あやかし奇談
第一章 物の怪の花嫁御寮
17
「どんな答えでも、お前は受け入れられるというのか?」
「え・・・・・」
(そ、それは・・・・・)
今の巴の頭の中を占めているのは《知りたい》という欲求だ。
自分がなぜ《鍵》に選ばれたのか、そうなってしまった自分は今の自分とは変わってしまうのか。分からないことが多すぎで、だか
ら少しでも情報が欲しいと彼らに頼んだのだが、もしもその答えが自分の想像を遥かに超えるほど恐ろしいものだったとしたら、
それをそのまま受け入れられるかどうかは自信が無かった。
「・・・・・」
答えることが出来ず、唇を噛み締めて俯いた巴の顎を掴み、慧は強引に上を向かせて言葉を続ける。
「お前の知りたいことを教えるのは容易い」
「慧さん・・・・・」
「だが、それでお前のその優しい心根が変わってしまうかもしれないと思うと、この俺でも躊躇いがないわけではない」
「そ、そんなに、怖いこと・・・・・ですか?」
好奇心だけでは済まないほどに、今から聞こうとすることは自分にとって悪いものなのか。想像はどんどん勝手に頭の中で膨ら
んでいき、巴の顔は泣きそうに歪んでしまった。
「ど・・・・・して?」
「巴」
「ど、して、俺を選んだんだよ・・・・・」
16年間、普通に生きてきて、これから先も普通の人生を歩んでいくのだろうと漠然と考えていた。それがいきなりばっさりと途
切れてしまうと目の前に突きつけられてしまったのだ。
「も、やだあ・・・・・ぁ」
急に足から力が抜けてしまうのを感じたが、そのまま地面に倒れる痛みを感じる前に、向かい合っていた慧の手がしっかりと自
分の身体を抱きとめてくれたのは分かった。
可哀想だと思う。
本人も言った通り、今まで普通の人間として生きてきた巴が、いきなり人間とあやかしの間をとりもつ鍵になれと言われても、そ
う簡単に頷けることではないだろう。
(それでも、我たちはお前を手放すことは出来ん)
もう、何年も、何十年も、何百年も。自分達の花嫁となるはずの人間の誕生を待っていたのだ。
ボロボロになってしまった鍵の修復を重ね、逃げ出した物の怪達をこの手で始末してきた。全く先の見えない暗闇の中で、ただ
一つの光を待ち望んで、待ちわびて・・・・・ようやく、巴が生まれたのだ。
(生を受けた時から、鍵となる宿命を持った者。過酷な運命を背負っていても、我たちが必ずや守りきってみせると誓った)
巴の伴侶が自分以外に2人もいるというのは忌々しいものの、考えればそれだけ巴を守る力が増えるということでもあり、八
玖叉は巴の悲しみに引きずられそうになってしまう己の気持ちを律した。
「巴」
「ど、して、俺を選んだんだよ・・・・・」
「・・・・・」
(それは、この世の理だ)
選ばれたのではなく、生まれ出でた瞬間から鍵なのだ。
「八玖叉」
黙ったまま慧と巴を見つめていた八玖叉の側に益荒雄が歩み寄ってきた。
「どこまで話した?」
「・・・・・何も」
「全く?」
「我の気持ちを伝えただけだ」
「ああ・・・・・だから巴は不安なままなのか。怖がらせないためかもしれないけど、八玖叉、巴に伝えてやらないのは謹直なお
前らしくも無い」
その言い様が癇に障り、八玖叉は益荒雄を睨みつける。
「お前は、それによって巴が逃げ出しても良いと言うのか?」
「逃がさないよ」
きつい八玖叉の物言いに、益荒雄は平然とした笑みを浮かべたまま答えた。
「益荒雄」
「私はもうあの魂を気に入った。巴がどんなに嫌がろうとも、恐怖を感じようとも、必ず巴を花嫁にする」
「・・・・・」
「お前もだろう?八玖叉」
答えるまでもない。
巴が可哀想だと思っていても、八玖叉も巴を絶対に離すことは無い。
(・・・・・全てを話してやることが、我の巴への誠なのかもしれぬな)
子供みたいに泣くだけでは何も解決しないだろうというのは巴も分かっている。それでも、絶対に逆らえないというような力が自
分の人生に掛かっているような気がして、巴は後ろから抱きしめている慧に向き直ると、真正面から自分を抱きしめる胸を叩
いて責めた。
「やだっ、やだっ、や・・・・・だ・・・・・っ」
「巴」
バンバンと叩く慧の胸は、しっかりとした手応えがある。それなのに、彼は人間ではなくあやかしなのだ。
(もう、わけが分かんないよ!)
