あやかし奇談
第一章 物の怪の花嫁御寮
6
昼休み、巴は机の上にうつ伏せになった。
椅子に腰掛けるだけでも身体は疲れていて、本当ならば今日学校も休みたいくらいだったが・・・・・。
「熱も無いし、ズル休みは絶対に許さないからねっ」
朝、休みたいと訴えた巴に熱を計らせ、それが平熱を指していると確認した母は、半分怒りながら巴を家から追い出した。
(母さん、俺の様子が変だってこと・・・・・気付いてくれないのかな・・・・・)
まさか、男に、いや、そもそも人間でない相手に身体を悪戯されたことなど知られたくはなかったが、それでも自分が怠けていると
言われるのは何だか落ち込んでしまう。
(今日も、帰りにあそこに寄らないといけないのかあ)
昨日の今日で、幾らなんでもまた同じ様なことをされるとは思わないが、言い換えれば何も無いという保障はないのだ。
どうしようかと、机に懐きながら巴がグルグルと考えていた時、
「憂えている横顔が美人だな、巴」
いきなり耳元でそう囁かれ、巴は一瞬身体を強張らせた。しかし、その身体の強張りをまるで解してくれるように、大きな手がく
しゃっと頭を撫でてくれる。その感触にほうっと深い溜め息を付いて、巴は首だけを横に向けた。
「変なことを言うなよ、須磨」
「だって、本当にそう思うからさ」
「・・・・・」
「なんだか、疲れたっていうより・・・・・気だるい感じ?どうした、好きな奴でも出来たのか?」
「・・・・・」
巴は口を尖らせた。
(そんな変な間違いをするなよな)
好きな奴なんてとんでもない。手におえない男・・・・・いや、あやかしが、3匹も相手なのだ。
「巴」
自分の言葉に応えない巴に、須磨はしつこく聞いてくる。
ふと、巴は須磨に頼んでみようと思った。いや、言葉は悪いが、須磨の存在を利用しようかと思ったのだ。自分1人ならばどうし
てもあいつらに掴まってしまうが、そこに第三者がいたら・・・・・もしかしたらそのまま手を出されずに通り抜けられるかもしれない。
(キスしなきゃいけないなんて、あいつらが勝手に決めたことなんだし!)
「・・・・・須磨、今日忙しい?」
「ん?どうした」
「・・・・・えっと・・・・・」
「何、俺と一緒にいたいのか?」
笑いながら言う須磨に、少しだけ躊躇いながら巴は頷いた。
「家まで、ついて来てほしいんだ。い、忙しかったらいいんだけど」
「・・・・・いいぜ、可愛い巴の頼みだからな」
どこまで本気なのかは分からないが、須磨はそう言ってくれた。巴は承諾してもらった後に、本当にいいのかなと思ったが、やっぱ
りいいと断ることは出来なかった。
そして、巴は須磨と並んで歩いていた。
「本当にいいのか?」
「いいって。俺も、巴の家に行ってみたかったし」
とても同級生とは思えないような気遣いをしてくれる須磨に、巴は本当にありがとうと頭を下げたい気分だった。
高校に進学してから友人になった須磨とはまだ短い付き合いだが、巴の中では中学からのどの友人といるよりも、須磨の隣が
一番安心出来て心地良かった。
(なんだろ、なんか、昔から知ってるみたいな感じなんだよな)
「・・・・・」
自分とは違って様々な経験を積んでいるらしい須磨の話は楽しく、巴は感心したり、驚いたり、笑ったり、時を忘れて会話を
続けていたが、
「あ・・・・・」
ふと、本当にいきなり、自分が今あの鳥居の前に差し掛かっていることに気付いてしまった。
(あいつら・・・・・?)
それは、無理矢理気付かされたというくらいに唐突で、巴の背中にはじんわりと冷や汗が滲んでくる。
(見・・・・・てる・・・・・)
赤と、青と、金。6つの瞳が自分に向けられているようだ。巴は一歩を踏み出すことが出来ず、そのままその場に足がはりつい
たように動けなくなってしまった。
「巴?」
「・・・・・」
須磨、と、名前を呼ぼうと思っても声が出ない。巴は何だか泣きそうになって顔を歪めてしまうが、そんな巴の顔を見ているくせ
に、須磨は少しも慌てた風もなく、にやっと笑って赤い鳥居の波を見て言った。
「こんなとこに鳥居があるんだな。こうやってみると、なんだか異次元に迷い込めそうだ」
「・・・・・え?」
「そう思わないか?巴」
そう言った須磨は、動かない巴の腕を掴んで引っ張る。
すると足は不思議なほど自然に歩き始め、巴は鳥居の中に引き込まれていくこともなく、その場を通り過ぎてしまう。
(え・・・・・嘘)
あまりにも呆気なさ過ぎて、巴は須磨に腕を引かれながら思わず後ろを振り返った。
(もしかして、昨日のも夢だったって・・・・・言うのか?)
