蒼の光 外伝2
蒼の運命
9
※ここでの『』の言葉は日本語です
国境の警備所の左右には、高い石塀が続いている。
もちろん、永遠に続いているというわけではなく、ある程度の距離までらしいが、それでも各国との国境はこの塀で区切られている
といっても良かった。
塀の向こうは当然砂漠と僅かな緑だけで、夜移動するのはそれこそ命取りだろう。それなのにその砂漠に影が見えたこと自体不
思議なことだ。
動物なのか、それとも人なのか。砂漠をよく知っているわけではない蒼は、そこに何が生きているかなど分からないし、もしかしたら
危ない生き物かもしれないが、逃げ足には自信があるし、見える場所には門番の兵士も立っているので、蒼は思い切って足を踏
み出していた。
(・・・・・逃げてる?)
隠れるものもない砂漠。蒼が目にした影は明らかに人影のようで、なぜか蒼から逃げるように動いている。
「おい!」
当然のように返答はない。
「おいってば!」
国境ということで、バリハンの言葉が分からない他国民の可能性はあるものの、声を掛けられても止まらないという理由にはなら
ない。
それに、その人影はどうも小さくて、もしかしたら子供か、あるいは女の人かもしれないと思った。
(・・・・・あっ、盗賊に襲われて逃げてきたっ?)
だから混乱し、蒼の言葉も一切聞こえずに逃げようとしているのか。
そう考えると余計に放っておけなくて、蒼は更に足を速めて声を掛けた。
「ちょっと!俺っ、あやしくない!」
「・・・・・」
「だから止まってって!」
気がつけば、警備所から少し離れてしまったようで、門番が焦ったように大声で蒼の名を呼ぶ。
「ソウ様!危ないですっ!お戻り下さい!」
「ご、ごめんっ、もうちょっと!」
「ソ・・・・・ウ?ソウって・・・・・え?もしかして・・・・・」
その時、逃げていた影が止まり、驚いたような声が蒼の名を呼んだ。その声は女ではなかったものの、まだ少年と言っていいような
高めの男の声だった。
蒼の名前は、この世界では珍しい響きらしい。
それと同時に、既にバリハンの皇太子妃で《強星》という付加価値もついて、自身が考えているよりも遥かに広くその名は知れ渡っ
ているようだった。
目の前の少年らしき人物も蒼の名前を知っていたのか、逃げるというよりは確かめるようにこちらを窺っている様子だ。
蒼は自分が怪しくないことを示す為に両手を上げた。
「俺、何も持ってない。だいじょぶ、安全」
「・・・・・バリハンの、皇太子妃?」
「うん、まあ、そう」
「・・・・・男?」
「そーだよ、俺、男・・・・・あ」
(バラしても良かったんだっけ?)
バリハンの皇太子妃が男だと、本人が堂々とバラしても良かったのだろうかと一瞬思ったものの、言ってしまった言葉は今更取り
消せないと思いなおし、蒼は一歩一歩人影に近付きながら言った。
「えーっと、俺、この国の人間だから、あやしーないよ。とーぞくから逃げてきた?大丈夫?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(は、反応ないのって、どう考えればいいんだろ)
やはり、怪しくないと言っている蒼のことを怪しんでいるのだろうか?そうなると、どう証明すればいいのだろうか。
皇太子妃にはとても見えない格好に、それを証明するものも何も持っていない蒼は、相手を安心させるための言葉や行動を色々
考える。
このままでは、もしかしたら夜が明けるのではないか・・・・・そんな思いさえした時、
「エリック、何をしている」
「・・・・・っ!」
全く気配に気付かないまま、蒼はいきなり聞こえた響きの良い声にビクッと肩を揺らした。
(い、何時の間に?)
目の前の人影にだけ注意していたせいだろうが、それでも見晴らしの良いこの場所で新しく現れた相手に全く気付かなかったと
いうのは情けないかもしれない。
それでも、名前を呼んだ所をみると2人は知り合いらしい。蒼はソリューに跨った、今度は大柄な人影に視線を向けて言った。
「俺、あやしーない。こんな夜、危ないぞ?あそこ行こう?」
警備所を指差しながら言えば、新しく現れた人物がじっとこちらに視線を向けていることが分かった。小柄な人影と同様、頭から
すっぽりとフードのようなものを被っているので、僅かに覗く目元と前髪しか見えない。
(・・・・・なんだろ、あの色・・・・・)
月明かりに照らされた辺りは、明るいというものの昼間とは当然違う。それでもソリューに乗った相手の髪がキラキラと光っている
ように見えてしまい、蒼は思わず見惚れてしまった。
シエンも綺麗な金髪だが、目の前の男もそれに近い。もしかしたらバリハンの民なのだろうか。
「ヒュー、こいつ、バリハンの皇太子妃だっ」
その間に、小柄な人影が急き込んだように言うのが聞こえた。
「皇太子妃?・・・・・《強星》か?」
「・・・・・っ」
(俺のこと、知ってる?)
皇太子妃である蒼が、《強星》と呼ばれていることは知っているようだ。しかし、それはバリハンの民以外にも周知されていることな
ので、それでバリハンの民だという決定事項にはならない。
「なんだか、全然そう見えないけど」
「悪かったな!」
自分がごく平凡な容姿だと思っている蒼は、2人の声の中に疑念の響きを感じ取って思わず言い返した。
(そうは見えなくっても、俺はシエンのき、妃なんだよ!)
