あやかし奇談




第一章 
物の怪の花嫁御寮














 わざわざ送ってくれたのにそのまま帰すわけには行かないと、巴は須磨を自分の部屋へ上げた。
ちょうど母親は買い物に行っていて留守だったので、自分でジュースとお菓子を用意して部屋に戻ると、須磨はちょうど本棚の
前に立ってそれを眺めていた。
 「漫画ばっかりだろ?」
 高校生からの友人では初めて家に連れてきたので、なんだか少し恥ずかしくなってそう早口に言ってしまう。すると、手に取って
いた漫画を元に戻しながら須磨は笑った。
 「俺も同じようなもん。まだ、巴の部屋の方が綺麗だって」
 「そうかな」
 「そう。それとさ」
 「ん?」
 「まだ苗字なわけ?」
 「え?」
 「そろそろ、ただの友達から格上げになりたいんだけどな」
 そう言われて初めて、巴は須磨のことをまだ名前で呼んでいなかったことに気付いた。
特に意味などは無く、単にまだ慣れていないからだっただけなのだが、本人からそう言うほどに須磨の方は気にしていたのだろうか
と思う。
(そういえば、須磨は結構始めから名前を呼んでたっけ)
 巴・・・・・聞くだけでは女のような名前なのであまり好きではないのだが、別にどうしても嫌だと思うほどでもない。
巴は、ごめんと直ぐに言った。
 「これから気をつける」
 「別に、改めてってほどのことでもないんだけどな」
巴に謝らせたことが申し訳ないというように、須磨はクシャッと巴の髪を撫でてくれた。



 少しだけ落ち込みかけた巴だったが、須磨は直ぐに話題を変えて盛り上げてくれる。自然と会話は弾んだが、不意に言った須
磨の言葉に、巴は再び沈黙してしまった。
 「そういえばさっきの鳥居、結構珍しいよな」
 「あ・・・・・ん」
 「人によっては気味悪がる奴もいるだろうけど、俺は全然平気。巴は?」
 「俺も・・・・・怖いとかは無いけど・・・・・」
 もっと別の意味で、色々と困っているのだ。
しかし、ふと巴は別のことを思い出してしまった。あの時、足が動かなくなったのに、須磨に手を引かれるだけで自然に歩き始め
ることが出来た。それには、何らかの意味があるのだろうか?
 「ねえ、須・・・・・慶司」
 「ん?」
 わざわざ言い換えた巴に、須磨は苦笑しながら先を促してくれる。
 「その、さっきの鳥居のことだけど、何か・・・・・感じなかった?」
 「感じるって、何、巴って見える人?」
 「そ、そういうわけじゃないんだけど」
あの3人のことをどう説明していいのか分からなかった。
天狗、鬼、夜叉。普通ならば伝説の生き物と言われているだろう彼らが本当に生きていて、その上、男である自分を鍵だ、花
嫁だと言っているのだ。
(そんなこと言ったら、俺の方がおかしいって思われちゃうよ)
 「独特な雰囲気はするけどな」
 「え、や、やっぱり?」
 「・・・・・何、巴、あの場所、あまり良くないって感じるわけ?」
 「・・・・・う・・・・・ん、まあ」
 自分の意に沿わないエッチなことを強要されるというのも、立派に嫌う理由になると思う。巴は少し悩みながらも、頷くことでそ
れを示した。



 「じゃあさ、これから俺が家に送ってやるよ。そんなに遠くでもないし」
 「え?そんな、悪いよっ」
 「これも点数稼ぎ。巴にいい奴って思われたいからさ」
 「?」
(点数稼ぎ・・・・・って?)
 友達に対してわざわざそんなことをしなくてもいいのではないかと思うが、もしかしたら自分のとり方がおかしいのかもしれない。
無意識の内に半笑い(日本人の性か)を浮かべてしまった巴に、須磨は笑いながら続けた。
 「それで、巴が安心するならいいし」
 「・・・・・」
(いい・・・・・の、かな)
 確かに、須磨と一緒ならば、これからあの鳥居の前を通っても何事も無いかもしれない。しかし、あの三人・・・・・いや、三匹
のあやかし達がそのままで終わるとも思えなかった。
もしかしたら、須磨に何かするかもしれない。そう思うと、自分以外の犠牲者を作るわけにはいかないと思う。
(もしかしたら、俺1人だって無事に通り抜けられるかもしれないし・・・・・)
 「・・・・・ありがと、慶司。でも、多分大丈夫だから」
 「巴」
 「大丈夫」
 須磨を安心させるという以上に、自分に言い聞かせるようにそう言うものの、巴は心のどこかで本当に大丈夫なのだろうかと思
わずにはいられなかった。






 「どう思う?」
 「・・・・・」
 「八玖叉は?」
 「気になることは、ある」

 巴を連れ去った人間の男。
その正体を探ろうと動き出した三匹の物の怪。
自分達の妖力を簡単に打ち破ったあの男が普通の人間ではないということは共通の意見だったが、かといって今まで数百年
間、門番として秩序を守ってきた自分達の目をかいくぐって人間界に紛れ込む物の怪がいるとは思えない。
 ただ、一つだけ引っ掛かることがあった。

