あやかし奇談
第一章 物の怪の花嫁御寮
15
翌日、色んな意味で重い足取りで学校へと向かった巴は、教室の扉を開けた途端固まってしまった。
「よお、巴、おはよう」
「・・・・・須磨」
「・・・・・」
思わずその名前で呼べば、須磨・・・・・弥炬は目を細めて笑った。
「どう、して?」
「こっち、来て」
弥炬はそのまま巴の腕を掴み、廊下から非常階段へと向かった。
人に聞かれていい話ではないと巴もようやく思い当たったものの、このままこの男と一緒にいてもいいのかという不安はあり、手を
ギュウッと握りしめた。
「驚いたか?」
誰もいない階段の踊り場で振り向いた弥炬にそう言われ、巴は誤魔化すことなく頷いてしまう。
「・・・・・もう、来ないって思ってた」
どういう手を使って、人間ではない妖怪の弥炬がこの学校の生徒になれたのかは分からないが、普通誰か1人にでも知られた
らそこを立ち去るのが普通ではないかと漠然と考えていたのだ。
それが、登校した途端にこの顔が視界の中に飛び込んできて・・・・・これで驚かない方がおかしいのではないだろうか。
(そ、それとも、俺の考え方が間違ってるわけ?)
弥炬は上目遣いの巴の視線を真っ直ぐに受け止めた。
「不思議なことに、その選択肢は一度も考えなかった」
「え・・・・・?」
「今の世の中、俺が人間じゃないって言っても冗談で片付けられるし、なにより、まだ巴の傍にいたかったんだ」
「須磨・・・・・」
「昨日は、たっぷり可愛がられたみたいだな。俺も混ざりたかった」
「ばっ、馬鹿言うな!」
目の前の男の言葉に少しでも感動してしまった自分こそが馬鹿なような気がして、巴は顔を真っ赤にしながら弥炬に背を向
けて歩き始めた。
(真剣に話して損した!)
「可愛い奴」
自分は人間に対して本質的に冷たいはずなのだが、巴に対してはどうしても甘い対応になってしまう。
本人はそのことが分からないし、弥炬もあえて言うつもりは無いとも思っていたが、今見た巴のむせるような甘い気は毒だなと感
じた。
(いくら可愛がるったって、限度を考えろ、あいつらは)
自分が立ち去った後、巴があの3匹の妖怪の慰み者にされるということは当然予想が付いていたが、あれでは妖怪の自分だ
けではなく、普通の人間も気付いてしまいかねない。
そうでなくても、妙な連中の気を引き寄せる巴が、あんなふうに愛された気をまとっていたら・・・・・。
「・・・・・まさか、守れって?」
当然、弥炬が今の立場を捨てないだろうと予想したうえで、学校では守れと無言で言っているのだろうか。
「・・・・・」
(妖狐を使う気か)
弥炬はそこまで考えついて一瞬眉を潜めたが、直ぐに気を取り直したように苦笑を零す。あいつらの思惑に乗せられるのは面
白くは無いものの、自分の意志でなら巴を守ることはけして苦ではない。
「いずれ・・・・・この手に抱いてやる」
(あれほどの気を持つ巴を、あいつらに渡すのは業腹だからな)
昼休みも、以前と変わりなく2人で向かい合っていた。
いや、今この時だけではなく、授業中も、中休みも、弥炬の正体を知っている巴は気になって仕方が無かったが、彼は完璧に
学校生活に慣れ親しんでいた。
(あの3人よりも、よっぽど人間らしいよ)
「あ、巴、そのハンバーグくれ」
「だ、駄目!これがメインなんだから!」
伸びてきた箸から必死で弁当箱を隠すと、弥炬は目を細めて苦笑する。
「ケチだな、お前」
「ケチって、須磨の方がズーズーしい・・・・・」
「巴?」
「・・・・・なん、か、不思議。こんな風に普通に話せるの」
「そうか?俺は別に不思議じゃないけどな」
「だって・・・・・」
あのまま、二度と会えないかもしれないとさえ思ったし、もしも、再び会ったとしても、自分がどういう態度をとっていいのか分か
らなかった。
ただ、どちらにせよ、学校では会わないと思った相手にこうして会って、普通に勉強し、弁当を食べていること自体が不思議で
たまらない。
「巴」
妙な感傷に浸っていた巴は、急に改まった弥炬の口調に緊張した。
「な、何?」
「お前、どうするんだ?」
「え?」
「本当にあいつらの花嫁・・・・・鍵になるつもりか?」
新たな現実を突きつけられ、巴は思わず息をのんでしまった。
「百年に一度、物の怪の者の住む世界と、人間が住む世界を塞ぐ扉の鍵が朽ちる。何度かは、我らのように力のある物の
怪の力で鍵を修復することが出来るが、何時しか鍵自体の力も消えてしまう。その時、人間の中からその鍵になるべき者が選
ばれ、選ばれた物の怪の花嫁となるのだ」
どうしてそれが自分なのか、巴はいまだに納得出来ていないし、出来れば間違いであって欲しいと思っている。ただ、あの3人
の言葉や目の前の弥炬の言動から、それは逃れようのない事実なのだとも思い知っていた。
(鍵とか、花嫁とか・・・・・よく分かんないよ)
もしも自分が頷いたとしたら、いったいあの3人はどういう態度をとるだろう。
そもそも、鍵とは何をするのか?
