蒼の光 外伝
蒼の引力
2
※ここでの『』の言葉は日本語です
その日は旅を始めたばかりの蒼の体調の様子を見るといった感じで、日が暮れ始めると既に予定していた宿に入った。
バリハン王国の皇太子妃であると同時に、各国から常にその動向を見られ、狙われている《強星》でもある蒼の今回の旅程は、
かなり緻密な計画が立てられていた。
体力があるといっていい蒼だが、砂漠の旅路はやはり慣れていない人間にはきついだろうと、考えられる様々な地点で休憩や
宿泊出来る場所を決め、警備の者も配置していた。
それは、王や王妃の意向ももちろんだが、今回は傍にいることの出来ないシエンの心配ゆえということが一番の理由なのだが、
1人で立派に公務を果たそうと思っている蒼には、全く想像もしていないことだった。
「はあ〜」
蒼は水浴びをして汚れを落とした身体を、少し硬めだが十分寝心地のいい寝台へと横たえた。
「お疲れだったのでしょう?食事もあまり召し上がらなかったようですし」
「・・・・・俺って、むちだよな」
「・・・・・」
「たびなんて、楽しくって、ぜんぜんらくちょー思ってた」
(それが、1日でへばっちゃってるよ・・・・・)
カヤンに聞くと、ここはまだバリハンの領土内らしい。メルキエ王国に向う道の中で、一番安全で、近道を選んでくれているらしい
が、今日のようなペースでは明日中にバリハンを出ることが出来るかどうかはあやしいと言われた。
一瞬、無理をしてでも一晩中・・・・・いや、せめてもう少し先に進んでいた方が良かったのではないかと思うものの、その後の自
分の体力のことを考えると、絶対に迷惑を掛けてしまう気がした。
(本当・・・・・疲れた)
蒼は目を閉じた。
明日のことをまだカヤンに聞いていなかったが、何だか目蓋が重くて仕方がなかった。
「ソウ様?」
「・・・・・」
「・・・・・」
そうでなくても言葉数の少なかった蒼が全く声を出さなくなってしまったことに気付いたカヤンが、荷物を整理していた手を止めて
振り返ると、小さく口を開けた幼い表情で蒼は眠っていた。
「ソウ様?」
念の為にもう一度声を掛けても、蒼は全く目覚める様子もない。
カヤンはそのまま寝台に近付くと、身体の上に掛け布を掛けてやった。
「・・・・・」
そのタイミングに合わせたかのように、扉が叩かれ、外から開けられた。警備の人間が黙ってここまで通す人間は決まっている。
「・・・・・寝たのか?」
中に入ったベルネは、直ぐに寝台に目をやった。予め想像はしていたのかもしれない。
「お疲れになられたんだろう」
「飯もあまり食わなかったしな」
蒼の元気の目安が食欲というのには苦笑が零れるが、それが誰の目で見ても一番分かりやすいものだった。そのことはカヤンやベ
ルネだけでなく、供の兵士達も気付いている。
高貴な身分の人間と一介の兵士が食事の席を共にすることなど通常はないのだが、蒼は大勢で食べるのが美味しいのだと、
遠慮する兵士達の手をわざわざ引いて、同じ食台に着かせていた。
だからこそ、兵士達も蒼の様子に気付いたのだが、それを口に出すことはせずに気遣わしげな眼差しを向けるだけだった。
バリハン王国からメルキエ王国までの旅路は、通常なら4、5日だ。普通ならば苦でもない旅路なのだが、蒼にとっては少々き
ついものになっているようだ。
「明日の出立は遅らすか?」
「・・・・・いや、そうするとソウ様が気にされるだろうし」
「・・・・・先導するソリューの速度を落とすか」
「その方がいいだろうな」
「・・・・・全く、倒れでもしたら王子に申しわけがたたないっていうのに」
ベルネは寝台の傍まで歩み寄ると、幼い寝顔で眠っている蒼を見下ろす。
「ベルネ、起こすなよ」
「分かっている」
そう言うと、ベルネは暑くて蹴ったらしい、掛け布から飛び出していた片足を、丁寧な手付きで直してやっていた。
3日後 ---------------------------
「シュトルーフ共和国に入りますよ」