「巴」
「・・・・・っ」
そんな巴に背後から声が掛かる。ビクッと大きく肩を揺らした巴に、声の主・・・・・益荒雄は、何時もの軽い口調のまま言葉を
続けた。
「教えてあげるよ、巴の知りたいこと」
「え・・・・・」
「ほら、私の方を向いて」
まだ慧に肩を抱かれたまま、巴は顔だけを後ろに向ける。笑みさえ浮かべているような益荒雄と、その隣で無表情で立ってい
る八玖叉の姿がそこにあった。
「・・・・・ほら、可愛い顔が濡れてしまっている。快感に泣かせるのは楽しいけれど、こうして悲しみで泣かせてしまうのはやはり
嫌だな」
そう言いながら伸びてきた益荒雄の指先が、優しく自分の目元や頬を拭ってくれる。二、三センチもありそうなほど長い爪をし
ているのに、巴の顔を傷付けないようにと繊細に動いている様を呆然と見つめた。
「巴、今から話すことはお前にとっては受け入れ難いものかもしれないけれど、それでも私達はお前から離れない。それだけは
心に留めておいてくれないか?」
そう前置きされてから語られる益荒雄の言葉は、巴にとっては大きな衝撃を伴うものだった。
これまでの鍵は、女が大半だったこと。
最初は巴のように、物の怪の花嫁となることを嘆き悲しんだが、人間以上に閨の技巧が巧みな物の怪に直ぐに身体から篭絡
され、その役割を受け入れたこと。
物の怪の精を体の奥深くに受け入れた瞬間から、その時の流れは夫となる物の怪と同じになり、やがて鍵の役割を終えた時
は自ら真の物の怪になるか、寿命を尽きるかを選択することが出来ること。
「お・・・・・れも、あやかしになる?」
「私達と身体を重ねれば」
「お、俺は男でっ、女の人みたいに精を受け入れるなんて・・・・・っ」
確かに三人には身体に悪戯をされたが、それでも男女のセックスのような行為まではしていない。精液を受け入れて身体が
作り変えられるなど、想像してみても出来ないことだった。
「出来るだろう?巴にも私達を受け入れてくれる場所がある」
「う、受け入れる、場所?」
「そう・・・・・ここ」
「!」
いきなり尻を撫でられ、巴は慌てたように益荒雄を見上げる。
そんな巴の視線に笑いかけながら益荒雄の手は伸びてきて、尻の狭間・・・・・普通は排泄をする時にしか使わない場所を意
味深に撫でてきた。
「!」
自分の腕にしがみ付いている巴のそれにますます力が込められる。
慧にとって全く痛みなど感じないほどの力は気にならなかったが、それよりも巴の尻を勝手に撫でる益荒雄の行動が面白くなく
て眉を顰めた。
(何を勝手なことをしているんだっ?)
話をするならするで、それだけだったらいいものを、その上ちょっかいを掛けてくるというのはどういうことだ。自分達の中では一番
要領の良い益荒雄のすることは一々腹立たしく、衝撃に固まってしまった巴の代わりに慧は益荒雄の手を振り払った。
「巴が怖がる」
「羨ましかった?」
「益荒雄っ!」
「いいだろう?お前はさっきからずっと巴を抱いているじゃないか」
これは抱いているのではなく支えているのだと言い返したかったが、そう言って巴が意識してしまい、離れていくのが嫌だったので
口を引き結ぶ。
そんな慧の様子に、益荒雄はまた嫌な感じで笑った。
「それに、巴には改めてはっきりと伝えなければね?男でも私達を受け入れることは出来ると」
「・・・・・言葉で言え」
「好機は逃がさないんだ」
そう言い、益荒雄の視線は再び巴に向けられる。
「巴がここで私達の精を受け入れると、巴は今のまま時を止めてしまう。それからずっと、寿命が来るまで一緒にいるんだ」
「一緒に・・・・・いるだけ?」
「鍵はこの結界内で、私達といること自体が役割なんだ」
「・・・・・」
「・・・・・人間で無くなってしまうのが怖い?」
巴にとって一番の恐怖はそこだろう。今まで見てきた鍵達も、自分の家族、友人など、愛する者達と生きていく時間の流れが
変わってしまうことを極端に恐れていた。
それでも女達は夫であるあやかしを愛してしまえば心が落ち着いたようだが、巴がそんな女達と同じかどうかなど全く分からな
い。
(俺達から逃げないでくれ、巴)
力で巴を縛り付けたくは無い。
慧は何も言わない巴を抱きしめたまま、柔らかな髪に顔を埋めた。
(人間では無くなってしまう?)
言葉で聞いても、何だかピンとこなかった。自分は今こうして生きていて、悲しみも恐怖もちゃんと感じている。
それが、目の前の彼らの精液を身体の中に受け入れた途端に変わってしまうなんて、そんな非現実的なことが起こりえるものな
のだろうか?
「巴」
「い、嫌だっ」
「巴」
「嫌です!」
一番に頭の中に浮かんだのは、やはり拒絶だ。自分が自分でなくなることを受け入れられるはずが無い。
「俺っ、鍵になんかならない!ずっと人間でいる!」
「無理だ、巴」
「どうしてっ?」
「お前は選ばれてしまった。この世に生を受けた時から、お前は鍵になる運命を背負っていた。それは変えることは出来ぬ」
淡々と言う八玖叉の言葉は、巴の心を強く締め付けてしまう。絶対に逃れられないなど、どうして自分に向かって面と言えるの
だと苛立った。
「それならっ、俺が知らないうちに鍵にしてしまえば良かったのに!!」
わけが分からないうちに、自分の意識を奪ってくれたら良かったのだ。こんなふうにじわじわと、自分の運命を突きつけられる恐
怖を感じないまま人形のようになるように、さっさと魂を奪ってくれたら良かった。
「それだね。術を使ってお前の意識を奪い、そのまま鍵にしてしまっていたら・・・・・今頃、お前はこんなふうに泣き叫ぶことも無
かったかもしれないけれど。でも、巴、私達にはそれが出来なかった」
「ど・・・・・し、て」
「私達三人とも、お前のことを愛してしまったからだ」
「・・・・・っ」
「長く生きているとね、巴、あやかしにも感情が生まれるんだよ」
益荒雄の言葉にどう答えていいのか・・・・・。巴は真っ直ぐに自分を見つめてくる、銀に輝く髪と、蒼い瞳を持つ人間離れした
美貌の男を、ただ見つめ返すことしか出来なかった。
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