あやかし奇談




第一章 
物の怪の花嫁御寮














 「・・・・・ありがと、慶司。でも、多分大丈夫だから」

 そう言って、送り迎えを断ったはずなのだが、須磨は律儀にも迎えに来てくれた。
巴は申し訳ないなと思う反面、ホッとしたのも本当で、ここ数日、須磨の優しさに甘えて安心して通学路を歩くことが出来てい
た。
 ただ、その一方では、あの三人(匹)がおとなしくしているということが不安だった。なんだか後で大きな出来事が起こりそうで、
本当なら少しずつ小出しにして・・・・・キスくらいは許しても良かったかもしれないと思うのも本当で、巴の心はここ数日、アンバ
ランスに揺れていた。
 「・・・・・え、巴?」
 「あ、ん」
 巴はハッと顔を上げた。学校の帰り、ちょうど足を止めたのは・・・・・あの鳥居の前だ。考えていたそれが目の前にある偶然に、
巴はドキッとして慌てて視線を逸らしてしまった。
 「どうしたんだ?気分悪い?」
 「う、ううん、早く行こうかっ」
 早くここから立ち去って家に帰りたい。そう思った巴は須磨の腕を引っ張って歩き出そうとしたが、なぜか須磨はそこから動かず
に鳥居を振り返った。
 「ここで少し休んでいく?」
 「え・・・・・?」
 「この中なら涼しいんじゃないか?」
 「え、あ、ちょっとっ」
 嫌だと言いたいのに、なぜか喉の奥で声が絡まってしまう。
本来、見掛けに寄らず気配りが出来る須磨ならば、自分が嫌がっていることなど気配で分かってくれるはずなのに、なぜか今日
は巴が嫌だと言っていた鳥居の中へと手を引っ張って歩いていくのだ。
(ま、まさか、これってあいつらの・・・・・っ?)
 あの三人の不思議な力が、とうとうこの須磨にも効いてしまったのかもしれない・・・・・そう思うと、巴は絶望的な気分になって
しまった。



 「来たぞ」
 「来たか」
 「逃すなよ」

 当たり前だと慧は思う。たった三日、いや、もう三日だ。
巴に自分達の姿を見せてから、こんなに触れなかったのは初めてで、一刻も早くあの白い身体を抱きしめたいと思っていた。
 今、巴の隣にいる男が、本当に自分達が思っているものなのかどうかはまだ分からないが、幾ら強力な妖術を持っているもの
だとしても、自分達は三匹もいるのだ。
 もちろん、三対一など、慧の矜持からすれば、いや、益荒雄も八玖叉も、数が無ければ勝てないと思うのもはらわたが煮えく
り返るほど腹立たしいだろうが、先ずはあの男をこちら側に確実に引き寄せ、その正体を見極めなければ話にならない。
 「慧」
 益荒雄が言う。
 「分かっている、八玖叉」
八玖叉は頷いた。
 「我は後ろに回ろう」
 甘い巴の香りと共に、異質な存在が近付いてくるのが分かる。本来ならば、苦も無く味わうことが出来る巴の甘い気。必ず
今日は逃がさないとそれぞれが思う。
 「来た」
退路を断つために背後に回る八玖叉とは逆に、慧は益荒雄と共に社の前に立って2人が姿を現すのを待った。



 「あ・・・・・」
 「来たな、巴」
 「巴、久し振りだね」
 「巴、ようやく、まいったか」
 それぞれの男達の言葉に、巴は足を止め、鞄を爪を立てるほどに握り締めた。
(どうしても・・・・・ここに来ちゃうんだ・・・・・)
須磨のおかげで、ようやく不思議な呪縛から解き放たれたかもと思ったが、やはり自分は彼らに捕らわれる運命だったのかもし
れない。
 巴に出来ることは、後は自分を今日まで守ってくれた須磨の安全を彼らに訴えるだけだった。
 「こ、ここに、来なくて・・・・・ごめんなさい。でもっ、でも、須磨は、彼は何の関係も無いんだ!このまま何もせずに帰してやっ
てよっ、お願いします!」
 「お前がそれを望むのか、巴」
 「・・・・・っ」
 胡乱に目を眇めて言う慧に、巴は頭を下げて、必死でそう頼み込んだ。始めに約束を破った形になったのはこちらの方で、相
手に願い事を言うのはずうずうしいかもしれないが、それでも自分のせいで須磨が何かされたら・・・・・そう思うと、このまま自分
は元の生活にも戻れなくなるような気がしてしまうのだ。
 「大切な花嫁の願い事。私としては聞き届けてやりたいがね」
 そう言いながら益荒雄が手を伸ばしてくる。彼が自分を引き寄せる前に、自分から行った方がいいかもしれない・・・・・巴が一
歩前に足を踏み出そうとした時だった。
 「行かなくていいぞ、巴」
 「え?」
 それまで、目の前の異様な彼らに驚いているとばかり思っていた須磨が、なぜか笑いながら軽い口調で言う。巴はその反応に
驚いて目を丸くしてしまった。



