あやかし奇談




第一章 
物の怪の花嫁御寮














 天狗に、鬼に、夜叉。
耳に聞こえる言葉は分かるものの、巴は全く今の状況が理解出来なかった。
(お、俺、立ったまま寝てるのか・・・・・?)
 ペシッと、巴は自分の頬を叩く。早く目が覚めて欲しいと、何度もペシペシと叩き続けた。
 「おい、何をしているんだ?」
そんな巴を呆れたように見ていた赤い瞳と髪の男が、ゆっくりと近付いてきて手を掴んでくる。大きな手に、長い爪の手を見るだ
けで怖かった。
 着ているものも、普通の服ではない。
腰から上は着物のような形なのに下は袴のようだ。足は靴ではなく草鞋のようなものを履き、どう見ても現代人には見えなかっ
た。
 胸元をだらしなく緩め、口元に楽しそうな笑みを浮かべているその姿は、怖いというよりは遊び慣れた男のようだ。
(い、いや、人間じゃないし!)
 「ん?」
目の前の、夢に出てくる男を現実の男として見ている自分の考えを、頭をプルプルと振って消そうとする。そんな巴の混乱を楽
しむように、男は自分の胸元ぐらいの身長で、身体の大きさも半分くらいの巴の身体を抱きしめた。
 「甘い匂いだ・・・・・美味そう」
 「は、はな、放せよっ」
 「可愛いねえ、虚勢を張っている」
クスクス笑う声が直ぐ耳元で聞こえ、巴がハッと顔を上げると、直ぐ目の前に銀髪に蒼い瞳の男がいた。



 「うわあ!!」
 「そんなに怖がらなくてもいいよ。私達は君を大事に愛するし」
 「なっ、何、言ってるんだよ!」
 赤い髪の男に身体を抱きしめられている巴は後ろに後ずさることも出来ず、どんどん近付いてくる男に言葉で抵抗するしか出
来なかった。
 「お、鬼なんて、嘘だろっ!」
 「どうして?」
巴の言葉を面白がるように聞き返してくる男は、黒いシャツに黒いジーパンという、一番普通な格好をしている。どう見ても、い
や、容姿は確かに変わっているが、これが鬼などとはどうしても思えない。
 「つ、角なんかないしっ、虎柄のパンツじゃないし!」
 「ふっ、ははっ!面白いことを言うな、巴は」
 どうやら巴のその言葉が笑いのツボに嵌まったらしく、銀髪の男は腰を屈めてまで笑い出した。
(な、なに、こいつ・・・・・)
赤い髪の男に感じるような怖さは無いものの、得体の知れない不気味さがある。あたりが柔らかいだけに、ドンドン自分の中に
入り込まれそうな感じがした。
 「はははっ」
 「益荒雄、お前はこの神聖な出会いを茶化すつもりか」
 「・・・・・っ」
(で、でたっ)



 一見、日本人と見間違えるような黒髪の男は、瞳は輝く金色だ。闇夜に潜む猛獣のような気配に、自然と巴の身体は震
えてしまった。
背中まで届く黒髪に、着流しの和装姿の男。一番目に馴染む容貌だが、輝く金の瞳が異質だった。
 「巴」
 そんな巴の怯えも分かっているだろうに、男はまだ笑い続ける銀髪の男の身体を押し退けると、赤い髪の男に拘束されたまま
の巴の顔の位置まで身を屈めて言った。
 「お前がどのように思おうが、既にこれは定められたことだ。我にしても、お前を天狗と鬼とで分け合いたくはないが・・・・・仕方
あるまい」
 「さ、定められたって、ど、どういうことだよっ」
 「・・・・・我の番いは口が悪い」
 「だ、だからっ、番いって何っ?」
 「百年に一度、物の怪の者の住む世界と、人間が住む世界を塞ぐ扉の鍵が朽ちる。何度かは、我らのように力のある物の怪
の力で鍵を修復することが出来るが、何時しか鍵自体の力も消えてしまう。その時、人間の中からその鍵になるべき者が選ばれ、
選ばれた物の怪の花嫁となるのだ」
 「花嫁って・・・・・3人の?」
 「我らとしても、出来ればお前を自分だけの花嫁としたいが、今世での力は伯仲しているがゆえ、此度はこのような変則な婚
礼となってしまった。しかし、懸念することは無い。我らは全てでお前を愛し、慈しむ」
 「・・・・・懸念って、そんな事心配するっていうより・・・・・」
(花嫁だってこと自体が問題なんだって!)



