蒼の光   外伝




蒼の引力






                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 蒼の緊張が解けたことが分かったのか、身体を抱きしめる相手の手に更に優しく力がこもる。
蒼は暗闇の中ではっきりと顔が見えない相手を目を凝らして見つめながら、むっと口を尖らせた。もちろん、半分以上、いや、ほ
とんどが強がりのためだ。
 「来るの、早いよ。もっと、あと思った」
 「ソウは、私に会いたいと思ってくれなかったのですか?」
 いきなりの文句に、返ってくる言葉は相変わらず柔らかい。
暗闇でも自然に目が慣れて、今でははっきりと見える相手の顔に、蒼は自然と頬が緩んでしまうのを抑えられなかった。
 「会いたいは、思ったけど・・・・・でも、もっと、あとだと思ったから・・・・・」
 「私は1日でもあなたと離れているのは寂しいと思ったので、大急ぎで全てを片付けて後を追ってきたというのに・・・・・ソウは本
当につれない」
 「あ、会いたいって思ったよ!」
 会いたくないなんて思うはずがない。
驚くあまりに言った言葉を、変な風に取られてはたまらない。蒼は慌てて叫ぶように言うと、自分に圧し掛かってくる大好きな人の
首へと手を回して自分からも抱きついた。
 「早く会えて、うれしい、シエンッ!」
 「ソウ・・・・・」
 素直に喜びを表した蒼に、シエンの笑う気配がして、今度こそ2人共に意識したキスをする。
始めはそっと触れるだけの、それはやがて舌を絡める濃厚なものに変わって・・・・・蒼は数日ぶりのシエンの纏っている香りに包ま
れ、うっとりとキスに酔いしれていたのだが・・・・・。
 「!バ、バカッ、ここじゃダメ!」
夜着の隙間から手を入れてきたシエンの胸を突き飛ばした蒼は、もうっとベッドの上に座り直した。
 「こんなとこでヘンなことする、ダメでしょ!」
 「ソウ」
 「そと、カヤンたちいるんだぞ?みんな、聞かれたらはずかちーよ!」
 「ふ・・・・・ふふ、そうですね」
 自分のどの言葉が受けてしまったのか、いきなり笑い始めたシエンに蒼の方が戸惑ってしまう。
シエンの暴走を止めようと思ったのは確かだが、何だか再会の色っぽい雰囲気がたちまち消えてしまったような気がして(自分のせ
いであるのも分かっているが)、蒼はどうしたらいいのだと情けない表情のままシエンを見つめていた。




 シエンは部屋の中にカヤンとベルネを呼び寄せた。
もちろん、2人共シエンが部屋の中に忍び込んでいくところを見ていたので驚きはしなかったものの、そのまま蒼と2人で過ごすだろ
うと思っていたのか、少しだけ戸惑ったような雰囲気ではあった。
 「ソウはなかなか私を恋しいと思ってはくれないらしい」
 「え?」
 「道中、ソウの口から私の名前は出てきたか?それとも、私のことを思い出す暇がないくらい、何か大変なことでもあったとか?」
 「シ、シエンッ」
カヤンとベルネにそう訊ねるシエンに、蒼はしきりに手で口を覆う仕草をする。言っては駄目だと伝えているようだが、自分の前でそ
んなことをしていれば何かあったのだと直ぐに分かってしまった。
 「・・・・・」
 シュトルーフ共和国に入国して直ぐ、宿泊するために用意していた宿に向ったシエンは、カヤン達の話を聞く前に蒼の顔を見に
部屋に入った。
(これは、ソウのいないところで話を聞かねばならないな)
 実を言えば、蒼の道中の報告は全てシエンの元に報告が来ていた。1日に1度、旅の様子を報告しに、各地点に用意した伝
令が、ベルネの報告書を携えて走ってきていたのだ。
 しかし、一昨日バリハンを出てから、2日、その使いの報告を聞いておらず、その間に何かあったのだろうと想像出来る。
蒼のことが心配で、何とか予定を繰り上げてほとんど休憩を取らないまま、知りうる限りの近道を通って後を追ってきたが、その自
分の判断は心配性だという蒼の言葉とは裏腹に正しかったように思えた。
 「・・・・・今日は、ソウは私を寝台には入れてくれないのでしょう?」
 「と、とーぜんよっ」
 「それならば仕方ない。ソウにはゆっくり休んでもらいましょうか」
 「あ・・・・・で、でも、シエンは?」
 「私は湯を浴びて、食事をして・・・・・休むだけなら、あなたの隣でも構いませんか?」
 「・・・・・寝るだけなら、いーよ」
 「ありがとうございます」
 恥ずかしそうに俯きながら早口に言う蒼が愛らしく、シエンは自然と頬を綻ばせる。
しかし、その頭の中には、蒼が自分に隠していることはいったい何なのか、少しだけ影を落とす不安から目を逸らすことは出来な
かった。




 さすがにシエンがやってきてくれたことに、嬉しくて興奮していた様子の蒼だったが、疲れというものはそれだけでは解消は出来ず、
話している途中でまるで子供のように唐突に眠りに落ちてしまった。
 「ソウ?」
 「・・・・・」
 シエンが名を呼び、軽く身体を揺すっても、蒼は小さく応えを返すだけで目を覚まさない。
完全に眠ってしまったのだと分かると、シエンは大切そうにその身体を寝台の上で寝やすい体勢にしてやると、一度軽く唇に口付
けをしてから、カヤンとベルネに眼差しで促した。

