蒼の光 外伝
蒼の引力
21
※ここでの『』の言葉は日本語です
(・・・・・調子が狂うな)
今までしたことの無い、歩きながら物を食べるということ。それは、忙しい商人や子供達がすることで、王族である者がするのは
恥ずかしいことだと思っていた。
しかし、蒼が無邪気にはいと渡してくれたものをそのまま供の人間に渡すことも出来ず(そもそも、供の人間にも買い与えていた
くらいだ)、エルネストは戸惑いながらも受け取った焼きたてらしい干し肉の挟まれたパンを口にしてみた。
(・・・・・美味い)
それは、王宮の料理人が作る物よりも遥かに素朴な味だったが美味く、エルネストはマジマジと見てしまう。
(こんなに簡単な調理の物が美味いとは・・・・・)
「いいな、これ」
「・・・・・」
そんなエルネストの感想をそのまま口にしたのは、同行してきたアブドーランの民、セルジュだ。
「皮も焼きたてだし、肉も味がしみてる」
「ねっ?おいしーねっ?」
「まあ、俺はお前の作った物の方が、驚いたし、美味かったけどな」
「ははは、ほめてくれるなら、今度は何ごちそーしよっかな」
子供のように大きな口を開けて笑い、口の周りを汚しながら話して、側近に注意されているその姿は、とても大国バリハン国の
皇太子妃には見えないし、ましてや《強星》と言っても信じる者はいないような気がする。
それでも、その明るさには何時の間にか引き込まれていくようで・・・・・エルネストは自分の手を見下ろし、まだ食べ掛けだったそれ
を黙って口にした。
(やはり、美味い)
セルジュと違い、あまり話さないエルネストはもしかしたら気難しい人間なのかもしれないが、蒼は目の前に広がる珍しいものを
売っている店を覗いているだけで十分楽しい気分になっていた。
(ここ、こんなに賑やかで栄えているみたいなのに、昔は色々あったんだな)
蒼から聞いたわけではなかったが、エルネストは少しだけ顔の傷のことを口にした。
どうやら数年前に内乱があったらしく、それを鎮めるために先頭に立って動いていたエルネストが、向けられた刃を運悪く顔に受け
てしまったらしい。
内乱・・・・・平和な世界で育った蒼にとっては、その言葉はどこか別の世界の話のように聞こえるが、実際、シエンも、そしてカヤ
ンやベルネたちも、常に剣は携帯していて、丸腰でも何もあるはずが無い平和な日本と、今自分がいるこの世界は明らかに違う
のだと蒼も思わないわけにはいかなかった。
ただ、エルネストは同情をして欲しいわけではないだろし、変に慰めたりするのも今更ながらおかしいと思うので、蒼は意識的に
顔のことは何も言わないでおこうと思っていた。
そんな時だ。
「あ、あの」
「?」
歩いていた蒼は、いきなり声を掛けられて立ち止まった。そこには蒼より年上らしい若い女が立っている。
もちろん知らない相手なので蒼は首を傾げるが、蒼が女に訊ねるよりも先に、すっとカヤンが蒼と女の間に立った。
「何か?」
「あ、あの」
突然目の前に立ち塞がったカヤンに女は少し怯えたようだが、それでもチラチラと視線をその後ろに向けている。
(・・・・・王子を見てる?)
どうやら、その視線がエルネストに向けられているようだと蒼が思った時、女は思い切ったように口を開いた。
「あ、あの、そこにいらっしゃるのは、エルネスト王子ではありませんか?」
「え?」
「・・・・・」
「長い間、病に臥せっておられると聞いていましたが、でも、その目元は・・・・・っ」
いくら顔を隠していたとしても、生まれた時から次期王として育てられてきたエルネストは国民の前に立つことも多く、その面影を
見逃さない者もいたらしい。
そして、それは目の前の女だけではなかったようで、周りにいた者達が次々と傍にやってきた。
「・・・・・」
「・・・・・」
(エルネスト王子・・・・・)
本当は、これがいい切っ掛けのような気がしないでもなかった。
こんな風に人々が集まってくるのはそれだけ国民が皇太子であるエルネストに興味を持っているということで、そんなに慕われてい
るのならば傷付いた顔を見せても大丈夫なのではないかと蒼は思う。
ただ、決断するのはエルネスト自身で、自分が動くのは違うだろうと蒼は思った。
すると、
「・・・・・いかにも」
しばらく間を置いて短く答えた後、エルネストはゆっくりと顔を覆っていた布を解く。
いきなりの行動に蒼も驚いたが、それよりも周りに集まってきた者達の驚きは大きかったらしい。男らしく整った顔の中にある、醜く
大きな傷跡。ざわついていた声が一瞬で静まった。
「・・・・・お前達の皇太子は、このような醜い顔になってしまった」
その場の雰囲気を感じ取ったかのように、エルネストの口調は全てを切り捨てるかのように冷たい。
そのせいか、一番最初に声を掛けてきた女は怯えたように後ずさりかけたが、蒼は、これは違うと思った。
顔にこんな傷を負ってまで国を守ろうとしたエルネストの思いと、皇太子の病状を心配してくれる国民の思い。重なっているはずな
のに、このまま離れてしまうのは絶対に違う。
「カッコイイよねっ?」
思わず、蒼は女に向かって叫んだ。
その場しのぎの言葉ではなく、蒼が初対面の時に感じた思いがそのまま口から出たのだ。
「え、あ、あの」
「国を守るために、がんばったんだよっ?すっごくカッコいいじゃん!」
自分の言葉に目を丸くする女に、元々の顔だってカッコいいけどねと笑いながら付け加えると、女の頬に少し笑みが浮かんだ。
「はい、エルネスト王子は、国中の女達の憧れの方です」
「こわく見える?」
「・・・・・いいえっ、国を守ってくださった傷ならば、むしろ尊いものです」
「王子!」
「エルネスト様!」
女の声を切っ掛けに、周りの人々が口々に名を叫びながらエルネストを取り囲んだ。
民の行動に、エルネスト自身が戸惑っていた。
こんな醜い顔の自分を見ても、皆顔を逸らし、逃げていくだろうと思っているのに、向けられる眼差しの中には尊敬や敬愛の念ば
かりで・・・・・負の感情は見当たらない。
(私は・・・・・何を怖がっていたのか?)
