蒼の光   外伝2




蒼の運命




15

                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 緊張感は保っていたつもりだった。
しかし、数日間ほぼ睡眠をとっていなかったベルネは、自分の直ぐ隣で気持ち良さそうに眠っている蒼の顔を見ているうちに、次第
に自分も何時の間にかウトウトとしてしまい、天幕の外の異変に気付くのが遅くなってしまった。

 ベルネが気付いたのは、天幕に当たっていた砂の激しい音が急に静かになったことからだった。
 「・・・・・」
まるで子守唄のようにその音を聞いてたベルネは、砂嵐が止んだのかと顔を上げた。
 「・・・・・っ」
その時になってようやく、複数の人間の気配を感じてしまい、ベルネは口の中で鋭く舌を打った。
(囲まれたか・・・・・っ)
 風は相変わらず激しいのに、砂の音が聞こえなくなったのはそれだけ天幕を囲まれたという証だ。厚手の布で作られているそれか
らは外の様子は全く分からないが、耳を澄ませば少なくとも4、5人以上の足音が聞き取れた。
その上、何を話しているのかは分からないが、風の合間に話し声も聞こえる。
(セルジュ達は無事なのか?)
 2人同時に休むということは考えられないので、自分よりも早くこの存在に気付いたはずだ。
逃げてしまったのか、それとも息を潜めて様子を窺っているのか・・・・・いや、あの2人のことを心配する前に、自分はまず蒼の安全
を確保しなければならない。
 「ソウッ」
 ベルネは自分の膝を枕に眠っている蒼の肩を揺すった。
しかし、かなり眠たいのか、なかなか蒼の意識は浮上しないようだ。
(・・・・・くそっ)
 あまり声を上げない方がいいのだが、ここは少し乱暴に起こさなければと、
 「起きろっ、ソウ!」
 「・・・・・え?」
さらに激しく肩を揺すると、蒼は心許無い声を出しながらようやく目を開いた。それでもはっきりとした意識はないのか、何度か目を
擦り、おはよと首を傾げて言ってくる。
 「なんか、眠いけど・・・・・朝?」
 「来たっ」
 「・・・・・北?」
 「盗賊だっ」
 「・・・・・え?」
まだ意味がよく分からないのか、蒼は不思議そうにベルネを見つめてきた。




 「盗賊だっ」
 「・・・・・え?」
(とー・・・・・ぞく?)
 目の前のベルネの真剣な表情と、その言葉が頭の中に浸透するまで少し時間が掛かって・・・・・、
 「えっ?」
ようやく、蒼は今の状況を把握した。
ベルネは遅いというように睨んでくるものの、寝起きでいきなり来襲を伝えられても頭が回るわけないじゃんと心の中で言い訳をし、
蒼は急いでその場に座り直して入口へと視線を向ける。
 「ホント?」 
 あれだけ騒いだ後に今更かもしれないと思ったものの、蒼は声を潜めてベルネへと訊ねた。
 「多分な。同じ旅人ならこんなふうに様子を窺う前に声を掛けてくるはずだ」
 「う・・・・・ん、そう、かな」
 「ソウ」
ベルネは手を伸ばし、蒼が持ち歩いている短剣を取って手渡してくる。
 「多分、お前の命を奪うことはないと思うが」
 「べ、ベルネッ」
(俺の命はって、だって、それじゃあっ?)
従者という形で自分の傍にいるベルネの命の保障はされないのかと、蒼は焦ってその服の裾を掴んだ。
どうしようかという戸惑いが大きかったものの、こうして剣を握らされると危機感が大きくなってくる。特に、自分はとわざわざ前置き
をするとは、従者であるベルネの命は全く保障されないと言っているのも同然だ。
(そんなのっ、許せるはずないじゃん!)
 「・・・・・っ」
 蒼は今渡された剣を置くと、天幕を張る際に使った1メートルほどの棒切れを手に取る。
 「ソウッ?」
そして、普段砂漠を渡る時に着る外套を頭からすっぽりと被った。さすがに黒髪、黒い瞳の自分の姿を容易に見せてはならない
ということは考え付いたからだ。
(この暗闇じゃ分からないけどなっ)
 「おい!」
 蒼の突然の行動にベルネは一瞬呆気に取られたようだが、直ぐに蒼を止めようと厳しい声を掛けてくる。
 「ベルネがたたかうなら、俺もいっしょ!」
 「馬鹿なことを!」
ベルネにとって自分を守ることが使命だとは分かっているつもりだ。それでも、自分は守られる女ではなく、戦える男だった。
 「大丈夫!ぜったい、シエンが来てくれる!」

 「ソウ、私達はすぐ傍にはいませんが、必ず見ていますから。何があっても、あなたに掠り傷一つ負わせるつもりはありません」

シエンのあの言葉を信じている蒼は、今のこの状況を最悪だとは思わない。
それよりも、盗賊に関して一つでも多くの情報を知りたいと思い、蒼はそのまま入口の布に向かい、風の音に負けない大声で叫ん
だ。
 「そこにいるのは誰だっ!」
 「ソウッ!」
 何を言うのだと慌ててその口を塞ごうとしたベルネの手の中から逃れ、蒼は手の中の棒を剣道の竹刀に見立てて構えながらもう
一度叫ぶ。
 「誰がいるんだよ!」

