あやかし奇談




第一章 
物の怪の花嫁御寮



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 その場の雰囲気が少しだけ和らいだ気がする。
もちろん、慧と弥炬の険悪な雰囲気は完全に消えたわけではなかったし、益荒雄の眉間の皺もまだ残ったままだったが、それ
でも先ほどまでの一触即発な空気はなくなったようだと、巴はホッと息をついた。
 「巴」
 そんな巴に、益荒雄が声を掛けてきた。
まだ何か叱られてしまうのだろうかと身構えた巴だったが、益荒雄は何時の間にか眉間の皺を消し、反対に何時ものにやけた
笑みを頬に貼り付けて、オドオドと視線を向ける巴に言った。
 「約束、忘れてはいないね?」
 「や、約束?」
 「そう」
 何だろうと、思わずそう考えてしまったのが表情から分かったのか、益荒雄は腰を屈め、巴の顔を覗き込むような姿勢になって
言った。
 「可愛いお前の言うことを聞いてやったら、お前も私の言うことを聞いてくれるのかな?」
 「・・・・・あっ」
 その言葉に、巴は直ぐに少し前のことを思い出した。
いったい何が起こるのかは分からないまま、それでも慧と弥炬の諍いを止めて欲しくて益荒雄に頼んだ時、彼はそんな条件をつ
けてきた。一瞬、迷ったものの、酷いことはしないという言葉を信じ、また、こんな切羽詰った状況での言葉は本気にしないかも
しれないという僅かな思いがあったのだが、どうやら益荒雄はしっかりと約束を守らせる気らしい。
 「あ、あの・・・・・」
 「おい、何のことだ?」
 問題の諍いの真っ最中で、その場にはいなかった慧が、仲間外れにするなというように割り込んでくる。そんな彼に向かい、益
荒雄は呆れたように言った。
 「喧嘩っ早いお前のために、巴が約束してくれたんだよ」
 「約束?」
 「お前達の諍いを止める条件として、私の言うことを聞いてくれるって、ね」
 「巴っ?」
 怒ったような赤い眼差しに睨まれてしまった巴は、だってと口の中で小さく言い訳をする。
(大体、そっちがいきなり喧嘩しようとするから・・・・・)
しかし、多分そんな自分の言い分は通らないように思えた。



(勝手に巴と約束しただとっ?)
 何が元凶なのかは差し置いて、慧は面白くないと巴を睨んだ。大体、自分達の共有する花嫁でありながら、たった1人と約
束をするなどというのはどういう了見か。
甚だ納得出来ない話ではあるが、夫という共通の立場である自分が納得出来ないことを、花嫁である巴が勝手に了承するこ
とは絶対に許せない。
 「益荒雄、何をさせるつもりだ」
 「ん〜、どうしようか」
 「益荒雄っ」
 自分がイラついていることが分かっているだろうに、わざと焦らすように益荒雄は笑った。
 「たいしたことはさせないよ」
 「だからっ!」
はっきりさせろと襟元に手を掛けようとした慧の手を軽く振り払い、益荒雄は今度こそ楽しげに言う。
 「蜜を、飲ませてもらおうと思ってる」
 「み、つ?」
 「そう。どうする?お前も混じるかい?」
 からかうような益荒雄の言葉に、即座に断るとは言えなかった。
益荒雄主導の話など、笑いながら受け入れるなど腹立たしくて仕方が無いものの、巴の身体に自分の知らぬ間に手を出され
るのも嫌だ。
益荒雄が言う蜜というのは、巴が感じて零す精のことだ。あれ程に甘い蜜を益荒雄だけが味わうのは悔しいし、第一、自分と
狐の諍いを止めたのは益荒雄ではない。
 「当然だ、俺は巴の夫だからな」
 言い切った慧は、手を伸ばして強引に巴の腕を掴んだ。
 「勝手なことをした罰は受けてもらうぞ、巴」
大体、狐などに隙を見せた巴が悪い。結局は慧の思考はそこに行き着き、それならば早くと心が急いた。



 益荒雄と慧の言い合いに、八玖叉は呆れた思いを抱くだけだ。
切羽詰った状況の中で巴に約束をさせる益荒雄も無茶だと思ったし、巴にそんな無茶な約束をさせる原因を作った慧も愚か
だと思う。
 「・・・・・ガキ」
 そんな八玖叉の耳に、苦々しく響く声が聞こえた。
 「止めぬのか?」
 「止めたら、今度はお前達総がかりで掛かってくるんだろう?負けるとは思わないが、こっちも無傷じゃいられないし、その隙に
巴の甘い気に気付いた馬鹿な妖怪が近付いてくるとも限らないしな」
 「我らは良いというのか」
 「単に、ましってだけだ。巴が鍵だという事実は消しようが無いし、お前達との誓約が優先されていることも確かだしな。要は、
最終的に巴をこの手に出来ればいい」
 「・・・・・」
随分と物分りのいい物言いだと思ったが、考えれば遥か昔から人間界で暮らしてきたこの狐にとって、ようやく巡り合えたと言っ
ていた相手を手に入れるためには、多少の面白くないことも許容する・・・・・そんな気持ちになっているのだろうか。
(他の者のことは言えないが・・・・・)
 もちろん、同じ妖怪の雌でも、人間の女でも、こうして人型を保てる力がある自分達は抱くことが出来るが、普通の妖怪以
上に自分達には感情があるし、自分達の存在ごと認めて、抱きしめてくれる存在など人間にはいなかった。
 八玖叉にとっても、巴はようやく手に入れることが出来る伴侶なのだ。出来れば慧や益荒雄と分け合いたくは無かったくらい
だし、いきなり現れた狐には言うまでもない。
 「巴はやらん」
 「・・・・・」
 「あれは、我らのものだ」
 「・・・・・本人がどう思っているのかは分からないがな」
 そう言うと、狐はヒラヒラと片手を振り、慧に腕を取られ、益荒雄に身体を拘束されそうになっている巴の傍へつかつかと歩み
寄った。