 目の前にいる、明らかに人間とは見えない男達。
その3人と自分が、二つの世界を隔てる扉の鍵のために結婚するなんてありえない。
万が一、巴が女だったとしたら、変わった容姿ながら、それぞれ整ったといってもいい容姿の男達に求婚されれば気持ちがぐら
つくかもしれないが、頼りない外見でも自分は男で、とてもこの話を受け入れることなんて出来なかった。
(あ・・・・・そっか、これって夢だったんだ)
 きっと、今自分は、自宅のベッドの上でこの変な夢を見ているに違いない。
夢だったら、怖いとも思わなくてもいいし、反対に、凄い力で反撃出来るのではないだろうか?
(早く目が覚めないと!)
 巴は思い切って、今だ自分を抱きしめている赤い髪の男の足を踵で思い切り踏んだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・あれ?」
 「どうした」
 「痛く、ないの?」
 「痛みは感じるが、それだけだ。可愛い花嫁のむずかりは愛おしく思うだけだな」
 「ひゃあ!」
そう言いながら、男は後ろから巴の耳を噛んできた。どちらかといえば愛撫に近いそれは、甘噛みし、舐めてくる。
 「お前だけずるいな、慧」
 ようやく笑いの発作から立ち直ったらしい銀髪の男・・・・・黒髪の男から、益荒雄と呼ばれた男は、正面から巴にキスを仕掛
けてきた。
 「ふむぅっ」
容赦なく口の中に入り込んでくる長い肉厚の舌。とっさのことに抵抗することも出来ない巴は、口腔の中を我が物顔に動き回
る舌を噛むことも出来なかった。
(こ、このキスって、夢の中と・・・・・同じ?)
 貪るような赤い髪の男のキスとも、荒々しい黒髪の男のキスとも違う、ねっとりとした慣れたキス。
抵抗出来ない巴は何時しか足から力が抜けてしまい、そのままぐったりと背中にある逞しい胸に寄りかかってしまっていた。






 「お前達は・・・・・」
 呆れたように言う八玖叉に、散々柔らかな耳を舐めしゃぶった慧が顔を上げて言った。
 「お前だって飢えてるだろうに」
 「・・・・・」
 「こいつが生まれた時からずっと、十五年も待っていたんだ。こんなに甘い匂いの身体とはついこの間まで知らなかったが、一度
味わえば他の人間なんか食えねえ」
門番としての役割を持つこの三匹は、時折人間界にも下りて女や男を食ってきた。
もちろんその肉体を喰らうわけではなく、生気を死なない程度に吸うのだが、そのついでというように肉体も思う様貪った。
 自分達の世界にいるあやかしの女達とは違い、柔らかで華奢な身体はそれなりに美味しいと思ったが、鍵である巴が十五の
年を迎え、手を出すことが出来るようになると、まだ子供とは思いながら、その夢を操って直ぐに味見をしてみた。

 その身体の、甘美なこと。

 慧も、益荒雄も、八玖叉も。
生の短い人間よりも自分達の方が価値ある存在だと自負しており、鍵の役割を持つ人間など、交代であしらっていればいい
と思っていたくらいだったが、これほど強烈に心惹かれる存在だとは思わなかった。

 次に考えたのは、この存在を自分以外の男も所有出来るということ。
初めてといってもいいくらいに心惹かれたこの人間を、欠片も渡したいとは思わず、一度男達は真剣に力をぶつけあった。
 属性が違うので明確な力の差というものは測れなかったが、それでもそれぞれがほぼ同じ様な力を持つ者だと分かった時、男
達はこの人間を共有することを覚悟したのだ。
もちろん、自分達以外の存在は認めないし、この人間に触れることさえ許すつもりはないが。
 「どうする?このまま抱くか?」
 「一度、私達の精を身体に注ぎ込んだら、私達も人間界に簡単に行けるしね」
 「もう少し、時間をやったらどうだ」
 今にも巴の身体を組み敷こうとする勢いの慧と益荒雄に対し、少し長く生きている八玖叉が冷静に口を挟んできた。
 「なんだ、お前は早くこの甘さを感じたくないのか?」
 「そんなことはない」
 「それなら・・・・・」
 「身体を手に入れたとしても、心が手に入らなければ鍵が朽ちるのは早い。まだ赤子のようなこの者に、我らの花嫁となる覚
悟を強いるのには、もう少し時間がいるのではないか?」
あまりにも人間・・・・・巴側に立つ八玖叉に、慧は眉を顰める。
(身体を手にすれば、後はどうとでもなるものを・・・・・)
 長年のしきたりから、鍵の伴侶となる者は物の怪の中でも突出した力を持つ者で、今世に限っては自分の他にもいた。
 が、どの世でも抜け駆けをしようとする輩はいる。
力は大きくないくせに、鍵を手に入れようとする者。その者達はどんな手を使ってくるか分からないし、自分達が精を注ぎ込む
前にその者達が巴を抱いてしまったら・・・・・鍵の力は消滅してしまう。
鍵が威力を発揮しなければ、様々な物の怪が人間界へと入り込み、どんな混乱を呼ぶだろうか。
 「結局、俺達が人間を守ってやらないといけないってことか」
 「昔からの理だ、仕方ないね」
 「慧」
 「・・・・・長くは待てないぞ」
 腕に抱く巴の顔を見下ろしながら、慧は決定事項のように言った。
 「こいつはまだ幼い。言葉でどうとでも出来るかもしれないが、それは俺達に限ったことではないしな。これだけ、長い間待った
んだ、今更他の奴にくれてやるつもりはねえ」
 「私も同じだ」
 「我も、そう思っている」
 「・・・・・」
慧はそっと巴を抱き上げる。小さくて柔らかく、華奢な身体は、少しでも力を入れると壊れてしまいそうな気がして、慧は何時し
か意識せずに慎重な手付きになっていた。