蒼の光 外伝2
蒼の運命
20
※ここでの『』の言葉は日本語です
多分、どんな時でも蒼はこの声を間違えることはないと思う。
この世界で共に生きる人、大好きな人の声を間違えるなど、それこそ男じゃない。
「シエン!」
「・・・・・っ」
自分の目の前で腰を屈めていたヒューバードが、パッと立ち上がりながら蒼と同じ方向に視線を向けた。
鋭い舌打ちと、厳しい眼差し。自分と向き合っていた時以上に真剣な表情をしているのが悔しいが、シエンがそれだけヒューバー
ドを緊張させる相手なのだと思うと誇らしかった。
「シ・・・・・っ」
蒼も立ち上がろうとしたが、思った以上にダメージのある足のせいで大きくふらついてしまう。しかし、地面に倒れそうになる身体を
しっかりと捕まえてくれた逞しい腕があり、
「あ・・・・・」
それが、先ほどまで拘束されていたはずのベルネだと分かった途端、蒼はあ〜あと空を仰いでしまった。
(俺が何かする前に、みんなちゃんと動いてたんだ)
3人を助けなければ・・・・・その思いだけで突き動かされていたが、拘束されていた者はちゃんと自分で対策をし、こうして逃げ出
している。
(少しは、役に立てるかなって思ったんだけど)
「無駄だったってことか」
「・・・・・いや、そんなことはない」
小さな声で呟いたはずなのに、ベルネはそう答えた。
「お前の勇気を賞賛する。よくやった、ソウ」
「ベルネ・・・・・」
普段厳しいベルネの労いの言葉に戸惑った蒼だが、じわじわと嬉しさがこみ上げて思わず笑みを浮かべる。
結果としては、自分はヒューバードに打ち負けてしまったが、それでも何もしなかったよりはましな結果のような気がした。
「ソウ!」
そんな嬉しい気持ちのまま、蒼は再び自分の名を呼ぶ声に大きく手を振った。こうしてベルネに抱きかかえられるという情けない
格好であるが、それでも大丈夫だということを示す為に手を振り続けた。
蒼がベルネ達と共に別行動をし始めた瞬間からシエンは後悔をしていた。
蒼の提案は今の時点では一番よい方法だと分かってはいたが、自分の目が届かない所でもしも何かあったらと思うと心配でたま
らない。
側にいるベルネを始め、セルジュもアルベリックも剣の腕はたつが、いざという時、本当に蒼を守れるのか・・・・・今にもソリューで追
いかけ、あの細い身体を抱きしめたい思いに駆られながら数日経った。
「シエン様、奴らは本当に現れるでしょうか?」
自分と同様、蒼の身を案じているカヤンが、天幕の中で徐々に激しくなってくる砂の音を聞きながら口を開いた。
「奴らも、各国の動きは多少把握しているはずです。その上、我が国の国境でソウ様が会ったのが本当に盗賊だった場合、危
険を察知してしばらく鳴りを潜めるということも考えられませんか?」
「・・・・・」
それはシエンも考えた。
蒼の言葉でしか相手の人となりは分からないが、会話の仕方は粗野というよりはある程度の学があるように感じた。そんな男が、
追っ手が迫っているかもしれないという危機を全く感じていないというのは・・・・・。
(ありえないな)
そうだとすれば、このまま蒼にあてもなく砂漠を旅させるのは無駄かもしれない。
「・・・・・出直すことも考えなければならないか」
「王子」
「・・・・・今夜は砂嵐だな」
(ソウは、怖い思いなどしていないだろうか・・・・・)
どんなに辛くても弱音を吐かない蒼だ。この旅の疲れも口に出さないまま、身体に鞭打って動いているのではないかと思うと心配で
たまらない。
「・・・・・カヤン、一度引こう」
「シエン様っ」
「もう一度策を練ろう。きっと良い方法があるはずだ」
蒼が絡むと冷静な判断が出来ないという自覚はあるが、今は引くことが正しい選択だと思った。
そう決めると、シエンははるか先の水場に天幕を張っているだろう蒼のもとに急いで向かおうと自らも天幕を出たが、
「・・・・・っ」
砂嵐はかなり酷いものになっていた。身体に当たるそれも砂粒というよりは塊で、はっきりと目を開けることも出来ないほどだ。
「おさまるまで待たれますかっ?」
「いやっ、行く!」
この砂嵐の中、蒼がどうしているのかと心配でたまらなくなったシエンは、兵士達にも撤退の命を下して蒼を迎えに行くことを告げ
る。
突然のシエンの方針転換だったが、兵士達も蒼のことが心配でならなかったらしくすぐに賛成の声をあげ、何とか天幕をしまって
ソリューに乗り込んだ時だった。
「シエン様〜!!」
蒼達の偵察に向かわせていた兵士が1人、走るソリューから転げ落ちながら訴えてくる。
「盗賊の来襲です!!」
「何っ?」
砂嵐の音に負けないように声を張る兵士の言葉に、シエン以下皆がいっせいに緊張した。
「ソウ様とベルネ達を攫い、水場をあとにしてソリューを走らせていますっ。今、ジルが後を追って・・・・・っ」
「怪我はっ?怪我はさせられなかったのかっ?」
シエンは腰に携えている剣に手を掛ける。
「ソウ様は盗賊の1人と共にソリューに乗られたお姿は拝見しました!」
「・・・・・」
(それでは、命に係わる怪我はしていないということかっ?)