 「言うねえ、人間ごときが」
 益荒雄は巴から視線を逸らすと、不敵な笑みを浮かべている男を見た。
明らかに人間ではない自分達の姿を見ても、驚きも恐れもせず、むしろ楽しい玩具を見かけたかのような態度に、腹立たしさと
同時に、やはりという思いが生まれた。
(こいつは、やはり人間ではない)
 「何者?」
 「もう、想像はついているんじゃないか?」
 「・・・・・」
 「巴のことを気に入っているから、怖がらせたくないんだけどな」
 「す、須磨?」
 何を言っているのだというように、巴はまるで縋るような眼差しを男に向けている。それ自体、面白くない益荒雄は眉を顰めた
が、慧も八玖叉も同じ思いなのか、剣呑とした雰囲気を背にして、ゆっくりと男との間合いを詰めていた。
 「名は?」
 「須磨慶司」
 「人間としての名ではない」
 「・・・・・巴に言う前に、お前達に言うつもりは無いね」
 「・・・・・」
(こいつ・・・・・このまま私達が無傷で帰すとでも思っているのか?)
 あまりの男の落ち着きぶりに、さすがに気の大きな益荒雄も苛立ちが生まれてしまう。しかし、益荒雄がその生意気な口をそ
のまま引き裂いてやろうと思う前に、前へ飛び出したのは血の気の多い慧だった。
 「巴から離れろ。そいつは俺達の花嫁だ」
 「・・・・・鍵に選ばれる人間が、甘美な魂を持っているというのは本当だろうな。側にいて、巴が極上の餌だというのはよく分か
る。お前達だって、花嫁と言いながら、この魂を食らうことが本音ではないのか?」
 「お前!」
 「待てっ、慧!」
後先考えずに男に向かっていった慧に、側にいる巴の身体のことを考えた益荒雄も瞬時に飛び出した。



 「な、何?須磨、お前・・・・・」
 須磨が彼らと何を話しているのか、耳に聞こえているはずなのに巴は理解したくなくて頭を振った。
同級生だと、新しく出来た友人で、とても頼り甲斐があって、優しい・・・・・と。こんな恵まれた友人と出会えて本当に良かった
と思っていたのに、もしかして・・・・・。
(もしかして・・・・・須磨、も?)
 人間ではない彼らと同種の・・・・・。
 「お前!」
 「待てっ、慧!」
 「・・・・・え?」
そんなことを思っている時、不意に、言い合うような言葉の後に、強烈な風と光を全身に感じてしまい、巴は反射的に自分の
身体を守るように両腕で身体と顔を覆ってしまう。
いや、覆おうとした寸前に、巴の身体は大きなものに包まれ、風と光から庇われた。
 「な・・・・・」
 「大事無いか、巴」
 「や・・・・・くしゃ、さん?」
 巴の身体を守ってくれたのは八玖叉だった。見掛け以上に逞しい身体は凄まじい妖気から巴を守り、その場から離れた場所
へと空を飛んで移動した。
 自分の身体が宙を浮く驚きもそうだが、身を挺して自分を守ってくれた八玖叉に、巴は戸惑いを強く感じてしまう。無理矢理
自分を花嫁にしようとしている張本人の1人なのに、どうして自分を助けてくれるのだろう?
花嫁という存在に、それ程の価値があるというのだろうか・・・・・。
 「怪我は?」
 「な、ない、です」
 「ならば、良かった」
 「あ、あのっ」
 すっと身を離そうとした八玖叉の着物の襟元を反射的に掴んでしまった巴は、お願いしますと八玖叉に頼み込んだ。
 「ふ、二人を止めてください!」
 「・・・・・あれは、お前を強引に花嫁にしようとした鬼と、人間ではない物の怪の一匹。心を痛めることも無いのではないか?」
 「そ、それは・・・・・」
確かに、その通りだ。慧を心配する必要は自分には無いかもしれないし、須磨が人間ではないのなら・・・・・同じことが言えるか
もしれない。
 ただ、知らない相手ではなかった。意に沿わない悪戯をされてしまったが、それでも慧が傷付けばいいとは思わないし、須磨に
いたっては、本当に人間でないのかどうかも確信が持てない。
それに、原因が自分ならば尚更、自分のせいで誰かが傷付くなんて嫌だった。
 「お願いします!」
 「俺には言ってくれないの?巴」
 「ま、益荒雄さんっ」
 「私だって、巴を守ろうと思ったんだよ?八玖叉の方が一歩早かったけれど」
 「ど、どちらでも、構いませんっ、早く、早くお願いします!」
 目の前では風と光で、いったい何が行われているのか全く分からない。絶対に自分では止めることが出来ないというのは分か
りきっているので、急いで欲しいと必死で頼んだ。
 すると、そんな自分をじっと見つめていた益荒雄は、なぜかにやっと笑って・・・・・一つだけと言ってきた。
 「可愛いお前の言うことを聞いてやったら、お前も私の言うことを聞いてくれるのかな?」
 「あ・・・・・」
 「大丈夫、無茶なことは言わないから」
 「・・・・・」
一瞬、頷いていいのかどうか迷った巴だが、今は緊急事態だ。頬に当たる風がますます強くなってきていることも自分を急きたて
て、巴ははいと頷いてしまった。
 「お願いしますっ」
 「承知」
 笑みを含んだ声がそう耳に届いたかと思うと、一瞬で益荒雄の姿は空に浮き、荒れ狂う風と光の中心部分へと躊躇うことも
無く飛び込んでいった。