口を尖らせてムッと眉を顰めた蒼に、笑いを含んだ男の声がさらに届く。
「まさか、こんな所でそんな大物に会うとはな」
「どうする?」
「?」
「1人でいるとは思えない。・・・・・やはり、バリハンが動き出したという情報は嘘ではなかったか」
「?」
交わされる会話の意味が分からないものの、それでも、蒼はこんな時間こんな場所にいる不自然な相手を見逃すことは出来な
かった。
もしかしたら、何らかの盗賊に関する情報を持っている可能性だってある。
「まさか、とーぞくじゃないだろうし」
独り言のつもりだったが、静寂の中に意外と響いた声は向こうにも伝わったらしい。
「さあ、どうだろうな」
何に対しての言葉かと聞き返す前に、ソリューに乗った人物は小柄な人影に手を伸ばし、その腕の力だけで身体を引き上げた。
「じゃあな」
「えっ?ちょ、ちょっと!」
音もなく走り去っていくソリュー。
その砂煙が治まる頃には既に影も形もなくなって、蒼は今の出来事が自分の夢だったのだろうかと思ってしまう。それでも、耳に聞
こえてきた言葉の、初めて聞く名前はちゃんと覚えていた。
「エリックと・・・・・ヒュー?」
セルジュとの話を終えたシエンは兵士達のもとへと向かおうとしたが、その前に蒼の様子を見ようと足の向きを変えた。
二日間、ほとんど休憩もなくこの国境を目指してきたので、蒼の身体には疲れが溜まっているはずだ。出来ればここで自分達が討
伐を終えて帰ってくるのを待って欲しいと思うものの、そんなことを承知してくれる蒼ではない。
それならば今の身体の状態をきちんと把握し、出来るだけ蒼に負担のないような日程を組もうと考えた。
「ソウ?」
自分達に宛がわれた部屋に蒼の姿はまだ無かった。
湯浴みの好きな蒼ならばまだ浸かっているのかもしれないなと微笑ましい気持ちになったものの、もしかしたらそのまま中で眠ってい
るかもしれないと心配になり、シエンは湯殿へと急ぐ。
そして、そこにも蒼の姿が無かった時、シエンは急激な不安を感じた。
「・・・・・っ」
ここが王宮内ならばこれほど不安にはならなかっただろうが、警備所の向こう側は直ぐに砂漠で、バリハンの領土外になってしまう。
何かあっても直ぐに動けなくなる可能性もあり、シエンは早く蒼の顔を見て安心したかった。
「王子っ?」
外に飛び出してきたシエンの姿に門番が驚いたように声を掛けてくる。
「ソウは出てきていないかっ?」
「ソウ様でしたらあちらに・・・・・王子っ」
「ソウ!」
シエンの危惧通り、何時の間にか蒼は建物の外、国境外へと足を踏み出していたらしい。門番が指し示した方へと眼差しを向
ければ、少し離れた砂の上に立つ蒼の姿があった。
「ソウ!」
「・・・・・っ」
突然夜空に響いた声に驚いたものの、よく知るその声に蒼は直ぐに振り返る。
「シエンッ・・・・・むぅっ」
その途端身体を抱きしめられ、蒼は強く胸元へと顔を押し付けられてしまった。
「勝手に1人で行動して・・・・・っ」
「シ、シエン」
「・・・・・心配をさせないで下さい」
「ご、ごめん」
自分の身体を抱きしめる強い腕の力と、硬い声を聞くだけで、シエンがどんなに自分のことを心配してくれたのかがよく分かる。
蒼としては僅かな時間というつもりでも、今の状況の中ではあまりにも不用意な行動だったかもしれない。
(俺・・・・・馬鹿っ)
無理を言ってついてきたのに、余計な心配を掛けさせてどうするのだと自分自身を叱咤した。
「ごめん、ごめんな、シエン」
シエンの背中に手を回して何度も謝ると、やがて頭上から小さな溜め息が聞こえて、そっと身体が離された。
「どうして外に出たんですか?」
「シエン捜してて・・・・・ちょっとだけ、外見たくなって・・・・・」
「私がいけなかったんですね・・・・・でも、夜の砂漠なんて見るものもないでしょう?」
「・・・・・」
(さっきのこと、言った方がいいかな)
あまりにもあっという間の出来事で、もしかしたら夢かもしれないとさえ思うが、今は些細なことでも情報として伝えていた方がい
いことは分かっている。
ただ、2人の容姿は全く分からず、声と名前だけということが役に立つだろうか?
(あ・・・・・髪は、キラキラしてたっけ)
フードの下から少しだけ覗いた、月明かりに輝いていた髪。しかし、それもはっきりとした色は分からない。
「ソウ?」
「シエン、俺」
「どうしました?」
「・・・・・」
シエンは蒼が何か言おうとしていることに気がついたらしい。離れている間の、ほんの僅かな時間で報告することがあるというのは、
この砂漠に出てきてからだということは予想がついたのだろう。
一体何をと早く知りたがっているだろうに、シエンは蒼が自分から言葉を切り出すのをじっと待ってくれている。その優しさに、蒼はこ
んな時だというのにどうしても言いたくなった。
「俺、シエン好き」
「ソウ」
「大好き」
すると、シエンは嬉しそうに顔を綻ばせ、私もですと言葉を返してくれる。自分に無条件に愛情を注いでくれるシエンに、秘密にし
ておくことなど何もない。もしも、自分の心配のし過ぎで、あの2人はただの旅人だったとしても、シエンならば笑って許してくれるだ
ろう。
「・・・・・さっき、ここに人がいたんだ。キラキラ光る髪の、おっきい男と、小さい男」
この言葉の応酬で気持ちが落ち着いた蒼は、ようやく先ほど自分が見た幻のような2人のことを口にした。
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