蒼の光 外伝
蒼の引力
19
※ここでの『』の言葉は日本語です
メルキエ王国皇太子、エルネスト・・・・・。
父親である王も、弟であるオルバーンも、そして、義妹になる自分の妹コンティさえも、一言も口に出さなかった名前。
思えば、オルバーンとコンティの婚儀の時も、体調を崩しているとかで出席をしていなかった。その時は、シエンも深くは考えなかっ
たが、今から思えは少しおかしいだろう。
いくら体調を崩していても、式典ぐらいには無理を押しても出席した方が、兄弟仲の不穏を想像させることもないはずだ。
ただ、それから間もなくシエンはエクテシアに《強星》が現れたという噂を聞いて・・・・・それ以上はメルキエ王国の皇太子のことは
記憶の片隅に追いやってしまった。
(なぜ、ソウが皇太子とっ?)
いったい、何がどうで、2人で厨房にいるのか分からない。
案内するカヤンの短い説明からは、偶然廊下で出会い、食事は蒼から言い出したということだが・・・・・。
(本当に、偶然なのか?)
狡猾なメルキエ王国の国王の血を受け継いでいる者だ。そこに何の計算も無かったということはなかなか考えられないことだった
が、今は先ず蒼の無事を自分の目でしっかりと確かめたかった。
「ソウッ」
「あ、シエン」
急いで厨房に飛び込んだシエンの目に映ったのは、料理人特有の白い上着を羽織った蒼だ。
大柄の料理人から借りたのか、蒼の身体には随分大きいようで、袖もかなり捲り上げている様子が微笑ましい。
「ソウ・・・・・」
「出来たて、間に合った」
にっこり笑う蒼につられるように微笑みかけたシエンだったが、直ぐ傍にいる男の横顔を見て緊張を高めた。国王にも、オルバーン
にも似ていない様子のその人物が、この国の皇太子というのだろうか。
「ソウ、この方が」
「えりゅねーと、こーたいしだって」
「エルネスト、だ、ソウ」
「あ、ごめんなさい。あのね、シエン、え、えりゅ、ねっとに、ここまで連れて来てもらったんだ。料理もかってに作らせてもらっちゃって
さ、ね?」
「お前が腹が空いたと騒ぐからだろう」
「騒いでないよ!ちょっと、言っただけだってば!」
「・・・・・」
2人の掛け合いを、シエンは黙って見つめた。
エルネストは言葉数は多くないようだが、それでも蒼に対して構えた様子はない。出会ってそれほど時間は経っていないはずなの
に、そんな短期間でこんなにも打ち解けるものなのか?
いや、そもそもまだこの皇太子の顔をきちんと見ていないシエンは、蒼の傍に行くとその肩を抱いて言った。
「初めてお目にかかります、エルネスト王子。私はバリハンのシエン。我が妹を可愛がっていただき、その上、妃であるこのソウの
我が儘にも付き合っていただいたようで申し訳ない」
「わがまま違うよっ」
直ぐに蒼は不満そうに言い返してきたが、
「そうだな、確かに我が儘ではない」
エルネストもシエンの言葉を否定し、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「・・・・・」
「初めてお目に掛かる、シエン王子。宴にも出ず、申し訳ない」
「・・・・・いえ」
(この傷は・・・・・)
エルネストの顔にある醜い傷。もちろん、戦いに出ればシエンも何時大きな傷を負うかは分からないが、普通王族の、それも次
期王となる者を最後まで守るのが普通で、シエンが今まで会見してきたどの国の王や皇太子にも、顔に傷を持っている者はいな
かった。
(・・・・・何か、意図があるのか?)
