蒼の光 外伝
蒼の引力
9
※ここでの『』の言葉は日本語です
(この男が・・・・・アブドーラン、グランダ族の族長・・・・・)
蒼の後ろからゆっくりと階段を下りながら、シエンは注意深く目の前の男達を見た。
カヤン達が言ったように、年のころは自分とそう変わらないくらい・・・・・まだ20代の後半くらいのように見える。
金色の髪の人間は多いし、黒髪の人間も数は少ないながらいないことはない。しかし、紫の瞳というものはシエンも初めて見るも
ので、それだけでも、彼らが自分の知らない地から現れたのだろうということは想像出来た。
「・・・・・」
整っているといってもいい容姿に、自分よりも逞しく鍛えているような身体。どちらかといえば、武力を主とした部族なのかもしれ
ない。
「セルジュ、おやげ、なにっ?」
「・・・・・美味そうな果物だ」
蒼に声を掛けられた男は、その視線を蒼に移した。
自分を見ている時の男の目は、まるで睨みつけるような厳しいものだったのに、蒼に向けるものは一転して穏やかで優しい。シエ
ンは眉を顰めた。
(明らかに、ソウに会いにここまでやってきたようだが・・・・・)
その態度だけを見れば、バリハン王国の内情を探るというよりも、蒼そのものに興味があるように見えてしまう。それは、シエンにとっ
ては一番面白くないと思うことだ。
「シエンッ、これっ!おやげだって!」
そんなシエンの心情など全く気付かないらしい蒼は、男から貰った果物を嬉しそうに見せてくる。子供っぽいその態度に、シエン
は苦笑を浮かべながら言った。
「ソウ、オヤゲではなく、お土産、ですよ。・・・・・」
そう言って、そっと頬に手を触れてから、シエンは男を見つめた。
「昨日は我が妃が迷惑をお掛けした。私はバリハン王国の王子、シエン。そちらは・・・・・」
「グランダ族、族長、セルジュ。これは補佐のアルベリックだ」
「セルジュ・・・・・」
「まさか、こんなところで、高名な青の王子とお会いできるとは思わなかった。まさか、自分の妃の後を追ってわざわざ来られたと
いうのか?」
明らかに挑発するような言葉に、シエンはセルジュの一筋縄ではいかない性格を垣間見た気がした。
(まさか、王子自らお出ましとはな)
セルジュにとっても、初めて会う大国の皇太子。
深い知識と明晰な頭脳で、近年驚異的な勢いで国力を伸ばしてきたバリハン王国の皇太子シエンは、智を表す【青の王子】と
呼ばれているが、確かにその眼差しの中には聡明な色が見える。
もう1つの大国エクテシア国の、圧倒的な戦力を率いる勇猛果敢な【赤の王】アルティウスと共にその名を広く知られているが、
確かに人々の心を引きつける強い魅力を感じた。
セルジュの想像では、もっと線の細い人物ではないかと思っていたのだが、目の前の男はそれなりに訓練をしたような隙のない
身のこなしをしていて、とても頭でっかちなだけの王子様ではないと見えた。
「所用があった私が遅れただけで、始めから今回の旅には同行するつもりだった。これは、とても好奇心が旺盛なゆえ、しっかり
と見張っていないと心配であったし」
「シ、シエン!」
心外だというように蒼が振り返って抗議しているが、
「ああ、それほどに、あなたを愛しているということですよ」
「・・・・・っ」
そう言って蒼を見つめる眼差しは、こちらが目を逸らしてしまいたくなるほどに甘い。
《強星》という立場の者を大切に思うということは十分考えられるものの、この王子の行動はそれ以上の・・・・・蒼本人への深い
愛情が勝るように思えた。
「まだ、朝も早い。よろしければ朝食を一緒にいかがだろうか?」
「・・・・・」
「急がれるのならば止めはしないが」
「・・・・・いや、いただこう。ソウ、朝食はお前が作るのか?」
「え?ええっと、全然かんかえてなかったけど」
自分の言葉に、端正な容貌が少し強張ったのが目の端に映る。それに内心笑ったセルジュは、いったい何を言うんだと不思議
そうな顔をしている蒼を見下ろした。
「夕べのお前の作った飯は、食べたことがなかったし、美味かった。出来ればまた馳走になりたいが、バリハン王国の皇太子妃に
願うのは恐れ多いか?」
「そ、そんなことない!俺っ、すぐつくるからっ!シエン、シエンも、おなかすいた?」
「・・・・・ええ」
「じゃあ、いっぱいつくる!」
バタバタと慌てたように厨房の方へと駆け込んでいく蒼の後ろ姿を見送ったセルジュは、自分と同じように王子もその姿を見送っ
ていることに気付いた。
(バリハンの皇太子が《強星》を手に入れたと聞いたが・・・・・実は反対なのかもしれないな)
蒼の方がシエンを捕まえたという方がよほど納得がいく。
「セルジュ」
「・・・・・ん?」
その時、セルジュは軽く背中を小突かれて振り向いた。そこには、呆れたような表情のアルベリックが立っている。
「余計な揉め事は起こすな」
「はいはい」