 ・・・・・・・・・・

しばらく聞こえてきたのは風の音だけ。
 「・・・・・!」
 しかし、間もなく入口の布が切り裂かれ、そこに1人の人物の影が現れた。
(男・・・・・だよな?)
天幕の中も外も夜の闇に包まれている。普段は月明かりがあるのだが、この砂嵐の中ではその影もなく、何とか闇夜に慣れてきた
目に映ったのは大柄な男の影だった。




 「・・・・・っ」
 蒼の無謀な行動に舌を打ったベルネは、切り裂かれた布の隙間から見えた影に緊張感を高めた。
相手が武器を持っていることは当然予想していたものの、言葉より先にそれを使う相手の粗暴さを、もっと警戒しなければならな
いと感じた。
(ソウは絶対に守りきる・・・・・っ)
 シエンにくれぐれもと託された皇太子妃。
この世界で貴重な《強星》。
守らなければならない理由は様々にあるものの、ベルネは外からの要因だけでなく、自分の意志で蒼を守りたいと思っている。
だからこそ、今この危機を乗り越えるためにも冷静にしなければと、剣を構えながらじっとその人影に目をやった。
 「ちょっと、ランボーだぞ!いきなり切るなんて!」
 「・・・・・」
 「あんた、とーぞくなのかっ?」
 「・・・・・」
 蒼の率直な質問にも相手は何も答えない。
(感情的にならないとは・・・・・かなり場数を踏んでいるのか?)
盗賊と図星を指されたら、粗野な者ならば問答無用で切りかかってきても可笑しくはない。しかし、目の前の男にはそんな感情
の高まりは見られなかった。
(命を奪わずに金だけを取る・・・・・)
 それは、意外に難しいものだ。殺してから金や荷を奪うのは容易いが、命を奪わないようにしてそれを行うにはかなりの自信と腕
が必要のはずで、その上これほどに冷静ならば、もしかしたらこの集団はただの盗賊とはいえないのかもしれない。
 「おいってば!」
 「・・・・・聞いた声だな」
 「・・・・・っ」
 初めて男が放った言葉は、まだ若い、それでいて落ち着いた響きの声だ。
 「これだけ俺達のことが評判になっているというのに、たった3人の護衛を連れただけで暢気に砂漠越えをする金持ちの息子がい
ると聞いた時、少しおかしいなとは思ったんだが」
 「・・・・・」
 「お前、あの時国境の警備所で会った、バリハンの皇太子妃か?」
それは、訊ねているというよりも、確信の響きだった。




 「お前、バリハンの皇太子妃か?」
 そのものズバリ、自分の立場を言い当てられた蒼はどうしようかと目を泳がせてしまった。さすがに今、ベルネを振り返るのはまず
いと思い、自分だけでこの場の対処を考えなければならない。
 しかし・・・・・。
(この声って・・・・・)
相手の顔がはっきりと分からないので、聴覚がかなり敏感になっていた。そのせいか、今話している声が確かにあの夜、砂漠で聞
いた声だったと確信出来る。

 「まさか、こんな所でそんな大物に会うとはな」
 「1人でいるとは思えない。・・・・・やはり、バリハンが動き出したという情報は嘘ではなかったか」

(・・・・・うん、間違いない)
 あの時も夜だったので、顔よりも声の印象が強かった。確か、名前も聞いたはずだ。少年がこの男を呼んだ時、その名前を言っ
た、あれは・・・・・。

 「ヒュー、こいつ、バリハンの皇太子妃だっ」

 「そうだ、ヒュー?」
 記憶を探り、出てきた名前を口にすると、少し間を置いて男がくっと笑みを漏らすのが分かった。
 「よく覚えていたな」
 「あ、やっぱり?」
 「では、その名前を知っているということは、お前もあの時の、バリハンの皇太子妃だということで間違いがないということか」
 「あ」
一瞬、どう誤魔化そうかと考えたものの、蒼は無駄なことは止めた。
こうして少し話しただけでも、男がかなり頭がいいということは感じ取れて、自分の拙い言い訳など直ぐに見破られると思う。
それよりは、蒼はこれは良い機会なのではないかと思った。どうせこちらの立場が分かっているのならば、このまま聞きたいことを聞い
てやれと考える。
 「俺、ソウ」
 「ソウ・・・・・やはりな」
 「そっちは?とーぞくなのか?」
 「・・・・・ああ」
 男は笑みが滲んだ声で頷いた。
とっさに、隣にいるベルネの気配が剣呑になったが、蒼は急いでそれを押さえるように腕を掴む。
せっかく相手が話そうとしてくれているのだ、まだ武力を行使するのは早い。
 「名前、ヒュー?」
 「そちらが名前を明かしてくれたんだ。こちらも通称ではなく、本名を名乗ろうか。俺はヒューバードだ」
 「ヒュー・・・・・パド?」
 「ヒューバード。ま、皇太子妃が覚えるような名前でもないが」
 そう言った男・・・・・ヒューバードは、堂々と天幕の中に入ってきた。その背後にはまだ何人もの人影があるが、中には入ってこな
い。
初めて会った時と同じように頭からすっぽりとマントで顔を隠していたが、明かりがないからか、それとも顔を見せても構わないと思っ
たのか、ヒューバードはするりとマントを取り、真正面から蒼と対峙した。