蒼の光   外伝




蒼の引力






                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 蒼がなぜ引ったくりに遭ったのか。それが串し焼きに気を取られていたからだという理由を聞いて大爆笑したセルジュは、それを
堪能しろと5本も買ってくれた。
 もちろん、蒼は最初は奢ってもらうつもりではなく(1本ならまだしも)、ベルネ達も代金は自分達が払うと言ったのだが、セルジュ
は頑としてその代金を受け取ろうとはしなかった。
 このままではさすがに悪いと思った蒼は、今日はこの地で宿をとるということも聞いたので、夕飯にセルジュとアルベリックを招待す
ることを提案し、借りを作ったままでは良くないと思ったカヤンとベルネもそれを了承した。

 そして、今、蒼は宿の厨房にこもっている。
 「おじさん!それっ、それとってくれさい!」
 「これか?」
 「うん」
 「いったい、何を作る気なんだ?」
宿に着く前に市で買い物をした蒼は、そのまま休むこともなく宿の主人に頼み込んで厨房を独占していた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 そんな蒼の様子を見ていたカヤンとベルネは、これからのことをどうするかと小声で話す。蒼は知らないが、ここ数日、この宿は蒼
が泊まるために他の宿泊客はおらず、緊急に用心しなければならないということはないのだ。
 「あの者達、来ると思うか?」
 「・・・・・来なければ来ないで、ソウが落ち込みそうだな」
 腕まくりをし、顔を粉で汚して、それでも楽しそうに笑いながら動き回っている蒼を見ていると、本当に食べてくれる相手を思って
していることだというのがよく分かり、つい皮肉めいた言葉を言ってしまうベルネも口を閉ざす。
 「早く、王子に連絡がつけばいいのだが・・・・・」
 バリハン王国に向けて走らせたソリューは、今回の旅で使っているものの中では一番早い。砂嵐にさえあわなければ、思ったより
も早く着くとは思うのだが・・・・・。
 「これ以上、あまり係わり合いにならない方がいいんだが・・・・・」
 あまりにも謎な、アブドーランの民。その中の族長という男がこれ以上蒼に係わらないようにするにはどうすればいいのか、ベルネ
は深く考えながら無意識に爪を噛んでいた。




 約束の夕刻、セルジュとアルベリックは指定された宿の前に着いた。
 「なぜ、断られたか分かったな」
 「ああ」
実は、数日前2人は目の前のこの宿をとろうとしたのだが、数日間に渡って予約が入っているからと断られてしまったのだ。造りも
しっかりしていて、この辺りでは一番いい宿に泊まれないことを残念に思い、それから何度かこの前の道を通ったのだが、とても団
体の客が泊まっている様子には見えなかったため、体よく断られたのだと思ったのだが・・・・・。
 「バリハンの皇太子妃がお泊りになるのならば仕方ない」
 「セルジュ」
 「分かっている。ソウの前でこんな嫌味は言うつもりは無い」
 多分、そこまでお膳立てしたのは周りで、きっとあの子供のような皇太子妃は、自分がどんな風に守られているのかということに
は気がついていないのだろう。
その素直さが可愛いが、一方で・・・・・愚かにも思う。
(ただの傀儡に成り果てなければいいが・・・・・)

 「あ!来た!」
 中に入るとそこはすぐに食堂のような場所になっており、笑顔の蒼が出迎えてくれた。
旅装束ではなく、普段着のような簡易な服の上から白い前掛けをした蒼の姿は、まるでこの宿で働いている少年のようだ。
(・・・・・皇太子妃としての自覚は・・・・・なさそうだな)
 「待ってた!ほらっ、すわって、すわって!」
 蒼は2人に駆け寄ってくると、その手を片方ずつ握って食台の椅子に座らせ、ちょっと待っててと言って厨房へと入って行く。
その姿を何気なく見送っていると、自分達の向かいには、お付の人間が2人、腰を下ろした。
 「わざわざご足労いただいて申し訳ない」
 自分に刃を向けた男がそう言う。丁寧な言葉遣いながら、その眼差しの中から険しさは消えていないようだ。
(俺達を怪しいと思っているのか・・・・・まあ、仕方ないな)
自分の主人であの皇太子妃があれ程に無防備なのだ、臣下はそれなりに用心深くても仕方がないと思えるので、その眼差し
に不快感は感じなかった。
 「あの姿は、もしかして?」
 「ソウが調理をした」
 「へえ」
 「口に合わなかったら正直に伝えてもらっていい」
 「了承した」
 高貴な身分の者が自ら料理を作ることなど初めて聞いた。いったいどんなものが出されるのか、セルジュは困惑よりも楽しみが
先に立ったが、
 「はい!!」
いきなりドンと目の前の食台に乗せられたのは、一抱えもありそうな大皿の上に、山と詰まれた茶色く丸いものだった。