安堵しかけたシエンだが、ベルネやセルジュという剣の使い手が抵抗できずに捕まったということに気を引き締めなければならない
と感じた。
相手が何人かは分からないが、明らかに統率している者がいて、それはこちらが思っている以上に頭の良い者のはずだ。
「・・・・・っ」
覚悟はしていたことだった。
盗賊に気取られないために蒼達のすぐ側で守ることが出来ず、何かあった場合すぐに駆けつけることは出来ないかもしれないとい
う心配は命中してしまった。
(ソウ・・・・・ッ!)
本当は、今すぐにでもソリューを走らせ、立ち去ったという盗賊達を追い、蒼を奪い返したい。
皇太子である前に一人の男として、愛する者を守れないということは屈辱以上に情けないことだった。
それでも、シエンはすぐに足を踏み出すことは出来ない。蒼が命懸けで作ってくれたこの好機を、自分の感情だけで潰すことは
出来ない。
「・・・・・っ」
模様が手のひらに刻まれるほどに強く剣を握り締めて感情を押さえ込んだシエンは、
「集まれ!至急包囲の方法を考える!」
一刻を争う時だ、兵士達も素早くシエンの声に動いた。
そして、シエンは蒼達を攫った盗賊の集団が向かった方角へとソリューを走らせた。
何時しか砂嵐は止んで、空は澄み切った夜空になっていたが、シエンはそんな自然の美しさに目がいく余裕などいっさい無い。
(無事で・・・・・ソウッ!)
一体、今蒼がどんな状況下にいるのか、目で確認出来ないだけに想像ばかりが膨らんでしまい、シエンの顔色は無くなり、噛み
締めた唇からは血が滲んでいた。
「シエン様!」
その時、前方で大きく手を振る影を見つけた。そのさらに先には別の水場が見える。
「止まれ!ここからは慎重に動くぞっ」
砂嵐が止み、夜も明けて視界が良好になったということは、相手方もこちらの姿を見つけやすくなったということだ。
ここまで来て盗賊達を逃がすことはないが、もしも自棄になった何者かが蒼に危害を加えようとしたら・・・・・そう思うと、心は急くの
に慎重にならざるをえなかった。
「様子は?」
盗賊達を追いかけて先に向かっていた兵士は、あの水場にと指差した。
「ソリューは十頭ぐらい、それぞれに2人ずつ乗っていました。
「では、少なくとも20人近くはいるかも知れないということか?」
「あまり近くに寄れませんでしたので目測ですが、それ以上はいないと思います。ただ、あの水場をご覧下さい、なにやら小屋のよ
うなものが・・・・・」
その言葉にシエンが目を凝らすと、まばらな木々の間に不自然な木造の建物が見えた。
「では、あそこがアジトなのかもしれないな」
「おそらく」
「・・・・・」
(そうだとしたら、ソリューに乗っていた以上の人間がいるかもしれないということか)
水場の大きさからいってそれほど多くではないだろうが、用心はしておかなければならない。
「ソリューはここに置いて、風向きを考えながら動く。あちらにはソウ達がいることを忘れるなっ」
「はっ」
「御意!」
「・・・・・っ」
(ソウ・・・・・ッ、無事かっ?)
早く、蒼の顔が見たくて、シエンは走り出しそうになる足を慎重に運ばなければと激しく打った。
急く心を何とか押し殺し、シエンは風向きを考えながら、兵士達でその場を包囲するようにゆっくりと水場に近付いた。
(・・・・・歓声が聞こえる?)
近付くにつれて耳に届く歓声の声。
まさか、蒼達を嬲っているのではないかと思い、シエンはどうしても気持ちを押さえ切れずに一気に歩を進め、木の陰から見えたの
は、
「・・・・・!」
(ソウッ!)
大柄な男と打ち合いをしている蒼の姿だった。
どうしてそういう状況になったのかは分からないが、蒼は男と剣を・・・・・いや、木の棒のようなもので打ち合っている。体格差がある
が蒼は打ち負けておらず、それを見て興奮した周りの男達は2人に意識が向いていて、この水場を包囲しているシエン達に気付
いてはいないようだ。
「・・・・・」
(銀の髪・・・・・奴が頭かっ)
蒼と打ち合っているのは銀の髪の男だ。距離があるので顔は見えないが、身体付きからいってもまだ若く、そして鍛えているのが
よく分かる。
剣筋の良い蒼は、それが練習用の木刀になればさらに俊敏さに磨きが掛かり、シエンやバウエル将軍さえ押されることがあった。
その鮮やかな剣さばきは今も目の前で繰り広げられている。それは、蒼に怪我がないという証でもあった。
「・・・・・」
「・・・・・」
シエンはカヤンに目配せをする。
この隙に一気に包囲網を狭め、盗賊を確保する。次々と回る伝令に視線を向けたシエンが再び蒼に視線を向けた時だった。
「!」
蒼の棒が弾き飛ばされ、男の棒が華奢な足に振り下ろされた。
「いった〜!」
苦痛を訴える蒼の声に、シエンはこれ以上時を待つことは出来なかった。
その場に足を付き、大柄な男と向かい合う蒼に向かって、シエンは大声でその名を呼ぶ。
「ソウ!」
自分の声に驚いたように顔を上げた蒼が、パッと視線を巡らせて自分の顔を確認し、その瞬間太陽のように輝く笑みを浮かべて
くれた。
「シエン!」
「!」
蒼が自分に気がついたように、向かい合っていた銀髪の男も自分達の存在に気付いたらしい。こちらを向いた顔は思ったとおりま
だ若く、精悍な表情をしていた。
「囲め!!」
既にこの水場は包囲している。シエンはそう号令を掛けて兵士達を動かすと、自分は真っ先に蒼のもとへと駆け寄った。
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