確か、コンティが婚儀を挙げる2、3年前に内乱があったということは知っていたが、それはごく短期間で王家側が制圧したはず
だった。
大切な妹を嫁がせる国のことなので、かなりその後の経過も観察し、もう大丈夫だと思った頃に式を挙げたのだが・・・・・。
(オルバーンにはそれまでに何度も会っていたが、皇太子と会うことは叶わなかった。少し、不思議には思ったが・・・・・)
コンティと婚儀を挙げるのはオルバーンだったので、皇太子に悪い噂が無いということで、大丈夫だと決断したのだが。
「・・・・・」
皇太子であるエルネストがこれ程の傷を負った理由が何かあるのではないかと思ったが・・・・・シエンはいいやと心のうちで否定
した。
この傷を受けたのは遥かとは言えないが、きっとある程度は以前のことで、そのことを他国の人間である自分が今更掘り返すこと
も無い。なにより、今は蒼のことだ。
「ソウ、勝手に動き回るとは・・・・・」
「・・・・・ごめんなさい」
一瞬、何か言い返しそうに口を開きかけた蒼だったが、直ぐに素直に謝ってきた。
シエンにしても、蒼を1人にしてしまった自分も悪いと、謝罪の言葉を聞いて、その髪を優しく撫でてもういいですよと宥める。
「私も、あなたを1人にして申し訳ありませんでした」
「シエン・・・・・」
目の前の2人の様子は、どう見ても愛を交わした者同士としか見えず、エルネストは初めて会う《青の王子》、バリハン王国の
シエンをじっと観察をした。
自分よりも2歳年下のはずだが、既に大国の全権を担っているといってもいいらしく、近々王に即位するだろうという噂だ。
(《強星》をその手にした男・・・・・)
エクテシアにも現れたという《強星》。2人の《強星》のうち、どちらが本物か、偽物か、あるいはどちらも・・・・・。
それは今の段階では分からないが、それでもこの世界で《強星》という存在は大きい。
自分の父であるメルキエ王国の王も、嫁の祖国に現れたという《強星》の恩恵を何とか受けようとしている様が浅ましく、以前そ
れとなく諌めたことも、父との亀裂を大きくした要因かもしれないが。
「何を作ったんですか?」
「チャーハン!干し肉がおいしそーだったから!」
「これですか?なるほど、美味しそうだ」
「味見は良かったよ、ね?」
そう言うと、いきなり自分に話し掛けてきた蒼。
とても、一国の皇太子の正妃には見えず、それ以上に神秘の存在である《強星》にも見えないが、それでも不思議と視線を惹
きつけてしまう圧倒的な存在感があった。
「・・・・・まずかった?」
直ぐに答えない自分を見て、たちまち残念そうな顔をする。
「・・・・・いいや、初めて食したが美味かった」
「ホントッ?ほらっ、ねっ?」
その顔が、パッと陽の光のように輝き、エルネストはめまぐるしく変化するその表情に思わず目を細めた。
「あれが、皇太子か。顔の傷は?」
「以前内乱があったらしいが、そのせいじゃないのか?」
シエンの後に続いて、自分達も厨房にやってきたセルジュとアルベリック。もちろん、メルキエ王国の皇太子に会うのは初めてで、
顔の傷にも多少驚いたものの、それよりも蒼が他国の王宮でも暢気に料理を作っていることに苦笑が漏れた。
きっと蒼は、自分達やシエンが必死でその姿を探していたことなど全く気付いていないだろう。
(本当に、ソウらしい)
蒼らしい・・・・・出会って間もないのに、既にそう思ってしまうほどに蒼のことを見ている自分に気付いてさらにおかしくなってしまい、
セルジュはくくっと笑みを漏らした。
「セルジュ」
「アルベリック、俺達も仲間に入れてもらわないか?」
「はあ?」
「おい、ソウ!」
アルベリックの返事を聞く前に蒼に声を掛けると、蒼だけでなくシエンとエルネストも視線を向けてくる。蒼以外はあまり歓迎して
いない風なのが分かるが、セルジュは全く気にしなかった。
「俺達も食べてもいいか?」
「おなか空いた?」
「ああ」
「いいよ、ついか、作ってもいーですか?」
蒼は奥で直立不動になっている料理人に声を掛けるが、皇太子エルネストの出現に緊張し続けている料理人はコクコクと黙っ
て頷くことしか出来ないようだ。
「オッケーって!ほらっ、中にどーぞ!」
様々な食材や調理器具が並ぶ中での食事は珍しく、セルジュは楽しむ方が先だというように呆れた表情のアルベリックの腕を
掴んだ。
「じょ、上手ですね」
「そ?ありがと!」
本職の料理人に褒められた蒼は機嫌よく腕をふるい続け、チャーハンと卵スープというシンプルな料理を追加して作った。
初めての厨房なのでどこに何があるのか分からなかったが、そのたびにエルネストに訊ねると彼が料理人に聞いてくれ、ほとんど不
自由なく使わせてもらった。
「どう?シエン」
「・・・・・美味しいですよ」
にっこりと笑って言ってくれるシエンの言葉が一番嬉しいが、もちろん、自分の料理を美味しそうに食べてくれる人達の顔を見る
のも嬉しい。
難しい表情だったエルネストが、慎重にサジを口に運んで、その後に驚いたような表情になり、手の動くスピードが早くなったの
を見ると楽しくなって、美味しいものは万国共通で人を優しい気分にさせるものだなと思った。
「これも美味いな」
今回で三度目になるセルジュは、もう始めから戸惑ったりはしないでガツガツと頬張ってくれる。何だか、運動部の合宿のようで
楽しい。
「あたりまえ、あいじょーたっぷりだもんね?」
「俺にか?」
「シエンに!」
変なことばかり言うのが少し困るが、シエンとは全く違う性格のセルジュは、友人にしたら面白いだろうと思えた。
「ほら、エルも食べて」
「・・・・・」
「エル?」
「それは、私のことか?」
「あ・・・・・ごめんなさい、ちょっと言いにくかったから短くしちゃった。え、える、えるねちゅと」
一国の王子が名前をきちんと言われなければ怒るのも当たり前だと、蒼は何とか頑張って発音し難い名前を言おうとした。
すると、エルネストはチラッと蒼を見て、構わないと言う。
「言いやすい名前で呼べばいい」
「あ・・・・・ありがと」
言葉短く答え、それからも手を止めないエルネストを見ていると、蒼は何だか嬉しくなってそのままの気持ちでシエンを見つめる。
シエンは少しだけ困ったような顔をして・・・・・それでも蒼に向かって微笑んでくれた。
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