 「・・・・・これは?」
 「パンだよ」
 「・・・・・パン?」
 「えっとー、こなをこう、くにゅくにゅして、丸くして、カマで焼いたやつ、パン」
 蒼は自然にこれをパンと言い、周りも受け入れているので、改めて説明するとなると悩んでしまうが、とにかく、食べてくれたら分
かると言って勧めた。
 「これ、やみパン。どの中に、何入ってる分からない、パン」
ぐふふっと、蒼は笑みを漏らした。

 「あ・・・・・甘い」
 「あ、それ、当たり!くたもの、ジャムして入れたんだー」
 「これは・・・・・甘辛い肉?少し辛いが」
 「それ、カリーパン。こんしんりょーたっぷり入れてる」
 「・・・・・っ」
 「あ、ベルネ、大当たり!とんがらしたっぷりよ」
 一口サイズの中に、色々と調理をした中身を詰めて焼いたパンは、それだけで主食とおかずと両方の役を担った。
蒼の好みの肉も様々に工夫して入れている(当たりは塩コショウで味付けした大きく切ったものや、甘辛く味付けしたもので、外
れは激辛)ので、男が5人・・・・・いや、供の人間も含めて20人近くの男達の食欲に、蒼が休み無く作ったパンはたちまち売り
切れ、足りない分は宿の調理人の料理が並ぶことになった。

 「へ〜、じゃあ、国になるかも?」
 蒼は食後のデザートである果物を、皮ごとカプリと齧りながらセルジュの話を聞いた。
 「ああ。俺達も、自分達がアブドーランの民と一括りに言われているのは知っているからな。どうせなら協力して国を立ち上げれ
ば、国土の大きさだけで言えばあの大国エクテシアよりも大きいだろう」
 「・・・・・」
 「ただ、アブドーランの全ての部族が友好的かといえばそうでもない。それぞれの思惑を全て調整するには、まだもう少し時間が
掛かるだろうな」
 「・・・・・」
(建国って、凄く大変なんだろうな〜)
 シエンや、国王の側でその仕事ぶりを見ているだけでも大変だろうと思うのに、これから国をつくって行こうとしている者たちはもっ
と大変だろうと思う。
 「がんばって」
 そして、まだ対外的に秘密にしておかなければならないようなことを自分に話してくれるセルジュの気持ちに、蒼は素直に感激し
た。
(あ〜、でも、シエンだけには話してもいいかな〜)
 シエンならばこの建国を邪魔したりせず、正しい国造りのアドバイスをしてやるのではないだろうか。
なんだかシエンに話したいことがたくさんあって(引ったくりに遭ったことだけは内緒にしたいが)、蒼は早くシエンに会いたいと思ってし
まった。




 部屋が空いているようなので同じ宿に泊まったらいいのにと思ったが、カヤンとベルネは頷かず、セルジュ達も他に宿をとっている
からと帰っていった。
 「明日、また会おう」
 帰り際、こっそりとそう耳打ちしてきたセルジュに、蒼はうんっと元気に頷いたが、こうして風呂に入り、ベッドに横たわると、自分が
旅の途中であることをようやく思い出してしまった。
 『ゆっくり遊んでたら、ベルネに叱られるよなあ〜』
 明日、会って早々、別れの言葉を告げなければならないかもしれない。
(せっかく出会えたのにな)
 バリハンの国の中だけにいたら、きっと出会わなかったであろう国の人間。もっともっと、色んな話を聞きたかったし、教えても欲し
かったのだが・・・・・。
 『あ・・・・・今度、バリハンに招待しようかな』
(シエンに頼んだら、きっといいって言ってくれるだろうし・・・・・)

 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 色々と考えごとをしていた蒼は、何時の間にか眠りに落ちていた。自分では疲れていないと思っていたが、今日は引ったくりにも
遭ってしまったし、たくさんのパンも作ったので、知らずに身体は疲れていたのかもしれない。
 「・・・・・」
 夢も見ず、そのままベッドの上で掛け布も蹴飛ばして眠っていた蒼だったが、不意に息苦しさを感じた。
 「・・・・・っ」
(な・・・・・に?)
口を塞がれているような感じだ・・・・・そう思った蒼は、普段の寝起きの悪さが信じられないほどにパチッと目を覚ました。
 「!」
 いきなり、目の前に何者かがいた。いや、誰かにキスをされ、それで口を塞がれて息が出来ないことに気付いた蒼は、反射的に
足を振り上げようとして・・・・・更に、全身に圧し掛かられていることが分かった。
 「ん〜!!」
 男である自分が、こんな風に寝込みを襲われることなど全く考えていなかった蒼は、どうやったらこの侵入者から逃れることが出
来るのかと焦って考える。
 この部屋の外には誰かがいてくれるはずだ。もしかしたら、傷付けられ、倒れているのではないかと思うと、今の自分のこの状態
のことよりも、心臓がギュッと縮まるような不安と恐怖を感じてしまう。
 その時だった。
 「私のことが分からないのですか?」
クチュッと唇を離した相手が、少し苦笑を含んだような声で言う。甘く、優しいその声に、その瞬間、蒼はどっと身体のこわばりが
解けたような気がした。