蒼の光   外伝2




蒼の運命






                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 「門を開け!王子のお着きだ!」
 ベルネの言葉に、国境の門の厚く大きな扉が開かれた。
 「着いた〜」
思わずそう呟いた蒼の後ろで、優しく笑う気配がする。
 「ご苦労様でした、ソウ。今夜はここで一泊しますよ」
 「うん」
(野宿じゃないのか・・・・・あ、お風呂あるのかな?)
 暢気に風呂のことなど考えている場面ではないかもしれないが、二日間走り通しで、夜も野宿という生活は、慣れない蒼には
やはり大変なものだった。
食事はまだいいのだが、困るのは風呂だ。綺麗好きとまでは言わないものの、毎日風呂に入ることが習慣の蒼にとって、二日間
砂埃混じりの格好でいることは苦痛だ。
 「ゆっくり身体も洗えますよ」
 しかし、さすがに蒼のことをよく知っているシエンはそう言いながら、ソリューから下ろしてくれる。
何だか言葉に出さなくても気持ちが通じ合っているということを感じて気恥ずかしくなってしまうが、もちろん嫌なはずもなく、蒼は照
れ隠しにへへっと笑うと、ようやく自分の背後へと視線を向けた。
 「ごくろー、セルジュ」
 「・・・・・ソリューは乗りにくいな」
 蒼とは違い、身軽にソリューから降りたセルジュは、眉を顰めながら肩を叩いている。しかし、そういう割にはシエンの操るソリュー
から少しも遅れることなく付いてきた腕前は相当なものだろう。
(まあ、嫌味に聞こえないだけいいけどさ)
 「今日はここで休むって」
 「国境の門を出たら、それこそ砂漠地帯だからな。水や食べ物の補給にも丁度いい」
 「・・・・・そっか」
 確かに、風呂に入るだけでここに一泊するわけがない。
なんで気がつかなかったんだろうと思うものの、次からは注意深く物事を考えなくちゃと気持ちを切り替えた蒼は、続々と門をくぐっ
てくる兵士達の方へと足を向けた。




 「みんなー!きょーは、ここに泊まるよー!」
 一々兵士達に報告をする蒼の声を聞きながら、シエンはソリューを繋いだ。
蒼としては兵士達の様子を見るために声を掛けているのだろうが、そんな蒼の姿や声で皆の顔に笑みが浮かぶことを、多分本人
は気がついていないだろう。
 小さな身体で人一倍頑張ろうとする蒼は、見ているだけでも勇気付けられるのだ。
 「・・・・・」
シエンはそのままセルジュを振り返った。
乗り慣れているとは言い難いソリューを操り、全く遅れもなく自分の後ろを付いてきた手腕は見事なものだった。
 「疲れては・・・・・いないようだな」
 「ただの遠乗りで疲れるはずはないだろう」
 「・・・・・」
 「それより、ソウ。あいつ、無理していないのか?途中でもあまり休んでいなかったようだが」
 セルジュに言われるまでもない。
一刻も早く決着をつけたいという気持ちからか、ほとんど休憩も取らずにここまできたことはシエンも認める。言葉では休もうかと言っ
たものの、蒼が大丈夫だと言ってくれた言葉に甘えてしまった。
国境の警備所で休むことは決めていたが、蒼にとってはきつい旅程だっただろう。
 「今夜はゆっくりと休ませる」
 「そうしてやってくれ。抱いたりしないようにな」
 「・・・・・」
 「男は疲れても出来るだろう」
 下世話な物言いにシエンは眉を顰めたが、言い返せばそれだけ不毛な言い合いが続くような気がして黙る。
こんな旅の途中、それも盗賊討伐に向かう時に蒼を抱くはずがないということを分かっているくせに、どうしてこんなことを言うのか。
(私はそれ程獣ではないぞ)
 「ああ、それと」
 「・・・・・なにか?」
 蒼の元へと向かい掛けたシエンは、意味深に口を開いたセルジュを振り返った。
 「盗賊の件だが」
 「何か知っているのか?」
 「そちらが喜ぶほどのものではないが、一応旅の途中に耳にしたことは話しておいた方がいいだろう?食事の後でも時間が取れ
るか?」
 「今からでもいいが」
 「お前が動いていたら蒼が休めないだろ。少し落ち着いてからにしようぜ」
一見、言動が粗野にしか思えないセルジュだが、細やかな気遣いは出来る男らしい。それが蒼限定ならば少々問題だが、シエ
ンとしても蒼の身体のことを考えるのは当然だった。
どちらにせよ、今日はこの警備所で休むことは決まっている。時間はまだあると思い、今度こそシエンは蒼の元へと足を向けた。




 国境の警備所は、石造りの立派なものだ。
国境とバリハン国を繋ぐ重要な場所なので、それなりの設備も整っているらしい。
 「は〜、さっぱり」
 シエンよりも先に風呂に入った蒼(シエンは一緒に入りますかと言ったが、丁重に断った)は、濡れた髪をガシガシと布で拭いなが
ら、窓から外を見つめた。
 『・・・・・もう直ぐ日が沈むな』
 視線の先は、ずっと砂の海が続いている。この砂漠の大部分は、どの国にも属さない中立地帯だそうだ。
そこで盗賊騒ぎが起きてしまうと、どの国が取り締まればいいのかなかなか話は複雑らしく、それが今の無法地帯という状況になっ
ている・・・・・と、シエンが言っていた。
(生きていくのに、皆必死だっていうのは分かるけど・・・・・)
 自分はたまたまシエンと出会い、彼に庇護されて飢えることも無く、危険なことからも守られていた。誰もが自分のように幸運な運
命ではないと思うが、ここで同情するのも止めた方がいいだろう。盗賊のせいで財産を奪われた者も、怪我をした者も大勢いること
は確かなのだ。
 『どんな相手なんだろ』
 今から自分達が立ち向かう相手は、命を奪うことはないものの、気性が荒い者達には変わりないはずだ。
 『・・・・・あ』
(そういえば、シエンはどこだろ?)
食事の後、何時の間にか姿が見えなかった。いったいどこに行っているのかなと、蒼はキョロキョロと周りを見回してしまった。