 蒼が眠る部屋の隣に場を移したシエンは、差し出された酒にも手を付けずに言った。
 「何があったのか、報告を」
 「王子」
 「あったのだろう」
蒼の様子から、いや、カヤンやベルネの様子からも感じ取れた。ここにこうして蒼がいること自体は無事であったといえるだろうが、
それだけで何もなかったとはいえない。
 シエンは冴えた眼差しを2人の優秀な部下に向けた。
 「ソウに係わることは全て知っておきたい。ベルネ」
 「・・・・・はっ」
ベルネは一度深く頭を下げた後、意を決したように顔を上げた。

 「アブドーランの・・・・・」
 ベルネの報告は、シエンが予想をしていたものよりも遥かに驚くものだった。
蒼が引ったくりに遭ったということには眉を寄せたものの、好奇心旺盛で正義感の強い蒼ならば、その後を追い掛けていき、そのま
ま迷子になってしまうことは想像出来た。
 しかし、そこにアブドーランの民が係わってくるとは・・・・・。
 「どのような男だ?」
 「年のころは、我々とあまり変わらぬ様子でしたが、さすがに族長と名乗るだけにしたたかな様子は見えました」
 「金の髪と、紫の瞳を持つ、背の高い男です。アブドーランの中にある5つの部族をまとめ、一つの国家にしようと考えているくら
いですから、かなり野心が強く、求心力もあるのではないかと」
 「・・・・・」
様々な文献を読み、知識を養っているシエンにしても、このアブドーランという未開の地のことはほとんど分からなかった。
(幾つかの種族が存在するとあったが、それは真だったということか・・・・・)
 大国の建国ということはとても気になるが、シエンにとってそれ以上に気懸かりなのは、その男に蒼の正体を知られてしまったとい
うことだ。
《強星》の存在はどの国にも知れ渡っており、手に入れるとどうなるかも・・・・・知っているはずだ。その男がどういった意図で蒼に
近付いているのか、ただ純粋にということは考えられなかった。
 「明日も、会うのだな?」
 「そう約束をしておられました」
 「・・・・・全く・・・・・」
 人を疑わないという素直な心根は蒼の美徳だと思うが、シエンにしたらばそれはそれで気懸かりな種が増えるばかりだ。
 「どちらにせよ、ここに長居はしない予定たが、私もその者達の顔を見知っておきたい」
 「会われますか?」
 「私は蒼の夫だ。妻の危機を救ってくれた者に、礼くらいは言っておかねばな」
カヤンとベルネの話だけでは、相手がどんな男なのかはよく分からない。それでも、蒼が自分からは言わなかったことが(引ったくり
に遭ったことを隠したかったのだろうが)面白くなく、シエンは眉間から皺を消すことが出来なかった。




 翌朝、蒼の泊まっている宿に向うセルジュの手には、瑞々しい果物が持たれてある。朝市で見掛けた美味しそうなこれを見てい
るうちに、頬張った蒼の姿が頭の中に浮かんだからだ。
 「お前が手土産なんてね」
 普段の傲岸不遜なセルジュの性格をよく知っているアルベリックにとっては、誰かに気を遣うというセルジュの姿が面白くて仕方が
ないらしい。
 「笑うなら笑え。お前、昨日のソウの食べっぷりを見なかったのか?あれだけ美味そうに食べるのを見れば、もっと食わせたくもな
るだろう」
 「・・・・・まあ、確かに」
 「あれが、大国バリハンの皇太子妃とはな」
 「人は見掛けによらない」
 「俺が族長だと思われないようにな」
 まだ27歳のセルジュを、一つの民族をまとめる長だと思う者はなかなかおらず、同じアブドーランに住む別の種族の元へ行って
も、軽くあしらわれてしまうことが多いのだ。そんな自分を一発で認めた蒼は、素直というか、単純というか・・・・・どちらにせよ、セ
ルジュにとっては面白い生き物にしか見えなかった。
 「今日は何をするかな。美味い物を食べ歩いてもいいが」
 「旅の途中だと言っていただろう?あまり時間は無いんじゃないか?」
 「構うものか」
 「セルジュ」
 「俺があいつと一緒にいたいと思っているんだ。時間など考えることもないだろう」
言い出したら聞かない若い長のことを良く知っている昔馴染みは、肩を竦めて苦笑を零した。

 「ソウ!土産を持ってきたぞ!」
 宿には蒼達だけしか泊まっていないことは分かっているので、セルジュは入口の扉を開けた瞬間にそう言った。
 「みやげっ?」
すると、直ぐに弾んだ声が返ってきて、ドタドタと木の階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた、その姿を想像したセルジュの口元に
は笑みが浮かんだ・・・・・が。
 「・・・・・」
(・・・・・誰だ?)
 蒼の後ろから一緒についてきた男の姿に、セルジュの眼差しは一転して怪訝そうに顰められる。その眼差しを十分分かっている
だろう端正な容貌のその男は、蒼の後ろから穏やかな微笑を・・・・・目は笑っていないが・・・・・向けてきた。