蒼の光 外伝
蒼の引力
3
※ここでの『』の言葉は日本語です
普段、シエンは蒼に金貨を渡しておらず、蒼も使う必要がないから欲しいとも思っていなかったが、今回の旅では念の為というよ
うにいくらかの金貨を持たされた。
町中ではともかく、地方の村ではまだまだ物々交換が多いのだが、シエンはきっと美味しそうな食べ物を食べたがる蒼の行動を予
想していたようだった。
「おじさ〜ん!これっ、これ食べたい!」
「ん?」
一応マントで顔を隠しながら、蒼はたった今焼けたばかりの串を指差して言った。
主人はちらっと蒼を見たが、簡素ながら上等な生地で出来ている服を見て、それなりの身分のものだと見当をつけたらしく、幾つ
いるんだと愛想よく聞いてくる。言葉は少し訛りがきついものの、数を聞いているのは分かった。
「え〜っと」
蒼は後を振り向く。
(俺と、カヤンと、ベルネと・・・・・みんなの分を合わせたら・・・・・)
「ソウ」
「え?」
人前では様という敬称を省いた呼び方で蒼を呼んだカヤンは、口元に苦笑を浮かべたまま続けた。
「私達の分はいりませんよ」
「えー?こんなにうまそーなのに?」
「ええ」
もう直ぐ昼ですから食べ過ぎないように・・・・・そう言うのは、まるで自分が子供だと思われているようで面白くないが、とりあえず
は今の自分の腹が膨れるように目の前のこれを食べようと思う。
「えーっと、これと、これと、これ!」
「・・・・・食べられるのか?坊主」
後ろに立っているお付きの男の言葉では、この串焼きは目の前の子供しか食べないようだった。もっと売れるかという店主の思
いは打ち消されてしまったが、1本でもかなり腹に溜まりそうな肉と野菜の串焼きを、この細い身体の子供が1人で食べることが
出来るのだろうか。
「だって、これ、タレだし、こっちはシオで、これはおかわり分」
「ソウ」
「食べれるよー、これくらい」
「全部で300ツールだ」
「300?」
この世界は共通の通貨、ツールというものがある。1ツールは日本円で10円なので、総額は3000円。1本、1000円という
のは、安いのか、高いのか。
一瞬考えた蒼は、店主に対して指を2本突き出した。
「200ツール!!」
「ソ、ソウッ、何を言ってるんですかっ?」
「え〜、だって、マケてくれたらうれしーし。おじさん、200!」
「・・・・・負けても、290だな」
カヤンは呆れたように蒼を見下ろした。
皇太子妃という立場の蒼(今は身分を隠している)が、こんな串焼きを値切って買うなどとても信じられない。蒼の持っている金
貨は1万ツール分もあるし、カヤンはそれ以上を持たされているのだ。
値切らなくても十分買えるそれを、わざわざ値切らなくてもいいのにと止めようとするが、蒼は楽しそうに、そして相手の店主も苦
笑いをしながらその交渉に付き合っている。
「じゃあ、250!」
「・・・・・ったく、仕方ねえなあ。坊主、美味かったらまた買いに来いよ?」
「うんっ、来る!」
値切り交渉が上手くいった蒼は喜色満面で、さっそく布袋から金貨を取り出そうとする。
その時だった。
「あ!」
「・・・・・っ」
いきなり、蒼の手から布袋が消えてしまった。
「あ!」
目の錯角ではなかったと思う。横から細長い棒のようなものが出てきて、その先端の鉤のようなものが布袋を引っ掛けて行った
のだ。
「ド、ドロボー!!」
固まってしまったのは一瞬で、蒼は直ぐに今棒が突き出された方へと走り出す。視線の先に、2人組の男が走って逃げていっ
ているのが見えた。
「まて!!」
「ソウッ、あなたはここにいなさい!」
「だって!」
「ここにいろっ」
カヤンとベルネにそう言われ、蒼は足を止めるしかなかった。
布袋を奪った男達はベルネと数人の供の者達が追い掛けているので、間もなく捕まえることが出来るだろう。しかし、蒼は追うこ