どんどん遠くなっていく赤い鳥居を見ながら、巴は何度も心の中で自問し続けた。
男に腕を取られて遠ざかっていく巴の姿を見送った慧は、ちっと舌を打った。
「なんだ、あの男」
その言葉に、腕を組んでいた益荒雄が応える。
「私達の術が全く効かなかったね」
「あれは・・・・・ただの人か?」
八玖叉の疑問を含んだ言葉に、そんなことは関係ないと慧は言い放った。
問題は、巴をあの人間が連れ去ったということだ。この鳥居の前に来れば、巴は絶対的にくぐるように誘いの術を掛けているは
ずなのに、その術を簡単に破られてしまったのだ。
「俺達の嫁だぞ!」
「確かに、巴は私達のものだし、毎日口付けをするという約束を破るなんて、いけない子だよね」
「行くか」
それは、巴の夢の中に入り込むかということだが、訊ねながらも慧は自分1人でもそうするつもりだった。
まだ心が熟しきっていない巴を気遣ってその身体の全てを奪っていないのに、そんな自分達の心を理解せず、まるで逃げるよう
に他の男と連れ立って去っていくなどとんでもない話だ。
「・・・・・待て」
「なんだよ、八玖叉、異論あるのかっ?」
「落ち着け、慧」
「・・・・・っ」
自分よりも長く生きているせいか、八玖叉はやたら説教してくるが、それが慧にすれば煩わしい事この上ない。
今回のことだって、考えることなんて何もないはずだ。自分のものに、しっかりと自分の印を付ける、自分のものだと分からせる。
それはごく当たり前のことではないか。
「あ奴・・・・・人間の匂いがしたか?」
しかし、八玖叉の口から出たのはそんな意外な言葉で、戦闘態勢に入っていた慧も、思わず眉根を寄せて厳しい視線を
向けた。
普通の人間ならば、自分達の術に抵抗など出来ないはずだ。
いや、ほんの僅かな確率で、あやかしの術が効かないという人間もいるとは聞いたことがあるが、あの男の様子を見れば、簡単
にそれが偶然ではなかったということが分かる。
(明らかに、こちら側を見ていた・・・・・)
「八玖叉、どういうこと?」
「お前も気付いたはずだ、益荒雄。あの人間、こちらを見ただろう?」
「・・・・・」
「我らの存在を確認した上で、巴の身体に触れたような気がする。我の考え過ぎということはないだろう」
(だが・・・・・そうなれば、あの人間の正体とはなんだ?)
あやかしの中で、人間に身をやつしたという者の話は聞いていない。そもそも、そんな者が出てきたら、自分達三人の誰かが
止めるはずだ。
「益荒雄」
「聞かないねえ」
「慧」
「知るかっ」
「じゃあ・・・・・あれは何者だ?」
自分達の力は、あやかしの中でも最高位にあるはずだ。それを簡単に打ち破るあの人間の正体が、八玖叉は気になって仕
方がなかった。
(あやかし・・・・・ねえ)
百年に一度、物の怪の者の住む世界と、人間が住む世界を塞ぐ扉の鍵が朽ちるため、人間の中からその鍵になるべき者が
選ばる。その人間は、選ばれた物の怪の花嫁となるのだが、長年のしきたりから、鍵の伴侶となる者は物の怪の中でも突出し
た力を持つ者に限られていた。
今世では、それが自分を含めて三人もいたが、それ以外に大きな力を持つ者がいたという話は聞いたことがない。
「・・・・・」
それでも、八玖叉が考え過ぎだと言い切ることは出来なかった。益荒雄自身、あの人間の挑発的な眼差しを感じ取り、一瞬
おやと思ったのだ。
「どうするかな」
「だから、今夜巴の夢に入ったらいいだろっ」
「でも、所詮それは夢だろう?」
「益荒雄っ」
「怒っている暇は無いんじゃないかな、慧。私も、八玖叉が言った通りあの人間が気になる。出来れば知らべてみた方がいい
と思うくらいにね」
調べて、それで思い違いだったらそれでいいだろう。要は、せっかく目の前にぶら下がっている美味しいものを、横から掻っ攫わ
れないようにすることが重要なのだ。
「まだ気が残っているかもしれない」
「それは我が追ってみよう」
「じゃあ、私は本人を見てみるか」
「おいっ、お前達!」
「慧、お前はどうするんだ?不穏の種をみすみす育てることはないんじゃないかな?」
慧はますます面白くなさそうな顔をしたが、それでもその口から嫌だと言う言葉は出なかった。慧自身、あの男の存在に見え
ない脅威を感じていたのだろう。
(まあ、私達三人が共にいれば大丈夫だろうけど)
三対一が卑怯かどうかなど考えるまでもない。不要なものは目の前から消し去ってしまう・・・・・それは、ごく当然のことだから
だ。
(これ以上巴に近寄られても困るしね)
大切な大切な花嫁だ。自分達以外の手に委ねることなど、考えることも真っ平御免だった。
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