 夜叉に言った言葉は嘘ではない。
どんなにその身体が天狗や鬼に汚されたとしても、あの甘い魂までが穢れることは無いだろう。それでも、面白くないという気持
ちは確かにあるので、少しだけ味見をという思いで近付いた。
 「悪いな、巴、嫌だろうけど、もう少しガマン、な?」
 「す、須磨っ」
 「違うだろう?」
 本当の名前は教えたというように眼差しで促せば、少しして弥炬、と、小さな声が自分の名を呼んだ。やはり、本当の名前を
呼んでもらうのはいいなと、弥炬の顔には自然な笑みが浮かぶ。
 「うん」
 「止、止めてくれないのかよ?」
 「止めても無駄なようだし」
 ここで止めようとすれば、今度は巴の両隣を陣取っている男達が二匹掛かりで飛び掛ってくるだろう。
 「明日、学校に来たら消毒してやるよ」
 「あ、明日って、学校って・・・・・?」
 「ん?だって、俺はお前の同級生だろう?」
 「同級生って、でも・・・・・」
正体がバレたのならば、もう二度と同じ学校に行くこともないのだが、弥炬はこのまま巴の同級生という立場を捨てるつもりは無
かった。少なくとも、今の巴が明らかにこの三匹よりも自分に好意を持ってくれているのは、今の関係からだと思えるからだ。
 「それに、俺がいればあの三匹の抑止にもなると思うぞ」
 「・・・・・」
 「また、明日な」
 「・・・・・!」
 そう言いながら、弥炬は巴に口付けた。
その瞬間に引き離され、巴の身体の前に立ち塞がった慧が射殺しそうな眼差しを向けてくる。
(本当に、ガキ)
弥炬は巴に触れた唇にそっと指を触れて、目を見開いている巴に言った。
 「じゃあな、巴」



 「じゃあな、巴」

 そう言って、本当に背中を向けて長い鳥居を引き返していく弥炬の背中を、巴は半泣きになりながら見送るしかなかった。
本当ならあの腕にしがみ付いてこのまま家に連れ帰って欲しいくらいだが、今彼の名前を呼んでしまえば事態は最悪の方向へ
向かいそうで、呼び止めることは出来なかった。
 「さてと」
 「巴」
 「!」
 慧と益荒雄が左右から声を掛けてくる。
巴は少し離れた場所にいる八玖叉に眼差しを向けた。
 「八玖叉さんっ」
この2人よりも理性的な彼ならば、何とかこの場を収めてくれるのではないだろうかと思ったのだが、巴がその名を呼んでしまった
のはまたまた逆効果だったらしい。
 「どうしてそこで八玖叉を呼ぶ?」
 苛立ちを隠さないまま、慧が巴の顎を捉えた。
赤い瞳で真っ直ぐに見つめられ、そのまま反論を許さないかのように唇を重ねてくる。とっさに唇を噛み締めたはずだったが、直ぐ
にぬるりと口腔の中に舌が入ってきた。
(こ、こわ・・・・・っ)
 まるで、貪るように口腔の中を舌で愛撫される。いや、下手をすれば自分の舌など引き抜かれ、喉の奥の奥まで犯されるよう
な感覚に襲われてしまった。
 「私を忘れていない?」
 「・・・・・っ」
 慧の口付けに我を忘れそうになった巴の耳元で、今度は笑みを含んだ声が聞こえてきた。振り向こうにも、慧がしっかりと顎を
掴んで放さず、口付けも解いてはくれない。
 止めてくれという言葉を言えないまま、後ろから回ってきた手は器用に制服のボタンを外し始めた。
 「んんっ!」
さすがに身体を揺らして逃げようとした巴を、益荒雄は片手で簡単に拘束をする。
 「・・・・・っ」
 鋭い爪が、つっと剥き出しの胸を撫でた。
(やっ、嫌だ・・・・・!)
 「益荒雄」
 「・・・・・」
 「益荒雄」
 「煩いよ、八玖叉。何もする気がないなら黙っててくれ」
 「・・・・・」
八玖叉なら助けてくれるかもしれない・・・・・縋るような思いで涙で濡れた眼差しを必死で向けると、少しだけ困ったような表情
になった八玖叉がゆっくり近付いてくるのが見えた。
 「んんっ」
(八玖叉さんっ)
 慧に口腔の中を犯されたまま、巴の視線は八玖叉を見る。
それを面白くないと思っているように、後ろから自分の平らな胸を悪戯する益荒雄の手の動きがいっそう激しくなってきた。感じ
るはずの無い男である自分の乳首が、刺激に立ち上がるのが分かる。
 触れられて、生理的に感じただけ・・・・・そう思いたいのに、背中から下半身に走る刺激に、もしかしたら他の意味もつけられ
るかもしれない。
考えたくなくて首を横に振った巴は、目の前まで来た八玖叉を一心に見つめるが、
 「・・・・・すまない、巴。我もお前に触れたいという思いを止められぬ」
 「・・・・・」
苦しげに言う八玖叉の言葉に、巴は諦めて・・・・・ああと目を閉じてしまった。