詳しい話を何一つ聞かされず、ただ身体を弄られ続けるというのは苦痛で、巴は持っていた箸を下ろし、深い溜め息をついてし
まった。
「・・・・・分からない」
今時点では、そう言うしか出来ない。嫌だと言っても、自分ではどうしようもないだろう。
「・・・・・巴、お前が本当にあいつらの花嫁になるつもりがないなら、絶対に身体の中に精を受けるなよ?」
「え?」
(せ・・・・・い?)
首を傾げる巴に、それも分からないのかと呆れたように笑いながら、弥炬は手を伸ばして巴の腹をつんと指先で突いた。
「この中に、あいつらの精液を入れるなってこと」
「ばっ?」
「今まで自分が何をされているのか、その意味が分からないってことはないだろう?」
「・・・・・っ」
(で、でも、お、俺、男なんだぞ?)
男女のセックスがどういうものか当然知っているし、多分回数はかなり少ないだろうが巴も自慰はしている。
好きな相手に自分のペニスを入れ、その中で精を吐き出したら妊娠してしまう。だから、自分で責任と取れるようになるまでは
セックスは出来ない・・・・・そんな風に思っていた自分の方が抱かれる立場なんて・・・・・。
「・・・・・あっ」
(あ、あそこ、入れたの、って・・・・・?)
普段、自分でさえ触れたり見たりしない場所。双丘のさらに奥の窄まりに指を入れてきたのは、もしかして弄る目的だけでは
なく、慣らすつもりだったのだろうか?
(お、男は、他に入れるトコ・・・・・)
「どうやら、ようやく危機感が湧いたな?」
「す、須磨、俺・・・・・っ」
「自分が普通の人間のままでいたかったら、絶対に奴らを受け入れるな。大体、鍵なんて人間のお前には本来何の関係も
ないことなんだからな」
弥炬自体人間ではないが、彼は鍵には何の係わり合いも無いらしい。
きっぱりとそう言いきり、再び弁当を口に運び始めた弥炬を見ているうち、巴は全く食欲を無くして、良かったら食べてとそれを差
し出した。
送ってやろうかという弥炬の言葉を断り、巴は重い足取りで帰路につく。
本当はこのまま家に帰りたかったが、鳥居の向こうに行かなければ、また今回のように更に責めがきつくなってしまうだろう。
巴はあ〜あと溜め息をつきながら、長く続く鳥居の先を見つめた。
「来たか、巴」
鳥居の半分まで来た時、男の姿が唐突に現れる。
(・・・・・なんか、良かったかも、八玖叉さんで)
昨日の気が遠くなるような淫らな快感を与えられた身体のことを、八玖叉ならばからかったりはしてこない。3人の中で一番誠
実に見える彼を心のどこかで信頼している巴は、強張ってはいたが笑みを浮かべた。
「こ、こんにちは」
「よくきた」
八玖叉はゆっくりと巴に近付いてきた。
その時改めて気がついたのだが、八玖叉には、いや、あの2人もだが、まるで気配というものを感じさせない。確かに触れると感
触はあるし、低めだが体温も感じる。
しかし、普通の人間が近付いてくるような存在感というものがほとんどないのだ。
(これも、この人達が人間じゃないって証拠、かな)
ぼうっと八玖叉が近付いてくるのを見つめていると、彼の手が巴の腕を掴んだ。
「では、先ず始めに賞味させてもらおう」
「んっ」
重なってくる唇はやはり冷たいものの、それでもちゃんとその存在が分かる。
一度、触れるだけのキスを解き、再び重なってきた時は唇を舐められた。無言の、開くようにとの合図に、巴は一瞬躊躇ったも
のの、諦めて八玖叉の舌を受け入れる。
チュク
絡められ、口腔内を嘗め回され、八玖叉の唾液が注がれて、巴は眉を顰めたまま飲み下した。偉いと褒めるように八玖叉
の手はそっと頬を滑り、腰を抱きしめてくる。
その仕草は他の2人よりも優しくて、巴は胸を押し返すつもりの手を握り締めてしまった。
素直に自分の口付けを受け入れた巴を、八玖叉は嬉しく思っていた。
昨日、少し乱暴にしすぎたかもしれないと思ったのだが、どうやら自分に対してはそれ程怒りを抱いているようには見えない。
(あ奴らのことまでは分からぬがな)
どちらにせよ、今日始めての巴の唇を味わう幸運を十分満喫した八玖叉は、ようやく唇を離すと、まだ濡れている巴の唇を
一舐めして言った。
「さて、そろそろ奥へ行こうか」
「・・・・・」
「このままここにいたとしても、あ奴らが迎えに来るだけだぞ」
「わ、分かりました」
巴の同意に八玖叉は頷き、そのまま身体を抱き上げる。巴が歩けることは分かっていたが、少しでも長い間この甘い身体に
触れることを望んでの行動だった。
「あ、あの、八玖叉さん」
「なんだ?」
「か、鍵の、ことなんです、けど」
「・・・・・」
巴からその話を切り出されると思わなかった八玖叉は、思わず足を止めて巴の顔を凝視してしまった。
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