父や婚約者の反応に絶望し、早々に民の前からも逃げてしまったというのに、こんな自分のことを皆待っていてくれたということが
嬉しくて、気恥ずかしくて・・・・・どういう表情をしていいのか分からない。
「・・・・・」
エルネストは、傍にいる蒼に視線を向けた。
蒼は、小さな子供達相手に笑いながら話している。どうやら、子供達はエルネストがどんな王子といわれているのか蒼に説明をし
ているようだが、蒼は一々驚いたように目を見張り、笑って、コクコクと頷いていた。
豊かな表情に、大らかな笑顔。思わず、こちらが引き込まれてしまいそうな、綺麗な澄んだ黒い瞳。
(《強星》とは、こういうものなのか・・・・・?)
ささくれ立った人の心をこんなにも呆気なく溶かしてしまう、そんな不思議な存在感。これが、《強星》と呼ばれる者が自然に持っ
ている性質なのかも知れない。
「エルネスト様!」
「王子!」
「・・・・・」
エルネストは民に視線を向ける。
数年間、勝手な自分の思い込みで政にもほとんど係わっていないというのに、こんなにも自分を慕ってくれる民に向かい、エルネ
ストは自然に頬に笑みが浮かんだ。
多分、長い間忘れていたその笑みは、傷のせいもあって強張っているだろうが・・・・・。
「・・・・・心配を掛けてすまなかった」
それは、エルネストが民に再び向き合った大きな第一歩だった。
「ソウ」
「え?」
セルジュが声を掛けると、蒼は子供達から分けてもらった菓子を興味深そうに見ているところだった。
「ああ、多分それは皮を剥いて中を食べるはずだぞ。俺達が知っているのは甘く煮込んでいる物だが」
「へえ」
何の警戒もなく、セルジュに言われた通り皮を剥いて実を口に含む。本来は硬く、無味な実だが歯応えがいいので、様々な味を
つけて子供達がよく食べている物だ。
「どうだ?」
「うん、おいし」
「・・・・・」
「・・・・・何?」
「お前、本当に面白いな」
「おもしろい?」
どういう意味なのかと眉間に皺を寄せる蒼の顔を、セルジュはマジマジと見つめた。
始めは、《強星》への興味として同行することを望んだが、今は蒼自身に興味が湧いている自分がいる。
(皇太子妃のくせに飯を作れて、あんな傷も立派だと言い切って・・・・・本当に面白い奴)
もっともっと長い時間一緒にいれば、変わったこと、面白いこと、感心すること、様々な感情を自分に与えてくれるのではないか
と思える。
「セルジュ?」
「なあ、ソウ、お前一度アブドーランに来ないか?きっと面白いと思うぞ」
まだ未開の地ということで、どこか恐れられ、一方で蔑まれているであろう自分達の生きる場所。しかし、蒼ならばきっとアブドー
ランのいい所をたくさん見つけてくれるのではないかと思った。
「アブドーランに?」
「そうだ。歓迎するぞ?」
自分の言葉に蒼の気持ちが揺れていることがよく分かる。何事にも興味を持つ蒼ならば、きっと未開の地という響きに惹かれて
いるのだろうと思えたが、そんな揺れる蒼の気持ちをきっぱりと押さえ込んだのは優秀な側近だった。
「ソウ様、お1人でお決めになってはいけませんよ」
「カヤン」
「王子にご相談されて、よく話し合われてからご決断下さい」
「・・・・・うん、そうだね」
そして、素直な蒼はその説得を受け入れたらしい。
頷く蒼を見たカヤンは、そのまま厳しい眼差しをセルジュに向けてきた。
「正式なご招待は、どうぞ王子になされて下さい」
「・・・・・はいはい」
(ソウ1人ならば、大丈夫だったのにな)
シエンがこの側近を蒼につけたのは的確な判断だった。
セルジュは苦笑を浮かべ、隣にいるアルベリックに言う。
「残念だよなあ、アルベリック。《強星》がアブドーランを訪ねてくれたら、あの地の印象もかなり変わったんだと思うんだが」
「お前、急ぎ過ぎだ」
馬鹿、と、ばっさりと言い切る側近に、セルジュは口を尖らせた。
「少しは、族長を敬え、バ〜カ」
意識したわけではないが、アルベリックと馬鹿馬鹿しい言い合いを始めた自分達を見ていた蒼は、はははと大きく口を開けて笑
うと、決着をつけるように言った。
「どっちもバカってことにしたらいいんじゃない?」
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