 それを思い出したのは、八玖叉だ。
三人の中では一番生の長い八玖叉は、自分達が前任の門番と交代をする直前、ある騒動があやかしの世界の中であったこ
とを思い出したのだ。
 「は?妖狐(ようこ)?」
 「聞いたことが無いか?」
 「俺は無い。益荒雄は?」
 「・・・・・微かに覚えがあるが・・・・・噂だろう?悪さをする野狐(やこ)は前から何匹か人間界にいるらしいが、そいつらに私達
の力が通じないということは無いはずだ。私達に匹敵するほどのものだとしたら・・・・・」
 「九尾(きゅうび)、か?」
 慧の確認するような言葉に、八玖叉は頷いた。
九尾・・・・・人間界では、九尾の狐と呼ばれているその存在は、自分達からしても厄介な存在だった。
野狐の中でも人に危害を与える、位の高い妖狐。もちろん、善良な狐もいるが、強力な神通力を持ち、人間にも化けることが
出来るだけに厄介だといえる。
 「だが、あいつらが鍵に興味を持つとは思えないぞ?人間界がどうなろうと、奴は構わないんじゃないか?」
 「私もそう思う。むしろ、鍵が壊れることを面白がりそうだ」
 「・・・・・それは、我らが知っている妖狐だったら、だ」
 しかし、この間巴と一緒にいた男は、どうやら巴と親しい間柄らしいということが感じられた。
(もしも、あの妖狐が巴を気に入ったとしたら?お気に入りの人間を鍵にしないようにと考えたら・・・・・)
 「待て、八玖叉」
そこまで考えた八玖叉の思考を止めたのは、慧の一声だった。
 「まだあの人間が妖狐だと決まったわけじゃない。もしかしたら本当にただの人間で、俺達の妖術が効き難い体質だったかも
しれないだろう?おまえは深く考え過ぎだ」
 慧の言うことも分かる。
しかし、今日でもう三日、巴はこの鳥居の奥にまで入ってきてはいない。確かにこの前を通っているのに、自分達の誘いに全く
引き付けられないのだ。
(そんなこと・・・・・本当にただの人間が出来るか?)



 八玖叉の言葉を考え過ぎだと一笑に付すことは出来なかった。
益荒雄も、自分達に唯一匹敵すると言ってもいい力の主、妖狐の存在が人間界にあることを知っていたからだ。
 ただ、彼らはあやかしの世界、人間界と、どちら共に深い思いを持っておらず、自由に世界を漂う生き物なので・・・・・そんな
彼らが一人の人間に思い入れるとはとても考えられなかった。
(だが、八玖叉の考え過ぎだと言い切ることも出来ないか・・・・・)
 理由ははっきりしない。それでも、何らかの力が関係しているのは分かっている。
 「調べてみようか」
 「・・・・・どうやって」
三日、巴に触れていない慧は少しイラついているようだ。もちろん、それは益荒雄とて同じだが、年下の慧よりは少し冷静に物
事を見ることが出来ると思う。
 「直接、聞けばいい」
 「・・・・・」
 「毎日、この鳥居の前を通ることは確かなんだから、巴ごと呼び寄せたらいいだろう?」
 あっさりと言い切ると、慧が目を眇めた。
 「出来るのか、そんなこと」
 「慧は最初から諦めているのかな?それだったら、巴のことも諦めてくれれば、それだけ巴を分かつことが無くていいんだけど」
 「・・・・・させるかっ」
 「ふふ」
負けず嫌いな慧の反応は想像が出来て、益荒雄は思わず笑ってしまう。
そして、今度は八玖叉を振り向く。慧の素直な反応とは別に、成熟した考えを持つ八玖叉は、いったいどういう答えを出すだろ
うか。
 「八玖叉」
 「・・・・・それしか、ないな」
 「・・・・・」
 「確かに、我らは巴が成長する十数年、待ってきた。それに比べればたかが三日・・・・・しかし、巴のあの甘美な身体を知って
しまった我らにとっては、この時間は千秋の思いだった。これ以上、待つことは出きぬ」
 言い切った八玖叉に、益荒雄は頷き、慧に言った。
 「いいね?」
 「・・・・・ああ」
 「少し、力を強くしないとな」
 「我らの結集した力が敵わぬはずが無い」
 「確かに、そうだ」
相手がたとえ何者であっても、鍵である巴の夫として選ばれたのは自分達だ。それ以外の人間が巴に触れることは我慢出来
ないし、奪われることなどもってのほかだ。
 「では、今日の夕刻」
 「分かった」
 「承知」
 巴の帰宅時間までは後数刻。今日こそ、絶対にその身体を抱きしめてやると、三匹は同じ思いでその訪れを待つことになっ
た。