして眼差しを向けた。
 「・・・・・」
 目の前では、セルジュが豪快にサジを口に運んでいる。一番初めの躊躇いの姿は忘れたかのようなその態度は、とても彼が部
族の長だとは思えないほどに粗野だが・・・・・ただ、そこには明らかな風格があるのも事実だ。
 蒼の手料理を口にして男がどう思っているのかは分からないが、シエンは一度見たいと思った男の顔を見、纏う雰囲気も確認
して感じた。
(この男は、ソウに近付けない方がいい)
 知り合ってしまったこと自体は不可抗力で、今更なかったことには出来ないだろうが、それでもこれ以上近づけないことは出来る
はずだ。
いや、この旅を終えればバリハンに戻る自分達が、この男と再び会う可能性はほとんどない。
 「今回は、思い掛けなくアブドーランの内情が見え、得をした」
シエンは用心深く切り出した。
 「・・・・・俺達にそれほどの価値はないと思うけどな」
 「謙遜を。他の部族の長がどんな方々なのかは分からないが、皆がそちらと同じようならばなかなかに手強い」
 「・・・・・」
 セルジュがサジを動かす手を止めた。
 「俺達が、争いを仕掛けるとでも?」
 「まさか。それほどに浅慮ではないだろう?」
 「・・・・・」
 「私達は昼にはここを発つ。もう二度と会わないであろうが・・・・・建国の成功を祈っている」
自分から仕掛けるほど、シエンは自身が浅はかではないと思っているし、それは目の前の男にも言えることだと思う。そして、自分
のこの牽制の意味を分かるほどには、頭の回転も速いはずだ。
 案の定、セルジュはじっとシエンを見ていた視線を、少しもじっとしていないで動く蒼に向ける。
(ソウのことをどうしようと思っているのかは知らないが・・・・・)
 他のどんな手からも蒼を守るためならば、シエンは自分の持つ権力は躊躇わずに使おうと思っている。シエンは、それほどに恋に
溺れている自分も・・・・・知っていた。




(手を引けって、か)
 セルジュは正確にシエンの意図をくみ取った。穏やかで物静かといわれるバリハンの皇太子を、これ程に恋に狂った男の顔にさ
せる蒼に、セルジュは更なる価値を感じてしまう。
(・・・・・どうするかな)
 セルジュは隣にいるアルベリックを見る。アルベリックは、微かに首を横に振ってみせた。
(深入りするなってことか)
 今回は建国する上で、周辺の国の政情を探るための隠密の旅だ。アルベリックは、こんなことで自分達の予定を崩すなと思っ
ているのだろうが・・・・・。
(あいにく、俺は狩猟者の末裔だし)
追うことに慣れている自分は、逃げることなど考えたことはない。
 「こっちも、今日発つ予定でね」
 「・・・・・今日?」
 「そう、今日」
 「どちらに?我が国、バリハン?それとも、エクテシア?」
 「・・・・・」
 セルジュは意味深に笑って見せた。
実を言えば、これからどこに向うかなどというのは決めてはいなかった。バリハン王国もエクテシア国にもまだ行ってはいないし、これ
だけの大国を訪れないわけにはいかないが、予定はあくまでも予定である。その前に気になることが目の前にあるのならば、そちら
を優先するのが当然だろう。
(さて、どう判断するかな)
 自分のこの態度を、才知に長けた皇太子はどう考えるか。
はったりが通じるかどうかは分からないが、セルジュはたっぷりと時間を取った後、横にいるアルベリックに言った。
 「夕べ、話したか?」
 「・・・・・忘れたのか?」
 「この歳で物忘れはまだ早いか」
 「しっかりしろ」
 どうやら、気は進まないという表情は見せているものの、アルベリックは話を合わせてくれる気らしい。それに眼差しで感謝をしな
がら、セルジュはシエンに向かって笑って言った。
 「どんな大国でも、犯罪者でない限りは入国を制限することはないしな。俺達の行く先がどこになるのか・・・・・二度と会えない
と思った相手と再会するのも、結構楽しそうだと思わないか?」