とが出来なかったことが悔しくてたまらなかった。
(俺だって、足が速い方なのに・・・・・っ)
自分の立場は分かるものの、それでも守られてばかりというのは面白くない。
唇を噛み締めて俯く蒼の肩を抱き寄せるようにして、カヤンが厳しい口調で言った。
「ソウ、串焼きは諦めてください。今は念の為に安全な場所に向いましょう」
「カヤン・・・・・」
「私の言うことをきいてください」
「・・・・・分かった」
蒼は諦めて頷き、先程降りたソリューのもとへと重い足取りで戻っていく。
(ベルネ・・・・・大丈夫かな)
ただの引ったくりのようなものならば多分問題は無いだろうが、もしも武器を持っていたとしたら・・・・・ベルネだけでなく、一緒に追っ
た供の者達の中にだって、怪我をしてしまう者が出るかもしれない。
「・・・・・っ、カヤンッ、追う!」
「ソウッ、待ちなさい!」
とにかく、自分の目で確かめなければならない。
そう思った蒼はソリューに乗ると、後ろを見ないままベルネの後を追い掛けた。
(ひ、人が多い・・・・・っ)
賑やかで人の多い場所をソリューで追い掛けるのは難しい。1人乗りとはいえ、体の大きなソリューは下手をすれば人を押し潰
しかねなかった。
(・・・・・走った方が早いか!)
「・・・・・っ」
「ソウ!」
蒼はソリューを急停止させて飛び降りた。カヤンの止める言葉が聞こえるものの、蒼はそのまま走り続ける。
既に引ったくりの姿も、ベルネ達の姿も見えないが、人々の驚いたような視線の先を追い掛ければいいと思った。町中での追い
かけっこはそれだけ目立つはずだった。
「・・・・・っ」
表通りの市場は整然とした並びだが、一つ中道に入ってしまえば入り組んだ道が続く。その1つに入り込んでしまった蒼は、何
度か角を曲がって・・・・・ピタッと足を止めてしまった。
『ど、どこだ?ここ・・・・・』
引ったくりから布袋を取り返し、ちょうど近くにいた役人にその身柄を引き渡していたベルネは、血相を変えたカヤンの姿を目にし
ておいっと声を掛けた。
「カヤンッ!」
「ソウ様がいなくなった!」
「何っ?」
「お前達の後を追って、途中まではその姿は見えていたんだが、ソリューから下りて横道に入った途端見失ってしまったんだ!」
「・・・・・っ」
馬鹿野郎と怒鳴ろうとしたベルネは、奥歯を噛んでそれを押し殺した。自分が怒鳴らなくても、カヤンが一番後悔していること
はよく分かるし、今は蒼を見付けることが先決だった。
「手分けをしよう。足ならばそれ程遠くに行ったはずはないし、今からあの陽が西の国境の門に掛かるまで捜して、見付かっても
見付からなくても、宿泊予定だった宿に集合だ、いいなっ?」
「分かったっ」
「・・・・・っ」
カヤンの動揺が治まったのを確認してからベルネは走り出した。
(あのっ、ヤンチャ坊主め!)
皇太子妃という自覚の無いあの向こう見ずな性格はしっかりと矯正しなければならない。ベルネはそう毒吐きながらも、その姿を
必死で捜し始めた。
全く人影も無い狭い道で、蒼はどうしようかと途方に暮れてしまった。同じ様な家がずっと並んでいて、どちらの方角に行ったら
いいのか全く分からないのだ。
しかし、蒼はふと、自分の真上を照らす太陽を見上げた。
(あれで方角が分かるんじゃないか?)
『太陽はあっちから昇るだろ?国境の門に入った時はあっちに見えたから、市場は・・・・・』
「なんだ、迷子か?」
「!」
いきなり掛けられた低く響く声に、蒼はパッと振り向く。
「・・・・・だ、だれ?」
そこに立っていたのは、シエンの髪よりももっと明るい・・・・・金の髪と、紫の瞳を持つ、背の高い男だった。
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