「ほんとっ?」
蒼はカヤンの言葉に、目の前にそびえ立つ石造りの門を見つめた。
王宮を出立した当日は、長時間のソリューでの移動と暑さにすっかりへばってしまった蒼だが、持ち前の気力と若さで、徐々にそ
れらにも順応し始めた。
そして、ようやく第一の目的地であるシュトルーフ共和国が目前に迫ると、気持ちがますます高揚してくる。
「あ、俺、こーたいしひ、言う?」
「いいえ、私達は王家の使いということになります。通常の入国審査よりはかなり簡易なものになるはずですが、くれぐれも自身
が皇太子妃だということを口には出されないようになさってください」
「どーして?ウソはやだ」
「ソウ様、ソウ様の御身は、ご自身が思われているよりも遥かに価値のあるものなのです。確かに、身分を偽ることに承服しか
ねるものがあるかもしれませんが、これも処世術の一つです」
「・・・・・」
蒼は口を尖らすが、それでもカヤンに言い返すことはしなかった。自分よりも遥かに頭の良い彼が、それがいいと思ってしている
ことに、ただ嫌だからと反対することは出来なかった。
(・・・・・嘘は、ついてないのかもしれないけどさ)
出産の祝いの使いであることは間違いがない。
なんとかそんな風に自分自身の心を納得させると、蒼は既に目の前に迫った国境の門の方へと意識を向けることにした。
カヤンが言った通り、バリハン王国の王族の使いということで、入国審査は身分証(国が発行している歳や出身地が書かれて
あるもの)の確認程度で終わった。
「・・・・・すごい」
門をくぐり、遥か高い石塀のある道を通り抜けた蒼は、その先に広がる世界に思わず目を輝かせた。
「どうですか、ソウ様」
「す、ごい、すごいよっ、カヤン!いっぱい人がいる!」
多民族国家と聞いていたが、その通り、行き交う人々の容姿は様々だった。髪の色も、黒や茶、金髪の者もいるし、容貌も彫
が深い者や、涼やかな者もいる。
耳に聞こえる言葉は、多少聞き取れるものもあるが、エクテシア国で聞いたような発音もあって、本当に雑多な人種の国といった
印象だった。
「おい、あまり騒ぐな」
「えーっ、だって!」
「お前の黒い瞳を見られたらどうする」
「あ・・・・・」
(シエンにも言われてたっけ)
様々な髪の色、目の色、肌の色の人間がいたとしても、この世界には蒼や、エクテシアにいる有希(ゆき)のように、黒い瞳の人
間はいないらしい。蒼の目はどちらかというと真っ黒な方ではないのだが・・・・・それでも、闇夜を凝縮した色だと、シエンは蒼の目
を褒めてくれるのだ。
「わ、分かった、気つける」
蒼は暑さで半分脱ぎかけたマントを深く頭から被りなおすと、それでも興味津々な眼差しだけは隠せずに、ソリューの歩みを遅
くさせた。
シュトルーフ共和国は活気があって、今蒼が歩いている道の両端にも様々な出店が出ている。
食べ物は肉から魚、野菜に果物、水。生地を売っている店や、籠、服など、かなりの品揃えだった。
「・・・・・」
そんな中、蒼は先程から香ばしい匂いをさせている店から視線が離れない。バーベキューのように、串に肉と野菜が刺してあっ
て、店先で焼いているのだ。これで誘われなければ、その人間はきっと満腹中なのだ。
(た、食べ・・・・・)
「食べたいんですか?」
「・・・・・」
心の中の声をそのままずばりカヤンに言われ、蒼はパッと顔を上げてコクコクと頷いた。スパイシーなタレの匂いの素を、どうしても
自分の舌で確かめたい。
「ちょ、ちょっとだけ」
お願いとカヤンを見つめると、カヤンは隣にいるベルネを振り返る。つられるようにベルネを見た蒼の視線と共に4つの眼差しを向
けられたベルネは、大げさにはあ〜っと溜め息をついてみせた。
「・・・・・水の補給をしている間だけだ」
「あ、ありがとー!!」
許可を貰った瞬間、蒼は嬉々としてソリューから飛び降りた。
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