 「ソウは?」
 「湯浴みに行っている」
 「ああ、それは綺麗になるだろうな」
 「・・・・・」
(どうして、こういう物言いをするのか)
 セルジュが蒼を気に入っているのは分かっているし、そもそもバリハンにやってきたのは蒼をもっとよく知るためだろう。
しかし、蒼の夫である自分を前にしてよく言う・・・・・シエンは半分呆れ、半分感心しながら、セルジュとアルベリックの前に酒を入
れた杯を置いた。
 「それで?」
 「・・・・・」
 セルジュは一口酒を含み、さすがにいいものだなと言ってから、ようやくシエンに視線を向けた。
 「他の所では、十人程度の少数が仲間となっているのが多いようだな。武器の扱い方も満足に知らない平民の出が多いらしく
て、そのせいで命を犠牲にする旅人もいる」
 「・・・・・」
 「ただ、大国の周りにいる盗賊には、兵士崩れの者が多いせいか、結構秩序が保たれていると聞いた。多分、エクテシアもバリ
ハンも、命を落とした者はいないはずだが・・・・・どうだ?」
 「確かに。もしやと思っていたが、やはり元兵士もいるのか・・・・・」
 それがどこの国の兵士かは分からないが、秩序が保たれた中生活を送っていた者が、どうして他人の財産を奪おうと思うのだろ
うか。
農民や商人とは違い、各国、兵士にはそれなりの給金を与えているはずだが・・・・・。
 「・・・・・セルジュ、我が国の周りにいる盗賊については何か知らないか?」
 「俺達も、旅は危険を避けてやってきたからな。わざわざ危ない橋を渡ろうとは考えていない」
 「・・・・・そうか」
 それにはシエンも納得した。
そもそも、セルジュ達もアブドーランの民で、簡単には素性も明かしたくなかっただろう。人目を避けて旅をしていたのも分かり、シエ
ンはこれ以上の情報を諦めようとした。
 「だが、一つだけ噂は聞いた」
 「噂?」
 もったいぶった言い方は、多分セルジュの癖なのだろう。一度に言えば話は早いのに、わざわざシエンの好奇を煽ろうとする言い
草に呆れてしまうが、当然のようにシエンはその先を促した。
 「バリハンの周りにいる盗賊は、銀の獣だと」
 「銀の獣?」
 「多分、例えだと思うが、何を指しているのかまでは分からない。あまりたいした情報じゃなくて悪かったな」
 「・・・・・いや、とても助かった、ありがとう」
 素直にそう礼を述べれば、セルジュは口元を歪めながら笑った。
 「育ちの良い人間には敵わないな」
何を言われようとも、今はほんの僅かな手掛かりでも欲しい。
シエンは軽く一礼をすると、そのまま作戦会議をするべく、兵士達が詰めている部屋へと向かった。




 シエンを捜しているうちに何時の間にか外へと出てしまった蒼は、ついでだから少し冒険しようかと思ってしまった。
 「ソウ様、どちらに?」
 「ん?ちょっとぐるっと」
 「お供致します」
 「いーよ、仕事中」
 「しかし、皇太子妃を御一人にすることは出来ません」
 「あー、そっか」
自分でも、シエンと結婚したという自覚はあるものの、時折自分が皇太子妃という立場を忘れてしまう。いや、立場は分かってい
るつもりでも、自分が守られなければならない立場だということがピンと来なかった。
 か弱い女の子だというのならまだしも、自分は少しは剣も扱えるし、逃げ足も速い。そんなに簡単に連れ去られることはないと思
うのに、皇太子妃という立場は言葉で言うよりも遥かに重いようだ。
 「だいじょーぶ!」
 しかし、ここはバリハンの領土内。それに、シエンも兵士達も目の前の建物の中にいるのだ。少しだけ国境の壁を見て歩くくらい
どう考えても平気のはずだと思う。
 「ホントに、直ぐそこ」
 明日向かう砂漠を見、乾いた風を感じたら直ぐに戻るつもりだった。
 「姿見えるトコいるから」
自分の思いつきのために、職務遂行中の兵士の邪魔はしたくない。蒼は何度も大丈夫、平気と口にして、ようやく国境の警備
所の敷地外へと足を踏み出した。

 月は、日本にいた時よりも大きく、明るく感じる。
砂の上に伸びた影を一瞬だけ振り返って笑みを浮かべると、蒼は砂漠へと視線を向けた。
 『どの辺にいるんだろ・・・・・』
 国境にいるということだが、まさか警備所がこんなに近くにある場所にいるはずがないだろう。シエンも2、3日は捜し歩かなければ
ならないかもしれないと言っていた。
(直ぐには見付からないだろうなあ)
 『・・・・・れ?』
 ぼんやりと前方を見ていた視界の中を、何かが横切った・・・・・気がする。
(何?)
こんな所に野生の動物がいるのか、それとも単に目の錯覚か?
 『・・・・・』
(シエンに知らせた方がいい・・・・・かな)
 それでも、本当に何も無かったとしたら、気を張り詰めているだろうシエンに申し訳ない。少しだけ自分で確かめてみようと心の中
で言い訳をしながら、蒼は影が横切った砂山の方角へと足を踏み出していた。