お目付け役の昔馴染みの言葉は容赦ない。それに軽く頷いてみせたセルジュだったが、自分の言葉を取り消すつもりは毛頭な
かった。
「おじさん、これ、おねがいっ」
「また、昨日みたいな変わった料理を作るのか?」
「かわった?そう?」
(普通にパンを作ったつもりなんだけど・・・・・ここの国にはあんまりないのかな)
そういえば、夕べ出てきた夕食の中には、パンのようなものはなく、どうやら米が主食のようだった。
蒼が普段から食べている甘くて柔らかいものではなく、どちらかといえばピラフで使うような少しパラパラッとした米だったが、チャーハ
ンのような味付けが美味しかった。
お土産にはこの米を買っていこうかなと思っていた蒼は、あの味付けを教えてもらう代わりに、自分のパン作りを教えるという交換
条件を出して、再び厨房を占領させてもらっているのだ。
「あっ、これは、このままグツグツ」
「ん?でも、水が多くないか?」
「いいの、りじょと、作るから」
「リジョト?なんだ、それは?」
「できてのおたのしみ!」
昨日の濃い味付けもいいが、朝はさっぱりと・・・・・でも、ボリュームはたっぷり。火力があるので、案外早く出来そうだ。
久し振りにシエンと会えてテンションの上がっている蒼は、張り切って手を動かしていた。
厨房の中が見える食台に座ると、シエンは小動物のようにクルクルと動き回る蒼の姿を見て口元に笑みを浮かべた。
皇太子妃となってからも蒼の料理作りは続いていて、今では王宮内でもかなりの支援者が付いている。それが蒼の負担ではな
く、楽しみに感じているようなのでシエンも何も言わずに許していたが、まさか王宮を出て、こんな異国の地にやってきても変わらず
料理しているとは蒼らしいと思った。
「・・・・・」
そして、シエンは視線を自分の隣の食台に座っている男達へと向ける。
男・・・・・セルジュも、自分と同じように蒼を見ていた。その眼差しの中には、自分に向けられるような剣呑とした光はない。
(いったい、ソウをどう思って・・・・・)
誰にでも人懐っこく、物怖じをしない蒼だ。普通ならば奇異とも言える紫の瞳をしたこの男を見ても、きっと嫌悪の視線で見るこ
とはしなかっただろう。そのことで、男が蒼に何を感じたのか・・・・・シエンは嫌な予感がしていた。
「王子」
その時、セルジュが振り返った。
王子と呼ばれることには慣れているものの、この男からそう呼ばれるのは少し違和感がある。グランダ族がどの程度の規模の部族
かは分からないが、長であるこの男が自分に対して卑屈になることはないだろう。
いや、この呼び方も、単に名称として呼んでいるだけかもしれない。
(・・・・・私の方が考え過ぎてどうする)
「何か」
「本当に、ソウがあなたの妃なのか?」
「・・・・・どうして、そう思う?」
「バリハンといえば5大国家の一つだ。その未来の王となる皇太子の妃が、いくら《強星》とはいえ男なのかと・・・・・少し不思議
に思ってね」
言外に、妾妃でもいるのかと言われているような気がして面白くは無かったが、シエンは表面上は穏やかな笑みを浮かべたまま
セルジュに言った。
「ソウは、《強星》である前に、私にとって大切な存在。この結婚は私の強い意志で成立した。それに、私には弟がおり、既に王
子も2人、もうけている。跡継ぎのことを憂慮していただいているのなら無用だ」
「・・・・・なるほど、弟王子に・・・・・」
「セルジュ」
「何か?」
シエンが名を呼ぶと、待ってましたとばかりにセルジュが唇に笑みを浮かべたまま促す。
「いったい、何の為に・・・・・」
蒼に近付くのだと、歪曲な言い方でなしに聞こうとしたシエンだったが、
「できたよー!!」
元気な声で言いながら蒼が厨房から出てきたのを見て、そのまま口を閉ざしてしまった。
「・・・・・失敗作か?」
湯気が出ている大皿を覗き込んだセルジュが眉を顰めて言ったのを見て、蒼は心外だというように腰に手をあてて怒って説明を
した。
「しつれー!!これ、りじょと!」
「リジョト?」
「とりのスープでにこんだ米!ちゃんとあじみしてるからな!」
胃に優しいリゾットを作ろうと思ったものの、新鮮な野菜と出汁をとった鳥の肉を入れ、チーズ(ここには、色んな動物の乳を固
めたチーズがたくさんあった)を入れて煮込んだら、かなりボリュームのあるものになった。
確かに見た目は、初めて見る人間には口に入れるのは勇気のいるものだろうが、料理長にも味見をしてもらって(かなり抵抗され
たが)美味しいと感激して抱きしめられたくらいだ。
「だまって食べて!」
蒼の勢いに、セルジュは木のサジを手に取り、それをすくったものの・・・・・しばらく見てしまう。
それより先に、蒼の実力を知っているシエンは躊躇わずにそれを口にして、直ぐに頬を綻ばせた。
「これは美味しい!」
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